下北沢通信

中西理の下北沢通信

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「ももクロ×平田オリザ」論 「幕が上がる」を巡って(上) 関係性と身体性 対極の邂逅

 アイドル「ももいろクローバーZももクロ)」と劇作家・演出家、平田オリザ。ともにそれぞれのジャンルで日本を代表する存在である両者が手を組んだのが本広克行監督の映画「幕が上がる」(2月28日封切り)である。全国大会出場を目指す弱小演劇部の少女たちの奮闘を描いた平田の初めての小説作品をももクロが主演し「踊る捜査線」シリーズで知られる本広監督が映画化した。青春映画の巨匠・大林宣彦監督、「AKB48白熱論争」の共著者などでも知られるサブカル評論家、中森明夫から高い評価を受けるなど識者の評判も上々だ。青春映画の傑作というだけでなく、「演劇映画」という新たなジャンルも生み出した。これまでも演劇を描いた小説、マンガ、映画などはあったが、「幕が上がる」はモチーフに演劇を取り上げた作品のなかでも過去に例がないユニークなものとなっている。それを生み出した平田=本広コンビを高く評価をしたい。

 地区大会を一度も勝ち抜いたことのない弱小演劇部の仲良し3人組(百田夏菜子玉井詩織高城れに)。彼女らの前に突然現れたのは演劇を諦めて美術教師になった「元学生演劇の女王」吉岡先生(黒木華)だ。指導を頼まれた先生は「せめて一度は悲願の地区大会突破を果たしたい、そのために指導をしてくれ」と懇願する部員の前で一言いい放つ。「目標は地区大会突破などではない。全国大会だ」。名門高校演劇部からの転校生(有安杏果)、しっかりものの下級生(佐々木彩夏)らも加わり、ここから弱小演劇部の奇跡の快進撃の「幕が上がる」。出会いと別れを通じて成長していく仲間たち。友情、努力、勝利の物語である。
 ジャンルから言えば青春映画、しかもそのなかでも王道の「部活もの」である。この分野でこ目に付く作品を思いつくままに挙げていくと「がんばっていきまっしょい」「スウィングガールズ」「リンダリンダリンダ」「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」などがあり、ちょっと変り種ということであえば高専ロボットコンテストを取り上げた「ロボコン」というのもあった。出演するのは演技経験がほとんどないか、比較的薄い若手の俳優。彼ら(彼女ら)の登竜門的な企画ということも多く、「幕が上がる」も(子役経験の豊富な有安杏果を除けば)いずれも本格的な演技経験はほぼ初めてのももクロメンバーが銀幕デビューするにはぴったりの企画だった。
 こうした映画ではその時点では無名だが、後に活躍する若手俳優が「そのときだけの旬」であるはつらつとした魅力を見せてくれる。「がんばっていきまっしょい」の田中麗奈、「スウィングガール」の上野樹里貫地谷しほり本仮屋ユイカ、「ロボコン」の長澤まさみ小栗旬伊藤淳史塚本高史ら、良質の青春映画には錚々たるメンバーが名を連ねていたことが分かる。
 ももクロはアイドルであり、無名ではないが、女優としての本格的な経験はない。それゆえ、映画を見るまでは若干の不安があったが、この点に関していえばメンバーによりそれぞればらつきがあるとはいえ、前述の映画に登場していた俳優らと比較しても遜色はなかった。特に主役の高橋さおり役を演じた百田夏菜子の見せた演技は特筆すべきものだった。「時をかける少女」の原田知世、「セーラー服と機関銃」の薬師丸ひろ子らいまや伝説となっている角川映画のヒロインと思わず比較したくなるようなオーラを放っていた。
 大林監督も指摘しているが、それを可能にしたのが冒頭の場面からシーンを順番に撮影していくという「順撮り」手法だ。ももクロのメンバーの芝居は最初はぎごちなく稚拙さが目立つが、吉岡先生役の黒木華が素晴らしい。彼女が「肖像画」を披露する場面あたりを境にその女優としてのオーラに触発されたかのようにももクロの演技は大きな変容を見せていく。特に目立つのが夏菜子だ。技術を越えて「何かが降臨した」としかいいようがないような演技を時折見せる。彼女がライブのときに見せる神懸った瞬間とこれは関係があるかもしれない。映画ではそれをドキュメンタリーのように記録し、俳優としての成長を登場人物の演劇部員の成長と重ね合わせることで、単に芝居が上手というだけでは出せないようなリアル感を映画のフィルムに焼き付けた。  
 映画「幕が上がる」は青春映画という以外にもこの映画ならではのフックをいくつも用意している。まず指摘しなければならないのは優れた「演劇映画」であることだ。漫画「ガラスの仮面」を挙げるまでもなく、演劇を描いた作品は以前もあった。近年では女子高の演劇部を描いた「櫻の園」(中原俊監督、1990年)などの評価が高い。遡れば薬師丸ひろ子が主演した「Wの悲劇」も忘れることはできないだろう。「幕が上がる」がそうした先行作品と異なるのはこの作品の主役を女優ではなく演出役にしたことだ。それまでのほとんど作品では主人公は俳優(たいていは女優)であって、したがって演劇の話ではあるが、それは基本的に「ガラスの仮面」が典型的にそうであるように「どう役になりきるか」という以上の話にはなりにくかった。演劇にはそれ以外にいろんな側面がある。脚本をどうするか、演出をどうするかは演劇においてもっとも重要な要素だというのは指摘するまでもないことだ。この映画はそれを演劇の門外漢にも分かりやすく伝えてくれる。
 2つ目は演劇のなかでも「高校演劇」というさらに特殊な素材を取りあげていることだ。原作小説を書くに際し、高校演劇を主題とすることには単に小説の素材以上の大きな意味があった。平田に密着したドキュメンタリー作品「演劇1」「演劇2」の上映にともなうトークショーの場で平田は「個人的に小説を書きためていたが、それはものにならず、自分は小説家には向いてない」と語った。それに続けて「幕が上がる」について小説だが、普通の意味での小説、つまり自己表現ではなくてこれを読んだ高校生や中学生が演劇に興味を持ち、演劇部に入りたいと思わせるような一種のツール(道具)として書いた。そして、続けて今度は若干冗談めいた口調ではあったが、「できたらこれが映画やテレビドラマになってアイドルが主演したりして話題になり、演劇に興味がない中高生に届けばいいと思う」と話した。その時点で今回のプログラムについてのどの程度の具体的なイメージが平田にあったのかは分からないが、こうした発言を考えると今回の映画はたまたまできたというものではなくて、一定のビジョンの下にかなりの時間をかけて周到に準備が進められてきたことがうかがえる。その狙いは今回かなり理想に近い形で実現したといえるのかもしれない。
 一方、監督の本広は「演劇」や「高校演劇」の生の魅力を作品中に取り込むことに徹底的にこだわった。「幕が上がる」には演劇や高校演劇など数多くの舞台が登場するが、その多くはおそらく実際に演じられたものを撮影したうえで、映画にはその一部を使用したものだ。高校演劇の場面では実際の大会で収録された舞台の記録と映画のために上演された舞台が巧妙に組み合わせてもいる。映画のために上演された舞台も有安杏果演じる中西悦子が出演している「修学旅行」は演出家、畑澤聖悟が自ら演出している。畑澤はその作品で青森中央高校で実際に全国制覇した顧問教師でもあり、口立てで杏果を演出する姿をメイキングのドキュメンタリー映画「幕が上がる その前に」で見ることができる。物語のキーとなる「銀河鉄道の夜」も映画で使われたのはほんの一部だが、撮影時にはほぼ全編が実際に演じられたようで、その一部を動画サイトで見ることができる。これも青年団版「銀河鉄道の夜」の演出を基に青年団劇団員らの丁寧かつ厳しい指導の下に撮影されたようだ。
 「幕が上がる」は高校生を主人公にしているので一見シンプルな青春物語に見える。ところが実際はこの作品にはいくつかの層を重層的な重ね合わせた複雑な構造となっている。平田との対談で批評家の東浩紀は演劇部の生徒たちがあまりに素直で陰がないため、今時こんな純朴な高校生はリアリティーがない、毒もなさすぎる、などと批判した。これはあくまで原作に対しての批判ではあるが映画の存在が明らかになる前の微妙な時期だったこともあり、平田は反論しなかった。だがこと映画に関する限りはこの作品に陰がないということはなく、「光と陰」は確かにある。それは演劇の持つ「光と影」だ。「魅力と魔力」と言い換えてもいいかもしれない。映画版ではさおりと対比されるようにその魅力・魔力に魅入られていく2人の女性が描かれる。1人は教師をやめ、女優を目指すことでさおりらを裏切ることになる吉岡先生だ。県大会に臨むさおりと自らが身を投じた舞台の稽古場の吉岡先生の姿がひと続きのシークエンスで示されることで2人のイメージは重ねあわせて提示される。もうひとりは東京で小さな劇団に出演しながら、自分をとりまく甘くない現実と戦っている杉田先輩だ。演劇の「光と闇」。この主題は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」から読みとった主題としてさおりが語る「私たちは舞台の上ならどこまでもいける。ただ、どこにも辿り着けない」とのセリフとも反響しあう。それは近い将来のさおりら自身の姿であるかもしれない。
 このように異なる複数の階層が互いにメタファー(隠喩)のように響く合う重層的な構造が平田の作劇の特徴だ。「幕が上がる」もそうした構造になっているのだが、映画「幕が上がる」で本広監督は作品の外側に広がる階層をもうひとつ付け加えた。それは「ももいろクローバーZ」の物語だ。この映画は映画内に仕掛けられた構造に加えて、ももクロが歩んできたこれまでの歴史が映画の場面と響き合うように作られている。例えばさおりの最後の挨拶はファンならば国立競技場ライブでの夏菜子の最後の挨拶を想起させるし、吉岡先生の手紙の場面からは早見あかりの脱退が明らかにされた時のメンバーの凍りついたような反応を連想させずにはいられない。もちろん、映画自体はそんなことは関係なく楽しめるのだが、このように重層的な異なる層が響きあうような構造は平田の得意とする手法そのものだし、「ももクロ」「演劇部」「銀河鉄道の夜」といったそれぞれ異なる位相にある物語が、アマルガムのようにひとつになってきわめて複雑な構造を形成する。そこに映画「幕が上がる」の魅力はある。
 実は「幕が上がる」プロジェクトは映画だけにとどまらない。この後、平田オリザの本領である舞台(5月1〜24日、Zeppブルーシアター六本木)も予定されている。演劇評論家であり、ももクロのファンとしてもたびたびライブに足を運んできただけに今回のプロジェクトは本来なじみの深い世界での出来事だ。今でも「それを語るものとして私ほど適した存在はいない」との自負はあるのだが、実は両者が結び付くことは私にとっては予想外のことだった。
 ももクロ平田オリザではもちろんジャンルも違えばコンセプトも異なる。そのどちらもを注目すべき存在として以前から追いかけてきたとはいえうかつなことにももクロがすでに映画の撮影で佳境に入っていた昨年夏の時点でも両者が結びつくという予感は私のなかにはなかった。それは平田オリザももクロはここ数十年のパフォーミングアートのなかで大きく対比される2つの要素「関係性」と「身体性」を担う象徴的な存在で、それゆえ対極に位置するものと考えていたからだ。実は「分野の違う2つの存在を本質を共有するものとして結びつける」という手法を批評の世界で多用してきた。平田オリザももクロもこの手法を使ってそれぞれを論じたことがある。平田のロボット演劇をボーカロイドソフトの初音ミクと対比させた論考が「平田オリザ初音ミク/ロボット演劇」*1(演劇批評誌シアターアーツ2013年夏号)。スタニスラフスキーによって提唱され、メソッド演技として現代にも通じる「内面の再現」という演技法を平田は否定する。代わりに採用するのは細かく分節化されデジタルのように制御された演技・演出法だ。論考はこの演技のデジタル化が音楽におけるMIDIと同じ論理構造を持っているのではないかということを論じたものだった。その論理をさらに推し進めていくと平田のロボット演劇はMIDIの理論的結実である初音ミクと兄弟姉妹のようなものではないかというのが論考の結論だった。
 一方でももクロはパフォーマンスという軸において見たときに制御からはずれた(アンコントローラブル)存在であるところにその本質がある。昨年夏、アイドル評論誌「ももクロ論壇 アイドル感染拡大」*2に書いた論考「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」ではよく言われるももクロの魅力である全力パフォーマンスとは一体何なのかということを制御からはずれた(アンコントローラブル)をキー概念として論じたものだ。ポストゼロ年代の演劇・ダンスに顕著なひとつの傾向である身体に負荷をかけるパフォーマンスがあるが、ももクロのパフォーマンスをそれと対峙させることで解明していこうというのがその要旨であった。
 実はこの時の裏のテーマとなってもいたのは平田オリザらによる「関係性の演劇」と演劇に祝祭性を求めた静岡舞台芸術センター(SPAC)芸術総監督、宮城聡の対立である。平田オリザは80年代に国際基督教大学ICU)の仲間らと青年団を旗揚げ、自らの演劇活動を開始するが、現代演劇の世界で本格的に頭角を現してくるのが90年代の半ば。岸田戯曲賞を受賞した「東京ノート」が発表されたのも95年。著書として「平田オリザの仕事〈1〉現代口語演劇のために」(95年 晩聲社)、「平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない」(97年 晩聲社)を著し、この時代の演劇界のオピニオンリーダーとなった。 
 95年といえば阪神大震災が起こり、オウムによるサリン事件が引き起こされた年でもあるが、60年代後期のアングラ演劇以来続いてきた「祝祭的演劇」に対して祝祭的なことがらに事欠かない都市生活においては「演劇は劇場において静かにものを考える場であるべきで、都市に祝祭はいらない」などと論じて、「祝祭としての演劇」を否定した。90年代半ば、特に阪神大震災以降、日本の現代演劇では平田に代表される現代口語演劇が主流となり、演劇から祝祭性は退いていった。
 ところがポストゼロ年代、特に3・11を境に世間の好みが再び祝祭的なものに移行していく。舞台芸術の世界では黒田育世矢内原美邦、多田淳之介らに代表されるが、そういう世間の空気の変化を象徴するパフォーマンスが昨年7月に日産スタジアムで行われたももクロの「桃神祭」だった。論考の結びは現代の巫女として巨大な祝祭空間を具現させる存在がももクロなのだという趣旨で、ここでは「関係性」を重視する平田の対極的な存在として「身体性」を前面に出すももクロは提示された。
 興味深いのは映画はその一部を静岡の舞台芸術公園で撮影しており、そのためもあってか映画には終わりに近い重要な場面にそこに拠点があるSPACの演出家、宮城聡と看板女優に美加理が登場する。実を言うと平田は「都市に祝祭はいらない」と否定してきた「祝祭としての演劇」をももクロの登場で終焉。宮城が予見した「祝祭の演劇」の時代がやってきたと論考は宣言していた。それだけに平田自身が「祝祭性」「身体性」のご本尊であるももクロとタッグを組んで新たな戦いの場に現れるとは、まさに私にとっては「青天の霹靂」以外、何者でもなかったのである。