下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

WHAT’S NEWと日記風雑記帳2月

WHAT'S NEWと日記風雑記帳2月
 2月28日 大阪の皆さんこんにちは。私もきょうから7年ぶりに大阪の住人である。もっとも引っ越しに際して、いろいろ猫ブル(トラブルの小さいやつ)が襲ってきて、初日からけっこうまいっている。まず困ったのは引っ越しの荷物入れのどさくさで、手帳を紛失してしまい、これには今後の観劇の予定と大阪引っ越しに際して調べた友人・知人の電話番号などが書き込んであるアドレス帳も挟みこんであったので、すっかり連絡が取れなくなったことである。復旧するまでにどのくらい時間がかかるだろうか。さらに困っているのは新居には取り付けないと照明設備さえないことを失念していたことで、旧居から持ってきた蛍光灯1つと慌てて、近所の東京ハンズで広いダイニングキッチン用の照明2つを買い込んできたものの、いまだ照明さえ、ない部屋が2部屋もある。さらに以前使っていたもののうち汚れていたものなどをごみとして捨ててきてたしまったために一例を挙げれば風呂マット、風呂バケツ、タオルなど細々とした日用品がなにかやろうとするたびにないことに気が付くことである(笑い)。

 だが、なんといっても最大に困ったのは電話移設のために手続きの電話をかけ続けたのについにそのための番号「116」に「ただいま電話が混みあってつながりにくくなっています」のメッセージにしかつながらないこと。チケットぴあの初日予約じゃないんだからこれはなんとかならないのか。おかげでこうして日記を書き込んではいるものの、ページに掲載するのはいつのことになるのかという状態である。明日、出社してみないと今後の詳しい仕事のスケジュールも分からないのだが、とにかく電話がないと他の細かい手続きの手配も出来ないし、不便きわまりないので早急になんとかしなければならないのだが。

 2月27日 東京・下北沢、最後の日だが、引っ越しで慌ただしく、感慨にふけっている暇もない。明日は大阪で荷物入れの日である。

 大阪への移動の新幹線の中で、以前買ったままで長い間読みさしになっていたコリン・デクスター「悔恨の日」を読了。帯にも「モース主任警部、最後の事件」と書いてあったし、人気シリーズ完結編の文句も裏表紙にあって、これがデクスターのモースものの最後の作品だというのは分かっていたのだが、こんな結末になっているとは……。日本への翻訳は昨年10月のこととはいえ、作品が発表されたのは1999年と2年前のことだけにそれを今ごろ知ったのは最近のミステリの近況について不勉強ならではのことなのだが、デクスターがシリーズにこういう結末をつけていたことにはちょっとショックを受けてしまった。コリン・デクスターのモース警部シリーズについては作品がポケミスで出ればそのたびに買い込んで読んでいたというだけではなく、一時期は相当に入れ込んでいてこともあって、8年ほど前には事件ゆかりの地巡りを企画して、2日間という短期間ではあるが、ロンドン旅行の途中で足を伸ばして、オックスフォードにも出かけたほどである。その時に現地(ロンドン)で手に入れた「消えた装身具」は翻訳が出版される前に原書で読んでいるほどだ。もっとも、私の語学力では翻訳で読んでさえ、頭が混乱するデクスターを理解するには根気が続かず相当荷が重かったのだけれど(笑い)。

 「だれが犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る。こうしたパターンのミステリはアントニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」など一部の先例はあるものの、20世紀後半になり初めて一般的になったモダン・ディククティブストーリーの典型といえるものだ。それはいわゆる「ホワットダニット」型のミステリと言い換えてもいいのだが、形式は微妙に異なるが、アガサ・クリスティーの後期の作品群から、ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーものなどある種のハードボイルド小説やをへて、デクスターのモース物とルース・レンドルのウェクスフォード警部シリーズという私見では20世紀後半の本格ミステリの系譜があり、今そのうちの1つのシリーズが20世紀の最後をもって終焉を向かえたという意味でも同時代を生きていた一読者としてそれなりの感慨は抱かざるをえなかったのである。

 2月26日 月替わり表紙壁紙シリーズだが、引っ越しの忙しさにかまけているうちにいつのまにか月末になっても名乗りでてくれるところがなく、早くも窮地に陥っている。(笑い)今の表紙はけっこう気に入っているのでいっそこのままでもいいかなどと弱気になっているが、せっかくこれまで、reset-N、飛ぶ劇場、トリのマーク、ポかリン記憶舎となかなかのお気に入りのラインナップが続いていただけにここで力尽きてしまうのはなんとも残念(笑い)。これまで具体的な劇団名はあえてださなかったのだけれど、桃唄309、いるかHotel弘前劇場ク・ナウカ青年団、 LED、遊気舎、ジャブジャブサーキット、維新派、ロリータ男爵の関係者の皆さん、舞台写真の表紙での使用許可いただけませんか。もちろん、これはひょっとしたら読んでるのではと思った比較的知りあい度の高い劇団で、画像を添付メールなどで送付する能力のありそうなところを適当に選んだので、それ以外の劇団、ダンスカンパニーも歓迎ですよ。

 2月25日 ポかリン記憶舎「回遊魚」(2時半〜、6時半〜)の2ステを観劇。この集団が今もっとも注目すべき集団であることを再確認することができた。明神慈の紡ぐ出す繊細な言語感覚の戯曲がポかリン記憶舎の魅力であることはこれまで通り変わりはないけれど、この公演はそれに加えて、その戯曲世界を担いうる新たな身体表現の確立に向けて一歩を踏みだしたという点で将来この集団の軌跡を振り返る時にメルクマールとなる舞台だったということになるのではないかと思う。まだ、それは試行錯誤の段階といえ、この舞台においてはそれが十全な形で、表現しつくされたとはいえないが、この困難な道にあえて挑戦したということだけでも今回の明神慈の試みにはエールを贈りたいと思う。今回の舞台を見て東京に来てイースト・ギャラリーでク・ナウカの舞台「チッタ・ヴィオレッタ」を初めて見て、その後、宮城聰の話を聞いた時のことを思いだした。動きの俳優と語りの俳優を分けることで、ひとりの俳優では表現することの出来ない新たな表現を模索するのだという話を聞いた時、それは理論としては分かるけれども、独自の方法論で「動き」「語り」を様式化していくという作業は時間がかかりそうだし、本当にうまくいくのだろうかということにはその時に見た舞台の完成度から考えればちょっと素直には信じられない感じがしたからである。

 宮城聰は粘り強い努力により、それを実際に見事に具現化してみせてくれたのだが、日本現代演劇において、身体表現ということで真にオリジナリティーのある表現を確立した集団というのはク・ナウカ、上海太郎舞踏公司、転形劇場など数えるほどしか存在しないことがその苦難の道を象徴していると思う。明神慈の劇世界には本質的に俳優の演技においてある種の様式化を志向することを必然とするような要素を孕んでいて、それゆえ、進むべくして進んだ方向性ということもできる。これまでも明確な方法論がどこまであったかは別にして、「Pictures」「オン・シツ」では坂井珠真の日常性からずれた舞台上での存在のありようが作品を支えていた部分は決して小さくないし、坂井が抜けたこの作品でも真琴役を演じた後藤飛鳥(今月の表紙写真では中央の女性)の台詞以外の部分でのちょっと特異な身体性が担っていた。彼女に関しては何度かポかリン記憶舎での舞台を見たことはあるのだが、女優としてよりも、以前、遊気舎で東京公演の制作のお手伝いをやっていた時に先に知ったので、この表紙にも使ったガーディアンガーデンの特別公開プレゼンで、女優としての才能にちょっとびっくりして、今回の舞台で舞台上での不思議な存在感を再確認させられた。まだ、鬼が笑うに近いけれど、今のところ、個人的に年末のえんぺ大賞新人女優賞の最有力候補といっておこう(笑い)。

 2月24日 そとばこまち「友情しごき教室」(3時〜)、レニ・バッソ「Finks」(6時半〜)を観劇。レニ・バッソの会場ではひさびさにニフティを通じての知りあいである毒舌舞踊評論家でもある門さんと会い吃驚する。というのは彼は2年前に英国に行きまだそこにいるとばかり思っていたのだが、今月初めに日本に戻ってきていたらしい。レニ・バッソは最後の北村明子のソロがもう少し長く見せてもらいたかったなという不満がなくはないのだが、今年見たダンスの中では出色の出来栄えであったと思う。

 2月23日 ポツドールの感想を19日の日記に追加。 

 2月22日 レニ・バッソのチケット呼びかけてみたが反応はない。やはり、スケジュール的にぎりぎりだったのが響いているか。とりあえず、明日の分のチケットは当日会場受け付け精算で、23日深夜(2時過ぎ)まで受け付けているので、引き続きよろしく。今週の観劇予定は土曜日 24日が昼、そこばこまち「友情しごき教室」を見てから、夜はレニ・バッソ「Finks」(6時半〜)の予定。日曜日25日はポかリン記憶舎「回遊魚」を昼夜2回見る予定である。その後、26日、27日は引っ越しで東京の荷物まとめと搬出、28日は大阪の搬入作業をする予定。

 2月21日 レニ・バッソのプロデューサーの布施さんから

こんにちは
ごぶさたしてます

今週末のレニ・バッソ公演なのですが
結構集客がきびしく(まあ、大きい会場なので)
頑張って人を呼んでいるのですが
よろしければ中西さんのHPなどでも呼びかけていただけたりしませんか?

よろしくお願いします


とのメールを戴きました。このレニ・バッソFink」はお薦め芝居でもトップに★4つをつけた注目のダンス公演なのですが、どうやら集客に苦労しているようなのです。そこでこの公演に行ってもいいなと思った皆さん、私の状況が状況でオフ会というわけにも行きませんがこのページでも伝言板とメールでチケット予約受け付けます。さらに今回はビッグなプレゼントも。もし、5人以上の団体で申し込んでくれる人がいたら、その代表者に今なら先着順で私が買っていたんだけど転勤で行けない「熊川哲也kバレエカンパニー2001 3月4日NHKホール 3時〜」のチケット付けちゃいます。さあ、熊川ファンの皆さん友人を無理やりつれてアートスフィアに行きましょう(笑い)。レニ・バッソのチケットは金曜日、土曜日とも受け付けますが、会場で受け渡しをしたいので熊川チケットプレゼントは私が行く予定の土曜日のみでお願いします。公演概要は以下の通りです。

        Leni-Basso
                                      
        ArtSphere

レニ・バッソ+アートスフィア提携公演
Finks(フィンクス)
2月23日(金) 開場 19:00 開演19:30
2月24日(土) 開場 18:00 開演18:30
場所:アートスフィア(東京・天王洲) ●料金:S席 前売3300円、
当日3800 円・A席 前売1500円、当日1500円
北村明子レニ・バッソ
10代でデビュー、その後コンテンポラリーダンス界で振
付家・ダンサーとして注目を集め活躍する北村明子とカン
パニーレニ・バッソの新作公演。
●お問いあわせ: 03−3301−2137(レニ・バッソ



 2月20日

 2月19日 熱は微熱だが相変わらず身体がだるくてしんどい。ページの更新をしようと書き始めたのもの気力が続かず途中で断念。

ポツドール「身体検査 〜恥ずかしいけど知ってほしい〜」について感想を書く。演劇のおけるリアルとはなにかについて、見ていていろんなことを考えさせられる舞台であった。最初にまず幕が閉じられたままビデオ映像のように会場の左右に据え付けられたテレビ画面にキャバクラの面接風景が写しだされる。その後、幕が開くとそこはかなりリアルに作られた場末じみたキャバクラの一室で、ビデオ映像のように見えていたのは舞台をそのままリアルタイムで撮っていたのが分かる仕掛けである。この後舞台はあたかものぞき穴かなにかから覗いてみるようにかなりリアルな感じで、キャバクラの店のサービスの実態が再現される。私はこの種の店の実態にはうとい方なのでこれがどこまで実際のこの種の性風俗を再現したものかは不明だが(笑い)、少なくとも群像会話劇の形で展開されるこのシーンは芝居としては「本当らしさ」を感じさせるもので、見逃した前作「騎士クラブ」がやはり群像会話劇のスタイルでアダルトビデオの撮影現場を描いたものだったということを聞いているから、この劇団のひとつのスタイルが岩松了平田オリザらがスタイルとして確立したリアルな群像劇の形式を借りて、そうした手法で性風俗などの現場を描くことにあることを伺わせる。群像劇のスタイルというのは描くべき対象とは関りなく、観客に対してある種のリアル感を与えるための仕掛けであるから、そういうところからこういうことを表現する集団も現れるというのは必然といえないこともない。

 ただ、今回の舞台には別の狙いがあって、このキャバクラのシーンがしばらく続いた後、第2部というのが始って、ここではそれまで、第1部では完全に決められた台本があるわけではないのだが、それぞれ舞台上のキャバクラに登場して、客とキャバクラ嬢、店員を役柄として演じていた俳優たちが今度は素のまま登場して、「恥ずかしい本当の自分」を観客の前に晒して見せようということになる。(まだ続く)。

 2月18日 なんとか起きて熱を計ると平熱だったのでにんじんボーン「小津のまほうつかい/續・小津のまほうつかい」(2時〜)に出かける。終了後、ただちに王子に向かうがポツドール「身体検査 〜恥ずかしいけど知ってほしい〜」(7時半〜)にぎりぎり5分遅れで入場。遅れたとはいえ中央線〜埼京線京浜東北線と乗り継ぎ王子小劇場にたどりつけたのは奇跡的であった。しかし、この強行軍で疲労したためか、王子から家に帰ると微熱がぶりかえして、またもやなにも出来ない。引っ越しの見積りのために22日朝に運送屋に部屋を見せなければならないのだが、片付けの途中で風邪に倒れたため、片付ける前より、見掛け上は散らかってどうしようもない状態である。

 「小津のまほうつかい」は期待した通りの好舞台であった。2時に始って終わるのが6時半(途中休憩25分)という長丁場にもかかわらずそうした長さをいっさい感じさせることがないのが素晴らしい。この芝居は日本映画の黄金時代といってもいい昭和20〜30年代に松竹大船撮影所に集う若き映画人を描いた群像劇である。登場人物は創作上の人物だが、短いシーンをつないで見せていくという手法により、最初はなじみのなかったそれぞれの人物がそれぞれの人生を背負って生きていく年輪が感じられるようになる。内容はコミカルなものではあるのだが、それでも芝居が全体として、哀感の漂う風情となっているのはこの芝居の核に直接描かれることのない2つの「死」があるからである。(続く)

 2月17日 風邪を押して出社。熱が下がらずこの日もなにも出来ない。
 2月16日 医者に行って薬をもらうが風邪は悪化している。今日は早めに寝てなんとか明日は少しは快復することに期待することにする。 

 2月15日 引っ越し準備の途中でどうにも身体がつらいので熱を計ってみるとどうも風邪をもらってしまったようだ。

 2月14日 MONO「なにもしない冬」について。MONOという劇団がここまでほとんどメンバーの入れ換えさえ最小限にして集団ということにこだわり続けて作品を作り続けて来たことは最近の劇団の中では東京・関西を問わず極めて特異な現象なのではないかと思う。集団性へのこだわりは劇団の体制だけでなく、土田英生が自分の集団に書き下ろす戯曲の主題にも色濃くにじみ出ている。「―初恋」「その鉄塔に男たちはいるという」「錦鯉」といった近作がいずれも外部の状況にストレスを受ける集団内部の人間関係をコミカルに描き出したもので、そこにはデフォルメされた形で自分たちの集団のかかえる問題性があぶりだされてくるという仕掛けになっているからである。「なにもしない冬」で描かれるのは素人同然の芸のない芸人が集うサーカスで、典型的に最近のMONOのスタイルが発揮された舞台であった。

 宝くじで大金を手にしたOLが作ったサーカス団。しかし、そこにいるのは素人同然の団長と最近雇われたばかりで、まったく芸のないピエロ見習いの3人、そしてこれも突っ張ってはいるものの他にいきどころのないスタッフ2人。ある田舎町にテントを張り滞在しているものの芸人も動物もいないのでサーカスの興業をやることはできないまま手持ちぶさたな一行。サーカスを呼んだ役場の人間からせっつかれて、集団内部のストレスがしだいに高じていき、しだいにとげとげしい雰囲気になっていく。サーカスは芸を見せるのが本分とすればこれはもうサーカスですらないと言ったほうがいいかもしれない。

 彼らはすでにサーカスとしてのアイデンティティーさえ失っているといえる。途中、才能のない人間はやめるべきかどうかというようなことも取り沙汰されるが、芝居の後半になって分かってくるのは村の中で相手にされずにこのサーカスに加わった水沼健扮するピエロ見習いをはじめ彼らは皆、他の共同体から疎外された行き場のない人間であるということだ。例えこれがサーカスとはいえなくとも集団への帰属という一点でこのサーカスに幾分かのアイデンティティーを求めてしまうのが人間の哀しい性なのである。

 元々はある目的のために結成された集団が集団であることの引力だけで、継続していく。これは土田の手によって戯画化されているが、ありがちなことだけに芝居を見ながらサーカスの形を借りて、様々な他の集団の姿を思い起こさせる。そうした広がりがこの芝居には感じられた。

 MONOは群像会話劇のスタイルを取るが、この芝居でも劇中のダンスや舞台後方を通り過ぎるトロッコ型の装置など会話劇の範疇からはみ出るいろんな要素で観客を楽しませてくれる。この芝居でリハーサルシーンとして繰り返されるピエロたちの踊りも振付としてはなんの変哲もないものなのに音楽であるフレーズがリフレインされると自然に覚えてしまうように妙におかしくて印象に残る。この魅力というのはいったいなんなのだろうというのが気にかかっているのだが、どうも今のところはっきりとはしない。

 2月13日 ひさびさに日記コーナーを更新。このところアクセスが激減。伝言板の書き込みも全然ないけど、留守にしていたこともあるし仕方がないか。もうすぐ累計7万アクセスだが、この調子だと東京に居る間に達成できるだろうか。

 2月12日 MONO「なにもしない冬」(2時〜)、芝居屋坂道ストア「あくびと風の威力」(5時〜)を神戸アートビレッジセンター(KAVC)で観劇。会場で今度はやはり元じゃむちで劇評を書いていた広瀬氏と会い転勤のことを伝えた後、少し話をする。芝居の詳しい感想は後ほど書くつもりだが、いずれも面白く、東京公演は見る価値はあります。

 2月11日 昼過ぎ不動産屋を訪ねてショックを受ける。新大阪の物件はひと足違いで決まってしまったとのこと。構想が根本から狂ったため一瞬ぼう然。他にも物件があるというので新大阪にもう一度出かけるが適当なものがなく、結局、江坂周辺でいくつか物件を見た後で、昨日第2候補だった江坂駅近くのマンションに決める。これは間取り(3LDK)、家賃、部屋の内装などは文句がないのだが、会社の補助範囲に保証金の敷引金がおさまらず契約時に自己負担分が出てしまうため躊躇していた物件だった。でも、江坂駅徒歩6分と交通の便もいいし、一度は新大阪に決めていたため、考えを変更するのにちょっと手間どったが、元々は江坂に住もうと思っていたことを考え、初志貫徹することにした。住所はここに書くのもちょっと語弊があるので知りたい人は私宛に個人メールをしてほしい。

 この日は夜、上海太郎舞踏公司の稽古場を訪ねて、ちょうどこの日開かれていたワークショップの打ち上げに飛び入り参加。その後、麻雀に強引に誘われて、半荘2回をやる。レートは低いが浮きの2位、トップとそこそこ勝った。ひさびさの麻雀でひさびさの勝利だが、これはひょっとしたら、大阪に来たらむしり取ろうという上海太郎の深慮遠謀だったりして(笑い)。そこぐらいはやっても不思議じゃない人だからなあ。 

 2月10日 10日の早朝である。今日から大阪で家探しのため、昼ごろの新幹線には乗らないといけないのだけれど、部屋片付けしていたら夜が明けてしまいこんな風にホームページに書き込みしているのである。大阪では夜は暇なので3日間のうちには上本町のフェネガンズ・ウェイクという店に出没する予定。できれば早めに家を決めて神戸にMONOの芝居を見に行きたいのだが、うまく行くだろうか。

 やはり、早起きはできず大阪・江坂の不動産屋についたのは4時前になる。江坂の物件をいくつか見るが帯に短したすきに長しの状態。夕方に新大阪の部屋を紹介され、ここがなかなかいいのでどうしようか考える。新大阪に住むという発想はなかったのだが、よくよく考えて見れば結構便利ではないか。とにかく、翌日この日に見られなかった物件をいくつか見てから決めることにするが、この時点では9割方、新大阪に決めるつもりであった。

 夜、フェネガンズ・ウェイクに行く。偶然、じゃむちの元編集者・ライターだった柳井氏が現れたので、3月からまた大阪に引っ越す旨を伝え、最近の関西の演劇状況についてひさびさに話を聞く。デス電社(?)という劇団が面白いらしい(後注 これはデス電所という劇団名が正しかったらしい)。この後、やはり偶然店に維新派の松本雄吉氏も姿を現し、大阪転勤の旨を伝えると開口一番「左遷ですか」。当たってなくもないだけに笑えないじゃないか(笑い)。維新派は今年は大阪での公演はなく、夏(8月末)ごろに奈良の室生寺近辺のグラウンドを会場に公演を行うらしい。時期についてはうろ覚えなので後ほど確認しないといけないのだが「明日現地を見にもう一度出かけるが、そこでやるのはほぼ決まり」とのことらしい。

 2月9日 明日からは3連休だが、引っ越しのための部屋探しで大阪に行かなくてはならず見る予定で楽しみにしていた芝居はすべてキャンセルになってしまった。中でも痛恨なのは飛ぶ劇場の「ジ エンド オブ エイジア」が見られないこと。今日が東京初日で始っているはずだが、芝居の内容、客の入りはどうだったのだろうか。

 今月の表紙のポかリン記憶舎。この写真けっこう気に入ってるのだけど、どうでしょうか。さて、表紙シリーズですが、このポかリン記憶舎でまたまた在庫がなくなりました。自転車操業です(笑い)。特に今月は引っ越しのごたごたなどもあり、直接劇場などでお願いするのも厳しいと思うので、自分の劇団の公演写真使ってもいいよという劇団があれば伝言板ないし私あてのメールで名乗りでていただけると嬉しいです。3月に大阪で落ち着いたら、これまでの写真をまとめて、表紙壁紙ギャラリーも掲載したいと思っています。しかし、これまであまり反響もないので企画倒れですかねこの表紙壁紙舞台写真シリーズ。見て感想あればそれも書き込んでくれると有り難いのですが。「これがはじまってから表紙ページが重くなって読みにくい」などというのでも結構ですので(笑い)。

  

 2月8日 引っ越しのために部屋の整理をしていると大学時代に書いたアガサ・クリスティー論の草稿が雑誌、古新聞の山に挟まれているのが見つかった。「叙述の魔術師 〜私的クリスティー論〜」という表題のもので、読み返すと書きっぷりは稚拙で恥ずかしくなるほどだが、クイーンの「フーダニット」、カーの「ハウダニット」に対してクリスティーの本質は最初に意図的に作品のプロットに「ホワットダニット」という謎の形を確立したことにあるという論点自体はいまでも正しいのではないかと思っている。もっとも、この論考ではその結論に到る論証そのものは十分に尽くされているとはいえず、論旨にも甘いところが多々あるので、大阪に引っ越して落ち着いたら、もう一度新たに書き直してみたいという気がしてきた。そんなことばかりやってるから、肝心の引っ越しの準備の方は全然進まずかなり悲惨な状況になってきているのだが……。

 2月7日 2月のお薦め芝居を加筆。

 大阪の不動産業者から物件の資料をファクスで送ってもらい検討しているのだが、大阪での新居はどうやら御堂筋線の江坂周辺になりそうだ。もっともいくら間取りを見ていても私には現状を予測する能力に欠けているので、実際には今週末に行って見てみないとなんともいえないのだが。東京で下北沢に住んでいたので、大阪でも近鉄小劇場のすぐ近くの上本町はどうかなど考えてみたのだが、キタからもあまり遠くなく、東京にもけっこう行くことになるので、新大阪から近いというのも魅力的。以前、大阪に住んでいた時は長居に住んでいたので今度は大阪の南側ではなくて北の方に住みたいというのがあった。阪神間も住むには魅力的なのだが、利便性を考えるとやはり御堂筋線沿線がいいのじゃないかと思われたのである。天王寺近鉄アート館)、心斎橋(ウィングフィールド)、梅田(HEP HAll)も全て一本で行けるし……。仕事のことは全然考えていないのであった(笑い)。 

 2月6日 だれか、関西在住の人で、このページ読んでいる人がいたら、「読んでますよ」と伝言板などで名乗りでてくれると有り難いのだがと2日の日記コーナーに書き込んだらさっそく元遊気舎のサカイヒロトさんと桃園会のはた吉さんが伝言板に書いてくれた。それは非常に嬉しかったのだけどその他は全然反応がないところを見ると演劇関係者以外でこのページ読んでる人って関西にはほとんどいないみたいである。

 観劇ネットワーカーの数は東京の方が圧倒的に多いと思われるし、このページの性格上、これまでは東京の若手劇団の舞台を取り上げることも多かったので、それもいたしかたないなあとは思うものの、ただでさえ、昨年後半ぐらいからこのページのアクセスが頭打ち(というよりははっきりと減少傾向)にあるため、 3月に大阪に引っ越した後、すっかりアクセスが閑散状態になってしまうことの恐怖が脳裏から去らないのである。

 横浜ダンスコレクション2001ソロ×デュオの感想の続きを書く。珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝による新作「ウィズユー1」はカンパニーメンバーの井出雅子と伊藤自身によるデュオ作品である。当初、井出と山下三味子の2人による作品が予定されていたが、山下が怪我で入院したため、直前になって伊藤自身が踊ることになったらしい。

 前作「フリル(ミニ)」がポップ系の音楽を多用していたのに対して、この作品ではシェスタコービッチやグリーグといったドラマチックなクラシック音楽が使われ、バレエのクライマックスシーンのような劇的な音楽に合わせて、それとはどうにも不似合いな脱力系の振付が踊られるのはいかにもキノコならでは趣向であった。ただ、そうした趣向だけではランドマークホールのような広い空間をしかもほとんど素舞台、素明かりに近い照明のもとで、緊密な空間構成で埋めていくには到らなかったか「フリル(ミニ)」での充実ぶりと比較すると完成度の面では物足りなさが残った。

 おそらく、山下の降板による準備不足もかなりあったのではないかということは考慮に入れざるをえないが、その前のアートスフィアでの舞台から判断するにランドマークホールのようなだだっ広くてしかもフリースペースとはいえこの日の客席構成のように観客と舞台が離れてしまっている額縁舞台に近い空間ではインティメートな空間作りに実力を発揮する伊藤千枝の作品の魅力が十分には発揮できなかったのではないかと思われる。それでも、2人のダンサー(井出と伊藤)がそれぞれに違う曲を鼻歌で歌いながら踊るシーンなどなんともとぼけた味で肩が凝らずにポップで軽やかというキノコのダンスの<味わいを堪能できるところもあって楽しめはした。しかし、そうであればこそ全体を通しての流れもやや単調感が漂うなどこの日の舞台には最近の珍しいキノコ舞踊団の舞台水準からいえば完全に満足とはいいにくいものだったのである。

 今回のコンペティションでは結局、横浜市文化振興財団賞とフランス大使館特別賞をDance theatre LUDENSの岩淵多喜子がダブル受賞。フランスへの半年間の留学の権利を獲得した。3日の岩淵の舞台は残念ながら見ることは出来なかったのだが、前作「Be」は昨年パークタワーホールで公演を見ていて、これは振付とともにダンサーの太田ゆかりの特異な存在感が非常に印象に残った舞台であった。このコンペ参加作品も太田とのデュオで「Be」を元に抜粋したシーンが中心の構成だったらしいとの話を聞くかぎり、岩淵の受賞には十分にうなずけるものがある。

 岩淵はDance theatre LUDENSの新作「Es」の公演が2月16〜17日にパークタワーホールで予定されており、これは個人的にもぜひこれまでこのカンパニーを見たことがない人には見て欲しい公演なのだが、私自身は両日ともに仕事で見にいくことができそうにないのがなんとも悔しいところである。

 後、個人的に嬉しかったのは95年の旗揚げ公演からずっと見続けて、これは絶対に面白いと思って、応援し続けていたクルスアシア(濱谷由美子)の作品について、これまでは東京では何人かの人に見てもらったものの某氏には「センスがない」と言われるなど私の周囲では厳しい評価だったのが、今回審査員の何人かからそれなりに評価を得たように聞いたことだ。こちらの方も2月27日にはOMSのイベントTIP COLLECTIONに出演するので、関西の人(あまりこのページ見てる人はいないかもしれないが)は必見である。

 2月5日 お薦め芝居2月(2月12日〜3月11日)を一部掲載。

 2月4日 ランドマークホールで開催された横浜ダンスコレクション2000ソロ&デュオ(2日目、3時〜)に行ってきた。この日上演された作品はコンペ参加作品が北村成美(構造計画志向)「i.d.」、濱谷由美子(クルスタシア)「扉のおくのおく」、砂連尾理&寺田美砂子「ザ・ラスト・サパー」、この他に珍しいキノコ舞踊団、伊藤千枝による新作「ウィズユー1」が昨年のコンペ受賞者による招聘作品として上演された。見られなかった前日は岩淵多喜子(Dance theater LUDENS)、坂本公成モノクローム・サーカス)、松島誠、矢内原美邦ニブロール)、神蔵香芳の5組が出演。この日の舞台を見てつくづく3日の舞台が仕事で見られなかったのが、くやまれた。

 このコンペにはビデオ審査により応募作品中から8組が選ばれたのだが、そのうち4組が関西勢だったというのはけっこう画期的だったのではないだろうか。この日どうしても見に行きたかったのは旗揚げ公演から見て、その才能に注目していたクルスタシアの濱谷由美子と上海太郎舞踏公司に客演した際に出会ってそのユニークな個性にただならぬものを感じていた北村成美が出演したことなのだが、この他にも東京組ではニブロール、Dance theater LUDENSと以前にこのページでも紹介したカンパニーが入っており、非常に面白い人選であったと思う。日本側の審査員はバニョレ横浜プラットホームとかなりだぶっているのになぜこういう人選がバニョレの方ではできないのだろうと疑問に思って、知りあいの審査員の1人に質問をぶつけてみると「それはバニョレの場合はフランス人がいろいろあるから」などとはぐらかされてしまったがどうも納得いかないんである。

 北村成美の「i.d.」は北村のソロ作品で、基本的には1月に京都で見たものと同じだが、この日は上演時間20分の規定があるため、ややショートバージョンになっている。最初のシーンは赤のパンツを見せたお尻を後ろ向きに振り上げて上下左右に音楽に合わせてくるくる動かしていくというもので、確かにオリジナリティーのあるムーブメントだとは思うのだが、若い女性がここまでやらなくてもとその吹っ切れ方に思わず苦笑してしまう。おそらく、北村以外のダンサーがこの振付で踊ったら見ているほうが恥ずかしくなってしまうかもしれないほど猥雑感のある動きも入っているのにこれをカラッとして見せてしまうのはやはり彼女の持って生まれたキャラクターのなせる技というものであろう。もっともこの日はコンペということがあってか観客もけっこう構えてて、相当におかしいことをやってるのに笑い声ひとつ起こらなかったのは京都での公演を見ている私にはこれはやりにくいだろうなあと思われて、思わず同情してしまった。ただ、そういう環境で見ていて分かったのは最初に京都で見た時にはうかつにも気が付かなかったのだが、この「i.d.」という作品には変な動きの連さが単純におかしくくだらなくて笑えるというだけではなく、あくまでも女性の身体を道具として使って、だけど普通に考える例えばバレエに代表されるような美しい身体やフォルムトは違う滑稽さを見せていく中で、根源的におかしくも哀しい人間という存在の姿が象徴的に浮かび上がってくるようなところがあると感じたことだ。

 また、この作品はソロ作品ではあるのだが、舞台後方に張られた白いスクリーンの背後でもうひとりのダンサーが踊り、それが舞台上の北村とシンクロした動きをみせるという仕掛けを持っている。それは視覚的に幻惑効果を舞台にもたらすとともに、影と実体とか、影のダンサーが裸体を思わせるところから女性の持つエロス性などを象徴させていくところがあるのではという指摘をある人から聞き、なるほどそういう見方も出きるのかト思ったのだが、私が舞台を見ている時にはいい意味での猥雑さや滑稽さはそこから感じても、エロティシズやセクシャリティーといった要素をそこから嗅ぎ取ることはできなかった。なぜそうなんだろうということを考えている。

 一方、濱谷由美子と椙本雅子の2人によるデュオ「扉のおくのおく」はCRUSTACEAの作品として昨年末に上演された「ISH vol.4 〜スナッキー〜」の中から2人によるデュオのシーンを抜粋して、再構成したものである。ただ、スナックという設定によるバラエティーダンスショーという雰囲気だった「スナッキー」と比較すると全体から受ける印象はかなり違っていて、激しいムーブメントの純ダンス的な要素が強まっている。とはいえ、それでもこの集団の「らしさ」は十分に発揮されたピースになっていて、北村の作品と立て続けに見ると東京のダンスファンが大阪のダンスはちょっと違うと思わせるに十分なオバカパワーを感じさせたのではないか。

 ダンスのムーブメントにおいてある種の運動性というかアスレティックなスピード感の連続による快感を刺激するような要素はあって、それは舞台において決して小さな要素というわけではないが、CRUSTACEAの魅力はむしろその表現しようとする対象に対して取る距離感にある。例えば「スナッキー」で取り上げたスナックという業態がフロアレディー(と呼ぶのだろうか)というような形である種の性サービスの要素を持っていることは否定できないが、それは性風俗のように直接的に性に関ることをサービスするのではないから、そこではキャバクラなどとは違って、そうした要素は微妙に隠ぺいされた形で関ることになる。この「間接性」がCRUSTACEAのパフォーマンスと「スナック」の共通点でもあって、そこにはある種の挑発はあるのだが、性あるいはエロスというものが一昔前のアングラ劇のように直接的に表現行為につながっていくのではなくて、そこで一度、「記号」に分解され、意味性を宙づりにされるのだ。だから、そこでは「記号」としてのフェティッシュなものは残るのだが、エロス性そのものが表現されるわけではない。

 この方法論は例えば東京の表現集団を例に取ってみるとロマンチカなどと相通じるところもあるのだが、ロマンチカの場合は「記号」として純化された要素が林巻子の鋭い美的感覚により吟味され、再構築されるようにあくまで美という方向性を取るのに対し、CRUSTACEAではバカバカしさやべたな笑いさえその中に含んだキッチュな雰囲気にと転化されていく。

 舞台芸術としてのダンスはもともと芸術としてのダンスの確立の歴史を背負っているためか大衆性を嫌うところがある。しかし、CRUSTACEA=濱谷由美子にはよい意味での健全な大衆性への志向があって、それはもちろん裏腹に表現に取っての危うさを含んでいるのだが、先に挙げたようにその表現が表現対象に対する距離感を保っている限りにおいては「現代芸術」と「大衆性」は両立しうるというのが私の考えで、だからこそいまこそ濱谷の作品は旬なのだと思うのである。


 これに対して砂連尾理&寺田美砂子「ザ・ラスト・サパー」は名前だけは聞いたことがあったが初めて作品を見ることもあり、ちょっと戸惑ってしまった。もう何本か作品を見てみないと正確なことはいえないので、あくまでこの作品を見ての感想だが、この2人はもう少し純ダンス的な作品で勝負した方が生きるタイプの表現者ではないのだろうか。作品の前半で、いきなり、効果音(B.G.M.)として料理番組が流れていたり、即席ラーメンを袋から取りだして舞台上で食べたりして笑いを取っていたのだが、そういうところは私にはおかしくもなんともなかったからだ。ある人が最近はダンス作品で踊らない作品が増えてきたと言っていて、そういえばそうかもしれないと思った。この作品も典型的なそういう作品でだからもう少し運動性の高い振付で踊るところを見ないとはっきりしたことは言えないのだが、この2人はダンサーとしては相当踊れる人ではないかと思った。だから、関西に行ったら一度じっくりと作品を見てみたいとは思わせられたのだが、この日の舞台に関する限りは残念ながら、ちょっと奇を衒ったのがこけた感じであまり面白いとは思えなかったのだ。

 ただ、この日は3本とも関西の振付家の作品で、関西=バカダンスという印象を東京のダンス系観客にすっかりと植え付けてしまったのではないか。一時期演劇において、関西劇団=お笑いのイメージが定着した時期があって、最近は京都の劇作家の活躍によって、そうした一面的なイメージは薄れつつあるが、一方ではそうした定評が関西の劇団は楽しめるということで一定の固定ファンを引き付けたという側面もないではない。こうなったら、いっそ開き直って、関西のダンス=ダンス芸人に徹するというのもひとつの手かも(笑い)。こんなことを書いてると大阪に行った後、怒られそうだけど。

 

 

 2月3日 2日の日記に土曜日は南河内万歳一座などと書いたが劇団に連絡してみるとスケジュールを1週間間違えていたことが判明。情けない。そういうわけで今日はもし仕事が早めに終われば来週見るつもりにしていたのが部屋探しで見られなくなった東京タンバリンに行ってみるつもり。

 と書いたのだけど、結局、7時開演に間に合うのが無理だったので、見に行くことはできなかった。もう少し正確に言えばぎりぎり着くかなと思って神田駅から中央線快速に飛び乗るとその列車は高円寺を通過。まだ、少しだけ時間があったので今度は逆方向の電車に乗るとこれも通過。結局、中野駅のホームに取り残されたのが、開演時間の7時ちょうどだつたため、諦めてそこで降り、駅前のとんかつ屋で夕食をとり、すごすごと帰宅したのであった。

 関西への転勤はこのページの1月の日記でショックを受けてぼう然となったと書いたが遅々として進まぬ引っ越しのための部屋片付けを除けば段々と楽しみになってきている。大学時代に6年、就職した後も6年と合計12年間も住んでいたこともありもともとホームグラウンドのような街だから、考えてみれば向こうの方が知りあいも多かったりするのである。演劇やダンスでもう少し見続けていたかったのにと後ろ髪を引かれる思いで、東京を去ることになる理由となる若手の集団は少なくないのだけれど、これも考えてみれば東京に最初に来たころは多い時には月2回のペースで関西に行っていたのが昨年などは数が減ってしまったというのは仕事が忙しくなったというようなことは若干あるにせよ、当時は大阪(あるいは京都)まで行かないと見ることのできなったかなりの劇団、例えば MONO、遊気舎、惑星ピスタチオ、199Q太陽族、M.O.P.、故林広志(ガバメント・オブ・ドッグス)、桃園会、松田正隆(時空劇場)の芝居が東京でも見られることになったという状況の変化が大きい。

 逆にこの間に以前は関西では見ることのできなかった青年団、ジャブジャブサーキット、弘前劇場大人計画サモアリナンズなどがほぼ定期的に関西公演を打つようになったということを考えればこのレベルの劇団における東西の情報ギャップはいまやそれほどないということができる。それに加えて、いろんな事情で今では東京では見ることの難しい維新派、上海太郎舞踏公司、名古屋の劇団だけどプロジェクト・ナビなどは関西では地元で見られるというメリットも合わせて考えれば大阪行きはけっこうラッキーなんじゃないかと思えてくるから不思議である。

 だから、ポかリン記憶舎、桃唄309、トリのマーク、reset-N、ロリータ男爵などの公演が大阪で見られるというのもあながち夢想だけではないと思われてくる。むっちりみえっぱりと見るのは難しいかもしれないけれど(笑い)、ネットで公演情報を知ったら東京にやってくると思うからこれもまあいいだろう。

 劇作家協会新人戯曲賞で佳作を受賞した「あくびと風の威力」で初の東京公演を行う芝居屋坂道ストアを今回は転勤のどさくさで見逃してしまうのは残念なのだが、最近東京に居て、いらいらしていたのはこのクラスの若手劇団の情報があまり入って来なくて、関西の状況がよく分からなかったことだ。

 私もかかわっていた関西発の演劇情報誌じゃむちがあったことはそれでもまだ漠然とした状況は分かったのだが、ネットなどを通じて情報は入っても、逆にそれがある程度東京の演劇(ないしダンス)状況に通じた人の情報でないとそれが無名時代の猫ニャーと比べてどうなのかなど東京の若手劇団のレベルの中でどう位置づけられるのか分からないと東京に住んで7年になる私にはイメージがすでに湧きにくくなってしまっているのだ。

 東京に来ないからといってそういう集団が実力的に劣るのかといえばいろんな事情で東京での公演は実現しなかったがかつての犬の事ム所(大竹野正典)、クロムモリブデン(東京公演はあったけど最近は停滞してる感じ)、NEUTRALなどは関西まで遠征しても十分に元が取れる芝居を上演していただけにそのレベルの若手劇団がこの7年の間に出ていないとは思われない。だから、使命感というほどの大げさなものじゃないのだが、東京まで名前の聞えてきている劇団以外にそういう実力派の劇団がいるんじゃないか、7年たってそういう劇団を見つけて再び東京の人(関西の人にはもちろん)に「これは凄いよ、大阪まで見に来ても損はないよ」と宣伝するのに絶好の時期ではないかと思われてきたのである。

 ちなみに話は聞いたことはあって興味は持っていてまだ見てない関西劇団にはベトナムからの笑い声、スクエア、売込隊ビーム、芝居屋坂道ストア、三角フラスコなどがあってこのあたりは公演があったらぜひ観劇して、レビューも書きたいと思っている。  

 2月2日 2日のこのページへのアクセス数が急に増えている。転勤のことをいるか Hotelと遊気舎の伝言板に書き込んだので、そのせいかとも思うが、どうもそうでもないようで嬉しいもののどうも気味が悪くもある。これまでの伝言板などの書き込みパターンからするとページを覗いてくれているのはやはり大部分は東京の人で関西の人は少ないのじゃないかと思われる。関西に引っ越しした後もこのページを継続していくとしてどうもそれが心配なのだが、本当のところどうなんだろうか。だれか、関西在住の人で、このページ読んでいる人がいたら、「読んでますよ」と伝言板などで名乗りでてくれると有り難いのだが。

 転勤(1月の日記参照)による引っ越しのため部屋の掃除をしているが全然片付かない。部屋は片付かないがモノを移動しているといろんなものが出てくる。雑誌を整理していて、「広告批評」の98年3月号が出てきた。この号ではクリエイターマップ98と題して今後の活躍が期待される若手アーティストを各分野で10人づつ紹介しているのだが、その時に依頼された私が「PLAY」(舞台芸術部門)で選んだのが井手茂太北村明子/大島早紀子/土田英生西田シャトナー/長谷基弘/はせひろいち/後藤ひろひと/林巻子/ブルースカイの10人であった。この間に後藤ひろひとが遊気舎を退団、西田シャトナーは劇団を解散するなどあっても、昨年、ひさびさに公演活動を再開、健在ぶりをみせてくれた林巻子や今年は他劇団への書き下ろしがめじろ押しますます注目を集めそうな土田英生などこの10人は依然この世界での活躍が期待されているアーティストであることには変わりなく、自画自賛のようで気持ち悪いが「広告批評」という先物買い情報がほしい人たちが購読する雑誌に取ってはけっこういい人選だったのじゃないかと思っている。

 さて、そこで考えたのはこの時から3年たって、今新たな10人を選ぶとするとどうなるかである。田辺茂範/明神慈/濱谷由美子/山中正哉/ヤザキタケシ/泊篤志/夏井孝裕……とこの辺りで止まってしまった。クリエイターという制約から3年前にも当時集団創作だった珍しいキノコ舞踊団をはずしているので、今回も「水と油」ははずさざるをえないだろう。もちろん、今、あえて伊藤千枝をいれるという手はなくもないのだが。後迷うのは畑澤聖悟、谷省吾、橋本健といったところなのだが、なんとなくこのラインナップに入れるには座りが悪いような(笑い)。この企画それぞれのアーティストの具体的な紹介を含めて、引っ越しなど一段落したら本格的にやるかもしれません。期待しないで待っててください。

 2月の観劇スケジュールが固まった。もちろん、引っ越しとかあるので流動的なのだが、今週末は横浜ダンスコレクションソロ×デュオ。もっとも、ニブロールなどが出演する土曜日(3日)は出社となったので行けそうになく、北村成美、濱谷由美子、伊藤千枝の作品が見られる日曜日(4日)だけになりそう。土曜日はもし仕事が早めに主終了すれば南河内万歳一座「錆びたナイフ」に行くつもり。10日〜12日は大阪に住居探しに行くので飛ぶ劇場など見ようと思っていた芝居は全滅だが、なんとか早めに決めて神戸まで足を伸ばしMONO「なにもしない冬」だけは見てくるつもり。17日はまた仕事。18日はなんとか休めそうなので、にんじんボーン「小津のまほうつかい」(2時〜)を見てから、東京を離れる前にこれだけは自分の目で確認しておきたかったポツドール「身体検査〜恥ずかしいけど知ってほしい」(7時半〜)を見るつもり。引っ越しの予定がまだ流動的なものの東京最後の週末となる24日はレニ・バッソ「FINKS」(6時半〜)、25日はポかリン記憶舎「回遊魚」(2時半〜、6時半〜)をどうしても見たい。

 3月は向こうに行ってみないとどうにも予定が立たないところだが、いくらなんでも3月4日の熊川哲也&Kバレエカンパニーの公演、せっかくチケット買ったのに無駄になりそうなのが本当に頭が痛い。その他にも3月は新国立劇場の山崎広太、伊藤キムの公演や勅使川原三郎の公演もチケットをすでに買っていてこちらの方はなんとか東京まで来て見たいのだが、大阪での勤務体系が分からないとどうにもならない。ただ、一つ不幸中の幸いはいるかHotel「かぷせるかいじゅう」の公演がいきなり3月初めにあって見にいけそうなこと。大阪最初の観劇はこれになりそう。  

 2月1日 月替わりで私が期待する注目の劇団の舞台写真を紹介している下北沢通信の表紙シリーズもreset-N、飛ぶ劇場、トリのマークに続き今回は第4弾。今月の表紙はポかリン記憶舎です。この表紙を見て興味を持った人はついでに2月23〜25日に予定されている次回公演の概要も明神さんが送ってくれたのでこれもいっしょに掲載しておきます。ポかリン記憶舎は昨年上演された「オン・シツ」を2000年のベストアクトとしたほど私が今もっとも注目している劇団の1つです。次回作品「回遊魚」は「Pictures」「オン・シツ」に続く夜の渕3部作の完結編ということで、前2作はどちらも絹糸を張り詰めたような緊張の中に不思議な透明感を漂わせた舞台として傑作という名に相応しい舞台だったので、今度もおおいに期待していいのではないかと思います。表紙の写真はガーディアンガーデン演劇フェスのプレゼン特別編の時の舞台です(未確認ですがおそらく間違いないと思います)。

 

ポかリン記憶舎・明神慈


               ご案内

 夜露にぬれた人影ひとつない舗道は微かに光を放ち、やがて昇りゆく下弦の月
をひっそりと待っている・・・。そんな心静かな夜に出会えることがあります。
皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
私どもポかリン記憶舎は新世紀を迎え、新たな演劇創造の可能性を示すべく舟を
漕ぎ始めました。行き先はもちろん楽園です。第8回公演となる「回遊魚」は、
「Pictures」「オン・シツ」に続く夜の淵三部作の完結編として上演さ
れます。止まってしまったままの時間や後悔を、呼吸をするようにやわらかく包
み込んであなたの心の岸辺へお届けします。
どうかあなたの大切な人といらして下さい。
夜よりも深い場所へとご案内いたします。

 会場のモーダポリティカは渋谷駅南口より徒歩20分、表参道駅A1出口より
15分となっております。会場・演出の都合上、開演後のご入場をお断りする場
合がございます。お早めのご来場でゆったりされることをお薦めします。
 それでは、楽園の入り口にてご来場を心よりお待ちしております。
             
                      ポかリン記憶舎・舎長 明神慈





     ポかリン記憶舎#8「回遊魚」 www.pocarine.com 

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2001年2月23(金)〜25日(日) at MODAPOLITICA

2月23日(金)19:30   
  24日(土)15:30 19:30   
  25日(日)14:30 18:30

*上演時間70分(予定)
*会場・演出の都合上開演後の入場をお断りする場合がございます。
 お早めにご来場下さいませ。
*10歳以下のお子様のご入場はご遠慮願います。
*開場・受付開始時間 開演の30分前

*チケット料金 前売り 2500円(日時指定自由席)         
        当日  2800円

*お問合せ PRT 03−3970−4306            
          070−5005−2507
*チケット取扱い ぴあ 03−5237−9988          
         PRT pocarine@tokyo.interq.or.jp(e-mailのみ)

MODAPOLITICA
港区南青山6−6−21
http://www.modapolitica.com
地下鉄/銀座線・千代田線・半蔵門線表参道駅B1出口より徒歩15分
バス/渋谷駅より01系統新橋行にて2つ目南青山7丁目下車徒歩1分