下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

WHAT’S NEWと日記風雑記帳1月

WHAT'S NEWと日記風雑記帳1月

 1月31日 転勤のことで伝言板に励ましの言葉を書いていただいた皆さん、どうもありがとうございました。引っ越し業者に下見に来てもらうまでに新聞紙と本の山に埋まっている部屋を片付けないといけないのだが、一晩やっても作業は遅々として進まず暗たんたる気分で夜明けを迎えたのはつらいですが(笑い)、それ以外は関西行きしだいに楽しみとの気分になってきております。ただ、心残りなのは2月10〜12日に大阪に行き、部屋探しをしなくてはならないため、楽しみにしていた飛ぶ劇場が今回はどうしても見られそうにないことですが、皆さん感想など聞かせて下さい。

 たにせさんせっかく何度もメールでお誘いいただいたのにすいませんでした。公演概要を取りあえず掲載しておきますので、興味を持った人はぜひ劇場に出かけてみて下さい。

■■■飛ぶ劇場 vol.19 ジ エンド オブ エイジア■■■

ヒマラヤの山小屋での悠久の時間。
篤志の作・演出作品、北九州から年に一度の(?)遠征です。
詳しくは劇団サイトをご覧ください!!
http://ww2.tiki.ne.jp/~tobugeki/

◆◆◆初の関西公演!
会 場 伊丹AI・HALL
    (JR伊丹駅前)
2月3日(土)19:00
2月4日(日)14:00
      開場は開演の30分前

一般前売 2,500円(当日3,000円)
学生前売 2,000円(当日2,500円)
※全席自由(日時指定/入場整理番号つき)
※学生前売は劇場予約のみ TEL.0727-82-2000
チケットは以下で発売中
・チケットぴあ(ファミリーマート)Pコード:403-492
・劇場/劇団予約(チケットは当日精算になります)

●バックステージツアー(装置の裏側などをご案内)
 3日(土)公演終演後開催(約30分間、無料、要予約)
●オフシアタートーク 泊篤志×岩崎正裕(199Q太陽族
 4日(日)公演終了後開催(初日の半券でもご入場できます)


メール予約は一般券のみです。
日時と枚数、代表の方のお名前をお書き下さい。
当日、受付で入場整理番号のついたチケットをお渡しします。
開場時間においで下されば、予約の早い順に入場できます。
※学生さんは割引料金のため、一般入場列の後に並んでいただきます。
どうしてもはやい入場を希望される方は、一般券を購入すると可能です。

◆◆◆98年の大世紀末演劇展、99年の東京フェス(芸術劇場)に続き3度目の東京公演!

会 場 シアタートラム
 (世田谷区/田園都市線三軒茶屋駅前キャロットタワー1階)

2月9日(金)19:00
2月10日(土)17:00
2月11日(日)14:00
      開場は開演の30分前

一般指定前売 2,500円(当日3,000円)
学生指定前売 2,000円(当日2,500円)
チケットは以下で発売中
・チケットぴあ(ファミリーマート)Pコード:310-986
・くりっくチケットセンター
・劇団予約(チケットは当日精算になります)
※座席表は下記でご覧になれます。
http://home4.highway.ne.jp/tamayura/dp-neo/kazu_sheet.htm


メールには日時と枚数、一般/学生の区別、代表の方のお名前を書いて下さい。
座席は予約の早い順から、良い席を取りますので、こちらにお任せ下さい。
(一応、「後ろの方がいい」などご希望があればどうぞ)
●バックステージツアー(装置の裏側などをご案内)
 10日(土)公演終演後開催(約30分間、無料、要予約)
※せまくて危険なので、たくさんの予約は受けられないのですが、
舞台裏に興味のある方はお問い合わせ下さい。
※ツアーは観劇なさった方のみ対象となります。
観る前に知ると面白くないこともありますので・・・。(伊丹も同様です)


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 劇的企画NEO/谷瀬未紀 dp-neo@pc.highway.ne.jp
〒802−0974 北九州市小倉南区徳力4−18−6−201
TEL&FAX 093−965−1555 (携帯/090-8410-9263)



 1月30日 なんかいつのまにか1日ずれていたようだ。昨日思わせぶりなことを書いたのでなんだろうと思った人もいるだろうが、3月1日から人事異動で関西(大阪)に転勤が決まった。思えば会社の転勤で大阪からこの下北沢に引っ越してきたのが、93年の春のことだから、7年ぶりで大阪に戻ることになる。 2月10日〜13日には大阪に行き住居を探すことにしたのだが、今回の転勤で取りあえず2月の予定は完全にデフォルト状態である。異動の時期だけに社内での部署異動はあるだろうと覚悟していたが、まさか大阪転勤とは考えていなかったので昨日は完全にぼう然自失状態だった。

 異動が決まった時に真っ先に考えたのはこのホームページをどうしようかということだったのは我ながら会社員失格だが(笑い)。最近、アクセスもじり貧。こちらもろくに更新してない状態なので、自業自得ともいえるが、モチベーションが落ちていたところで、転勤の内々示を聞いたので思わずこのままなにも言わないでフェードアウトしてしまおうかとも思ってどん底状態になってしまった。もっとも冷静になって考えてみればこれまでも注目の公演があれば時には月に3回も関西に行ってたこともあるわけだし、もともと居たことのある土地で、知人(演劇・ダンス関係者も大学時代の知りあいも)もいるので、東京での公演などがいままでほど見られなくなるのは残念なのだが、ひさびさに関西に戻るもの悪くないなと思いはじめている。そういうわけで、3月からは関西に行くことになったが、今後は今まで以上に関西の若手劇団などを見つけて紹介していくことにしたいので今後もよろしくという感じである。問題はこのページの「下北沢通信」のタイトルなのだが、看板に偽りあるだから変えようかとも考えたのだが、知人に聞いたところ「別にいいじゃない」との答えももらったんで、取りあえずこのまましばらくは続けようと思うのだが、どうだろうか。どうもこのページ読んでいる人で関西の人は少ないようなので東京の劇団の関西公演は見るだろうし、東京にも来るつもりだけど、これまでのようなペースでは東京の舞台を見ることはできないのでアクセスがますます減って閑散状態になるのが心配なのだけど、まあそうなったらそうなったまでか(笑い)。

 さて、大阪で住む場所だが、とりあえず御堂筋線沿線(江坂周辺)か阪神間のどこかでと考えているのだが、関西をかなり長く離れているので相場がどのくらいか分からないのが不安ではある。  

 1月29日 会社でショックなことがあった。まだ、頭が整理できてないので、詳しくは明日以降にということになるが、近く重大発表をしなければならないことになりそうだ。 

 1月28日 トリのマーク「ひかり、あたらしい椅子、バジルの庭」を観劇。12カ月連続公演の最後の公演であり、今回はトリのマークの6人のキャスト全員がそろいぶみ。ギャラリーブロッケンのガラス窓からは前日に降り積もった雪で神様からの贈り物のように風情が出た「冬の庭」も見え、いつもどおりの借景も魅力5割アップといったところ。ラストを飾るに相応しく、総集編といった趣の舞台であった。

 芝居の中に登場する謎めいた奇妙なイメージ。外を徘徊しているらしい「たる男」、「計画中止」と告げる謎の女、庭の垣根が文字風に刈り込まれていたり、作り物の「タマネギ」の束が吊るされたり。謎が謎を呼ぶ展開が解決されることなく、重なりあうイメージが重層的になんとも不可思議な世界を現出していくのが相変わらず面白い。

 もっともここの芝居の魅力は芝居の中で起こる事件そのものやストーリーにあるのではなくそれぞれの俳優が演じて、そこに存在しているキャラクターの面白さにあるので、連続公演を続けてきた意味はそれを通じて、それぞれの俳優の持つキャラクターが公演を通じて以前よりはより目鼻立ちがはっきりしてきたことにあるかもしえれない。特に最初はニューカマーだったということもあり、オオボケキャラの中村智弓、人を喰った感じの櫻井拓見。この2人の進境は著しく、芝居において本舞台を踏むということがいかに俳優を成長させるかということに改めて驚かされた。もっとも2人とも本当の意味でキャラクターが立っているというよりはまだまだ山中の当て書きに助けられているというのも確かなのだが。

 おそらく、現在のスタイルとしてはトリのマークの芝居はほぼ完成の域に近付きつつあるのではないかと思われる。12カ月連続公演も全ての公演をフォローすることは出来なかったので、無言劇あり、グローブ座での大空間を使いこなした公演ありと新たな挑戦もその中には含まれており、そうした中で今後どんな新たな展開が試みられるのかというのには予断を許さないところがあるのだが、わがままな観客としては現在のスタイルの持つ魅力は十分に評価しながらも、これまでやらなかった新たな挑戦にもより期待したいという気にもなっている。差し当たり、関西に引っ越してしまう私としてはトリの公演の時には優先的にスケジュールを調整して、東京にやってくるともりではあるのだけど、なんとか受け皿を作って関西公演を実現するために頑張りたいと思っているのだが、トリのマークの場合、場所が問題だからなあ。 

 1月27日 朝から大雪であった。雪の降り積もる中、仕事に出かけた後、夜はオリガト・プラスティコ「カフカズ・ディック」を見る。

 「カフカズ・ディック」はKERA流の評伝劇である。KERAらしくギャグは交えてあるが、意外にもこれは変化球というよりは直球で真摯にフランツ・カフカの生涯に迫った舞台であった。KERAは以前ナイロン100℃の初期作品で「SRAPSTICS」という無声映画時代のコメディアン、ロスコー・アーバックルの栄光と挫折を描いた評伝劇の傑作を書いたことがあるのだが今回の「カフカズ・ディック」はそれを思いださせる好舞台で、この人の才能の多彩さを再確認させられた。

 なんといってもこの芝居ではカフカを演じる小須田康人カフカを評価し、その真価を世間に認めさせようと孤軍奮闘したマックス・ブロートを演じた山崎一が素晴らしい。山崎一といえばやはりKERAと組んだ「カラフルメリーでオハヨ」での哀しくもおかしな演技が忘れ難いが今回のマックス・ブロートもそれに匹敵するような人間の哀しさを醸し出す印象深い人物像に作り上げた。小須田康人もこうしたどこか壊れた人間を演じた時の凄みはこの人だけのものでこの2人をキャスティングしたことがナイロン100℃の最近の公演と違うテイストをこの舞台に与えた。

 この芝居での小須田が面白いのは戯曲自体の構造がそうだということもあるのだが、カフカというのはこういう人間だったと演じてみせるというにではなくて、カフカを巡る3人の恋人(フェリーツェ、ミレナ、ドーラ)と妹オットラ、親友マックス・ブロートの関係を描いていくことで、「不在の中心」のようにカフカの謎めいた姿が浮かび上がってくることで、その「不在の中心」として存在するというところに小須田の俳優としての特異性が生かされているのではないかと思う。

 さらにカフカの生涯だけでなく、そこに入れ子状に「断食芸人」などカフカの作品の引用を挿入していくことで、ここでもやはり「不在の中心」としてのカフカが陰画として立ち現れるような仕掛けとなっている。普通の評伝劇というのはその典型と思われる井上ひさしの作品などを見てもらえば分かるように主人公の伝記的事実に沿って例えば「頭痛肩凝り樋口一葉」でいえば樋口一葉という人はこんな人だったんだよという作者の解釈のようなものが提示されるものだが、「カフカズ・ディック」ではそうではなく、作者はエピソードの断片から観客にその解釈をゆだねるような形を取っているのだ。

 オリガト・プラスティコはもう一方で東京乾電池の女優、広岡由里子の主宰するユニットであり、ここで広岡はカフカの恋人のフェリーツェを演じるだけでなく、早変わりで色々な役柄を演じ分けてみせてくれる。この人は竹内銃一郎によれば天才だというほど優れた女優ではあるが、ここでは自分のユニットでありながら主役にこだわるのではなく、子どもからおばさんまで喜々として演じているのがなんとも楽しい。



 1月25日 21日の項にがーまるちょばの感想を加筆。24日の項に「母たちの国」の感想を追加。

 今週末の観劇予定。土曜日は仕事なので予定はちょっと組みにくいのだけど仕事が早めに終わればオリガト・プラスティコ「カフカズ・ディック」を見に行くつもり。日曜日はできれば昼夜2ステージ、トリのマークを見る予定。

  

 1月24日 新国立劇場「母たちの国へ」(2時〜)、フラジャイル「BRIDGE」(7時半〜)を観劇。このところ更新が滞っていた日記コーナーをまとめて執筆することにした。加筆したのは20日に見た静岡芸術劇場「サド侯爵夫人」の感想などで、20日の項を参照のこと。

 新国立劇場「母たちの国」は松田正隆のよさが存分に発揮された好舞台であった。最近、その作品の幅を広げようと散々にもがいている感のある松田には不本意かもしれないがこういう作品を見てしまうとやはり松田の最良の資質が発揮されるのは長崎モノにおいてではないかということを改めて実感させられた。私が最初に松田正隆作品と出会ったのは92年に時空劇場によって上演された「紙屋悦子の青春」を扇町アクト・トライアルという若手劇団を紹介する企画で見た時で、戯曲の紡ぎあげる世界の普遍性に驚き、これはちょっと特異な才能でいわゆる小劇場演劇の範疇に入るというよりはむしろ文学座などで上演されてもおかしくないものじゃないかという感想を持ったのだが、その後の松田の快進撃を考えれば今その作品が新国立劇場でその文学座を代表する演出家の手により上演されているということはなんの不思議もないものの当時のことを思えば幾分かの感慨もないではない。

 しかもキャストされているのが岡本健一南果歩、谷川昭一朗という私に取っては好みの俳優たちによるものだけに松田戯曲に彼らが登場して演じているというだけでもちょっと不思議な感じがしてくるのだった。

 いきなり、きわめて個人的な感想になってしまった感があるが、この舞台で妙に魅力的だったのが直子を演じた小川範子の存在であった。直子という役名の登場人物は松田作品には「坂の上の家」「海と日傘」「月の岬」と繰り返し登場してきてある意味で「永遠のヒロイン」を象徴しているようなところのある役柄なので、この芝居においても重要な役柄であることは間違いないだろう。だが、この芝居で直子の存在が際立つのはやはり主要登場人物である健次、惠子、幸一が思わぬ告白で自己の持つ心の闇の一端を告白するシーンがあるのに彼女だけは「語らない」からである。

 松田の芝居においては日常的な会話で物語が進行していく過程で語られることと語られないが暗示されることが重層的に折り込まれているのだが、この芝居ではもちろん健次、直子の夫婦と同居している直子の姉・惠子、健次の兄・幸一の2組の兄弟(姉妹)の微妙な関係がメインのモチーフになっていることは確かなのだが、中でもなにごとかに苛立っているかに見える直子の態度が自らは語らないで何事かを語っているのが妙に気にかかったのである。

  

 1月23日 恩田陸「象と耳鳴り」を読了。これも17日の項に書いたように「このミス」の上位作品だったので昨年末に購入したまま放置していた本だった。恩田陸という人は評判は最近そこここで聞いていたのだが、これまでなんとなく幻想小説やホラーが本領の作家と思い込んで敬遠していたのだがこれを読んでびっくりさせられた。本格パズラーの短編集という意味では近来まれな充実ぶりだと思うからだ。ミステリの魅力はロジックにあるといえば陳腐な言い方になるが、ミステリにおけるロジックの面白さというのは論理性ではなく、語り口すなわちレトリックにあるのだと思う。その意味ではともにハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」に対するイマージュともいえる純粋推理譚「待合室の冒険」「机上の論理」の2編は忘れ難い印象を残す。もっとも作者は意識してないかもしれないけれど「きょうは、ようへんてんもくのよるだ。」と「海にいるのは人魚じゃなんだよ」。それぞれ主人公がふと思いだした会話の断片から始り、延々と推論を積み重ねていくことから最初は予想もしなかったような事件の真相にたどりつくという「海にいるのは人魚ではない」「曜変天目の夜」の2編も言ってみればその姉妹編のような構成を取っているから、この短編集自体がそうした純粋推理譚への志向を強く感じさせるのである。キャラクター的にも一応全体が退職判事関根多佳雄を探偵役に据えた連作短編の趣向を取っているのだが、副登場人物として登場する妻の桃代、息子の春、娘の夏とファミリー全員が推理癖を持つ論理フリークで、多佳雄がメーンでない作品もあるほどなのである。関根ファミリーにはこれ以外にも作者のデビュー作「六番目の小夜子」に登場する関根秋もいる由で、もし一家せいぞろいで登場する長編があったら「毒入りチョコレート事件」のような派手な推理合戦が展開されそうで楽しみなのだけど……。

 1月22日 仕事のみの1日。 

 1月21日 STスポットダンスシリーズ「ラボ20 #9」(2時〜)、がーまるちょば「サイレントコメディー2」(7時〜)を観劇。

 がーまるちょば「サイレントコメディー2」について感想を書く。清水きよし氏のもとでパントマイムを師事していた吉見ヒロシが大道芸人のケッチ!とユニットを組んでの公演で、ユニット名でもある「がーまるちょば」はグルジア語で「こんにちわ」の意味らしい。それほど深い表現があるというわけではないが、映画などを題材にパロディーをちりばめたショーという感じで、パントマイムを駆使はしているもののいわゆるパントマイムにありがちなマイムマイムした臭みはなく、笑いのセンスも少しべたなところはあってもなかなか洒落ていて、その意味でのレベルはかなり高い。

 全体は2部構成。プログラムを簡単に紹介すると1、オープニング、2、イス(ケッチ!ソロ)、3、追跡、4、ドラゴン 怒りのラーメン、5、透明人間 

 1部は「2001年宇宙の旅」から吉見がロボットに扮しての「オープニング」から小品をつないでいく構成。いずれも物語をじっくり見せていくというよりはアイデアを生かしたコント風の作品だが中でも吉見のソロ作品「ドラゴン 怒りのラーメン」が秀逸。表題からも分かるようにブルース・リーに成りきった吉見があの「ドラゴン 怒りの鉄拳」のテーマ曲に合わせて、インスタントラーメンを作るところを演じるという本当に表題から予想されるまんまの作品なのだが、それでも笑ってしまうのはそのデフォルメされた形態模写が秀逸だからだろう。吉見の演じるリーはかなりへなちょこなのに瞬間的には非常にかっこうよかったりするところがこの人の不思議なキャラクターである。

 第2部は「スターウォーズ?」でこちらは映画「スターウォーズ」のパロディーである。これがけっこうチープな作りで、冒頭シーンで頭にそれぞれ惑星とデススターのオメンのようなものをつけた2人が「スターウォーズ」のテーマに合わせてせこい戦いをするところとか、バケツで作ったR2D2などが笑わせてくれる。ただ、そういうしょぼい面白さが全編続かなくて途中から原作に妙に忠実になってしまっていたのが惜しまれた。 

 1月20日 静岡芸術劇場「サド侯爵夫人」を観劇。三島由紀夫の戯曲を公共ホール演劇製作ネットワーク事業という形で舞台化、地方の7つの公共ホールの共同製作により巡演する。わざわざ静岡にまで足を運んだのはク・ナウカの美加理がタイトルロールでもあるサド侯爵夫人ルネを演じることになっていたためで、その意味ではク・ナウカで培った語りと動きの双方の技量が存分に発揮された舞台でこれを実際に見ることができただけでも十分にもとは取れたというところであろう。もっとも、芝居全体のバランスという意味ではプロデュース公演ゆえの限界も感じさせられた。

 ルネの母親であり、この芝居のもうひとりの主役であるモントイユ夫人を演じる夏木マリ、サン・フォン伯爵夫人の久保庭尚子(SPAC)、シミアーヌ男爵夫人の木全昌子(兵庫ピッコロ劇団)、ルネの妹アンネの平井久美子(兵庫ピッコロ劇団)。こうした個々の俳優の演技スタイルの違いが目だって、全体のアンサンブルがひどくバランスを欠く感が否めないのである。演出の原田一樹の演出プラン自体は戯曲の読み取りにおいてなにかの解釈を強く打ちだすというのではなく、三島特有の流麗たる会話をそれぞれの俳優の語りの演技によって聞かせていくというオーソドックスなもので、そこには好感を持てるのだが、その演出法がここでは逆にそれぞれの俳優の出自による演技や語りのスタイルの違いを浮き彫りにしてしまうことになってしまっているという皮肉がある。

 特に兵庫の2人についてそれ以外の3人が自分の「語り」のスタイルをそれぞれ持っているのに対して、どちらかというと新劇的な演技スタイルに終始するためどうしてもこの中に置かれると存在感が希薄なのである。もっとも今回のような演出では普段、主として別役実岩松了作品を上演している劇団の俳優に取っては最初から不利な戦いとなるということは否めないと思う。

 もっとも夏木マリの演技にも違和感を感じた。というのは実力のある人だけあって、存在感は抜群であり、彼女の存在があるからこそそれと対比する形で美加理の演技が生きてくるというのはあるのだが、あの演技はモントイユ夫人というのにはあまりに下世話な演技ではないかと感じてしまったのだ。もちろん、これは私自身のこの戯曲での印象からずれているというのに過ぎないのだが、第3幕でいきなりそれまで敵視していた娘の夫のサド侯爵に一転して擦り寄ろうというような軽薄さ、愚かさは持っている人物ではあるけれど貴族としての体面を重要視する人物ゆえこれほど戯画的な人物ではないんじゃないんだろうか。もっともそれには今回の夏木の演技を見ていて以前彼女が「レ・ミゼラブル」で演じていたテナルディエ夫人を思い出してしまったということもあるのだが(笑い)。いくら同じフランス人でもこの2人では育ちも階級も大違いだからそれはまずいんじゃないか思ったのだ。

 モントイユ夫人というのは確かに怪物性を持った人物で、そういうところを戯画的に表現していく夏木の技量には舌を巻かざるをえないのだけど、これはちょっとやりすぎじゃないかと思った。

 もっともそうした不満はあっても単独の劇団が上演するには躊躇するような三島由紀夫の大作をこうしたきっちりとした形で上演したことの意味というのは決して小さくはないし、ク・ナウカ以外でこれだけ迫力のある演技をしている美加理を見たのは初めてであり、こういうのを見せられると例えば「マラー/サド」のシャルロット・コルディーとかチェホフの「桜の園」とかを今回ぐらいのキャストで見てみたいという気にもさせられる。もっともその時は宮城聰に演出してもらいたい(しかもク・ナウカ様式ではなくオーソドックスな言動一致体で)というのが私の個人的希望なのだけど。批判も書いたけど2月2〜4日にはピッコロシアターでの公演がある他、利賀、熊本、栗東などでの公演も予定されているので、行くことのできる人にはぜひ見てほしい舞台であることは間違いない。

 1月19日 このページでは数カ月前から月替わりで表紙写真を交換しているのだけれどポかリン記憶舎の明神慈さんからメールで申し出があって2月のこのページの表紙写真はポかリン記憶舎に決定しました。ちなみに現在表紙になっているのはトリのマークの魚男です。3月以降はまだ全然申し出がありませんので、自分の劇団の公演写真を表紙に使ってもいいよというところがあれば引き続き募集中なので、メールないし伝言板への書き込みでお願いします。

   

 1月18日 NHK衛星放送でこれもチケットが手に入らず見に行くことのできなかったNODA MAP「半神」を見る。

 

 1月17日 ミステリ小説のあまり熱心でない読者である私は昨年末に出版された「このミステリーがすごい2001年版」をもとに昨年の話題作を年末から年始にかけて少しづつ読んでいる。それにしても新刊も何冊かは読んでいるはずなのに日本編のベスト20のうち読んでるのが、西澤保彦「依存」と若竹七海依頼人は死んだ」だけだってのにがく然とさせられた。最近のミステリの流れに全然ついて行けてないようだ(笑い)。それで読んだのが泡坂妻夫「奇術探偵曽我佳城全集」と飯嶋和一「始祖鳥記」。泡坂妻夫の奇術師探偵を主人公にした短編集は「11枚のトランプ」を大昔にベスト10に入れていた私としては懐かしくも面白いものではあったのだが、これが1位ってのはどうなんだろうかという気がしたのもまた確かなのだ。「このミス」が伝統的にいわゆる本格系の作品に厳しいというのを考慮してもあれだけ新刊がでていてこれという作品がないのだろうか。

 もっとびっくりしたのは飯嶋和一「始祖鳥記」である。浅田次郎の「蒼穹の昴」はまだ冒険小説という意味でミステリに無理やり入れられなくはないけど、これはどこからどう読んでも歴史小説以外のなにものでもないでしょう。これがミステリ(ミステリーか)なら司馬遼太郎宮城谷昌光の作品は全てミステリーということになると思うのだけどどうなんだろうか。まあ、そのおかげでこういう新しい歴史小説家(ではないのかもしれないが)を知ることが出来て、作品を読むことができたのはよかったのだけど。歴史小説として考えるとこれは相当の傑作であると思うし。でも、これってミステリじゃないよなあ。でも、最近全然、新作でこれが面白いって情報が入ってこないので、だれか面白かったというミステリあったら教えてほしい。


 

 1月16日 NHK衛星放送で久保田万太郎原作/松田正隆脚本の「夢の女」をやっていて、これは舞台を見逃していたので見てみた。久保田万太郎の原作というのを私は読んでないのでなんともいえないのだが、これはまさにどこをどう取っても松田正隆の世界で、しかも美保純が予想を超えてよく、舞台を見逃していたことが残念であった。新国立劇場「母たちの国」は見にいこうかどうか迷っていたのだけれど、これはやはり無理しても見に行った方がいいなあという気にさせられた。やはり、つぼにはまった時に松田正隆が書く世界の魅力というのは格別のものがあるといえそうだ。それにしても原作を読んでないと書いたのだけど時代が現代に移してあるというのを別にしてもこれがいくらかでも久保田の原作を反映しているとするのならば、以前だれかが指摘していたように久保田万太郎松田正隆には類似点があるのだろうか。この「夢の女」という芝居自体、芝居の後段の幻想的な趣向にそれまでの松田作品とは若干違う処理の仕方があるとはいえ、モチーフ自体はまさに松田正隆の世界そのものである。病気に倒れるのが妻か夫かに違いはあるが木之内頼仁と美保純の夫婦には「海と日傘」に登場する夫婦を思わせるところがあるし、もちろん、この2人の背後には最初のシーンから「死」の匂いがつきまとっている。さらにここには最近の松田作品にはつきもののようなリストラによる失業というモチーフも登場するし、夫の弟とこの妻の微妙な関係もいかにも松田らしい。もちろん、これが原作にはないもので松田のオリジナルであるとすればそれはむしろ当然ということもいえるのであろうが。


 イデビアン・クルー「フリムクト」について感想を書く。前作「不一致」(パークタワーホール)が昨年の2月であるからほぼ1年ぶりの新作公演である。「不一致」が葬式を思わせるようなシーンを実際に舞台上に出したり、イデビアンの作品としては関係性やシチュエーションの可笑しさを直接提示していくような演劇的な要素が強い作品だったのに対して、この作品は一転してダンス色の強い舞台となっている。前作で多用され、この作品でも真ん中あたりで見られたようなパフォーマー同士の関係性をオモシロオカシク見せていくのはこの集団の持ち味ではあるのだが、この作品を見て井手茂太振付家として本当に卓越しているのは多数のパフォーマーを群れとして扱った時の処理の素晴らしさではないかと感じさせられた。もちろん、変な仕草性を取り入れた動きのディティールの独自性、面白さも井手振付の魅力であり、大きな武器ではあるのだけど、イデビアン・クルーの舞台を見てて見飽きないのは個々の動きよりも個々バラバラな動きがいつのまにか同期(シンクロ)していったり、また、バラバラになっていったり、この舞台でいえば左右にかけられた黒い幕の中に消えていったダンサーが次々と現れてまた消えていく、この万華鏡のように千変万化していく構図の妙にあるのじゃないかと思われてきたのである。

 こんなことを言いだすとバランシンやフォーサイスなど抽象性の高いダンスを連想されるとイデビアンのダンスは個々のダンサーのキャラクターを重視した振付という意味ではむしろピナ・バウシュに近いくらい(笑い)で、いわゆるアブストラクトバレエのようなものとは対極にあるといってもいいのだが、井手茂太ほど見事に群舞を振り付ける振付家は残念ながら日本にはほとんど存在しない。あえて探すと上海太郎の名前が浮び上がるぐらいで、H・アール・カオス(大島早紀子)にしても、勅使川原三郎山海塾など優れたコリオグラファーであっても基本的にはその優れた資質がソロダンスの振付のおいて発揮されることがほとんどだからである。もちろん、こうした振付家にも群舞はあるのだが、それは大抵、ちょうどクラシックバレエにおけるソロとコールドバレエような対比の関係において登場することが多く、純粋な群舞というのはあまり見られないのだ。

 (続く)  

 1月15日 20日に美加理の「サド侯爵夫人」(静岡芸術劇場、7時〜)のチケットを電話予約し、見にいくことにした。ただ、この芝居、終演時間が10 時で東京行き最終新幹線に間に合わないらしい。そういうわけで、静岡で1泊することになりそうなのだが、浜松@浜田さんこの日は忙しいでしょうか。もし、これを読んだら返事を下さい。と、メールで聞くのが面倒なので、ほとんど私信に使っている(けど、これを読んでいるのだろうか)

 以前に清水きよし氏のところでパントマイムを勉強していた吉見ヒロシさんから公演案内のメールを戴いた。彼の作品は府中で「床屋」という小品を見たことがあり、これがちょっとカーウェイの映画を連想させるようなところがあるおしゃれでカッコイイ作品で、こいつなかなかやるなという感じでそれ以来注目していた。今回は大道芸人とのユニットということで、どんな作品になっているのかちょっと予想しがたいのだが、21日の夜の回に見に行こうかなと思っている。作品見てないのであえてお薦め芝居では取り上げなかったのだけど、かなり期待できるかも。以下に公演の概要も紹介しておくので、興味のある人はどうぞ。


【今後の公演情報】 がーまるちょば Gamarjobat 公演

2001年1月20(土)、21日(日)に武蔵野芸能劇場において、ケッ
チ!(マイミストで大道芸人)とのユニット『がーまるちょば』の公
演を開催!

●2001年1月20日(土)・21日(日)

『サイレントコメディー2』

作・演出・出演:がーまるちょば(吉見ヒロシ・ケッチ!)
場所:武蔵野芸能劇場(JR三鷹駅北口より徒歩すぐ)
    Tel 0422-55-3500
開演:20日/ 19:00
   21日/ 1) 14:00 2) 19:00
    ※開場は開演の30分前、21日は2回公演
料金:前売2,300円、当日2,600円
お問い合わせ・ご予約:TEL・/FAX 0422-21-6631
 (〒180-0002 武蔵野市吉祥寺東町2-7-1 ♯501)
  * E-mail:hi-ka@qc4.so-net.ne.jp 吉見
   または、ketch@parkcity.ne.jp ケッチ!

 9日の日記に構造計算志向の感想を追加。

 1月14日 昼起床して、テレビで全国都道府県女子駅伝を見る。その後、流山児★事務所「白鷺城の花嫁」を見ようとして本多劇場に出かけたのだが、20分前に着けば大丈夫と思って出かけると本多劇場ではチーム発砲B-ZINが公演をしており、公演会場はここじゃないということが分かったのであった。慌てて、手帳に書いてあった電話番号に電話してみるとこれがどうやら、書き間違えていたらしくて「その電話番号は現在使われていません」。キヨスクとかでぴあを探すが見つからず、やっと書店でシアターガイドを見つけ、公演会場が新宿スペース・ゼロだと分かった時には5時半を回っていて、観劇は断念。それにしても、今回は流山児★事務所=本多劇場というイメージが強すぎたために確認することもなく、そう決め付けてた私の完全なミスなのだが、まさかスペース・ゼロだったとは。

 しかたないので、下北沢商店街で焼き肉を食べた後、とぼとぼと家に帰ろうとしてスズナリの前を通った時にそういえばここでやってる公演に元惑星ピスタチオ保村大和が出ていたんじゃないかと急に思いだしてついふらふらと階段を昇って、オルガンヴィトー「バロウ〜迷宮鉄道〜」(7時半〜)を見てしまったのであった。

 そして、内容はといえば最初はけっこう面白いところもあったのだが、未整理に盛り込みすぎたモチーフが未整理のまま散乱して、広げすぎた大ぶろしきが畳めないまま終わってしまってような印象の芝居で、2時間半と長いこともあり、最後の30分は非常に苦痛であった。もっとも、ほとんど全裸にフンドシ一丁で踊りまわる保村大和など滅多にみられぬものを見られるので、保村ファンなら行く価値はあるかも(笑い)。特に桟敷席がお薦め。30センチ以内の至近距離で大和のフンドシ姿が見られます。けっこう大熱演をしているし。もっとも、私は保村ファンでもフンドシファンでもないので、全然嬉しくありませんでしたが。

 1月13日 イデビアン・クルー「フリムクト」(7時半〜)観劇。 
 1月12日 お薦め芝居1月分掲載。

 1月11日 しばらく、ページ更新できずに申し訳ない。このところ風邪ぎみで、会社を休むほどではないものの、微熱(37度前後)が下がらないので、会社から帰宅後、早めに寝ていたためである。今週末は土曜日が出社になってしまったので、予定していた弘前行きは泣く泣く断念。仕事が早めの終わればイデビアン・クルー「フリムクト」(7時半〜)を観劇の予定。すでに伝言板で3人ほどイデビアン観劇を告知(?)してくれているけど、ふなみずさんは青森まで日帰りというので昼公演の観劇だろうか。もし、同じ回に観劇する人居たら声をかけてみてほしい。後、公演を見ての感想も募集中。

 1月10日 全然遅ればせで申し訳ありませんが、表紙が変わっています。今月はトリのマークです。2月以降の表紙は今のところ予定がありません。私がこのページに取り上げたことのある劇団(ダンスカンパニー)で画像を送っていただけるところか、ホームページの写真の使用許可を戴けるところがあれば伝言板ないし、メールで表明お願いします。

 1月9日 構造計算志向(北村成美ソロ)「i.d. 30ステージ達成公演」について。北村成美の作品を見るのは数年前にアルティ・ブヨウフェスティバルで見た時以来、その時は複数のダンサーに振り付けた作品だったが、これは完全にソロ作品で、ソロ作品ゆえにかなり作風も変化している。ただ、彼女が根源的に持っている観客を楽しませたいというサービス精神は相変わらず。というより以前にも増して感じられるようになってきている。ただ、これをサービス精神とか受けを取ることを狙っているとか考えるといけないのかもしれない。というのは今回の彼女の作品の場合、見ていて思わず笑ってしまうような可笑しさというのが随所に見られるのだけれど、以前見た彼女の作品ではそれがパロディーのようなコンセプトの面白さだったのに対して、これはいったいどうしちゃったんだろうと思わせられるような鬼気せまる切実な可笑しさが感じられるからである。

 昨年末のCRUATACEAの公演の時の打ち上げの席に彼女も来ていて、最近やってるソロ作品というのはどんな作風なのかを聞いてみたのだが、身体のムーブメントについて自分の身体が動きたがっているという根源的なところから再出発してみたということであった。これだけだったら、ソロ作品を作っている人にはだれでもいえそうなことで、大切なことではあるのだけれど、それほどびっくりはしなかったのだが、作品のコンセプトについて聞いてみた時に彼女が答えた答えに一瞬耳を疑ったのだ。

 その答えは「へそ踊り」。思わずなんのことかとっさには分からなくて「それってベリーダンスのこと」と聞き返すと「宴会芸にあるでしょ。へそに顔を書いて踊る」「……」再び絶句してしまう。というのはいくらなんでもコンテンポラリーダンスがどういう風に「へそ踊り」につながるのか全然理解できなかったからだ。ところが今回実際に作品を見てみて疑問は氷解した。もちろん、北村成美は決して、へそに顔を描いて踊るわけではないのだが、この作品全体の雰囲気からして、その言わんとしたところはなんとなく了解できたからである。この作品はこれからも上演を続ける予定らしいので、とにかくそのくだらなく面白いところは実際に見てほしいというしかない。この作品で活躍するのは「へそ」ではなくてお尻、そしてそれを支える腰の動きなのだけど、これまで女性ダンサーがこういう踊りをしたことがあっただろうか。見ていてちょっと困惑してしまうほどで、完全に女を捨ててるという印象をまず持ったのだが、もう少し考えてみるとこのしたムーブメントはある意味で「女性」ならではのものというのも確かで、このあっけらかんとした衒いのなさは西洋のダンスの典型であるバレエに象徴される「天上への志向性」つまりゲーテの「ファウスト」にでてくる「永遠に女性的なもの」につながりものと対極にあるイサドラ・ダンカンら初期のモダンダンスのダンサーが体現した「地上性」=地母神的なものと通底していくところがなくもないかなとも思われてきたのである。

 この作品の一部は横浜のランドマークホールで2月4日に上演されるのでぜひ興味のある人は実際にその目で見て確かめてほしいのだが、ちょっと困ったのは同じ日に上演される浜谷由美子(CRUSTACEA)の作品も合わせて皮相な見方をされると関西=お笑いダンスと見られかねないところ(笑い)で、これにはヤザキタケシの作品などで決して関西のダンスが全体として笑いへの志向性があるわけではないとこれまで言ってきた手前、「やはりそうじゃないか」と思われてしまわれかねないことである。まあ、北村と浜谷は元々そういう志向性があるということは否定できないけれど。もっとも、この2人は同じエンターテインメント志向でもアプローチが全然違うから、その意味でライバルとして互いに成長して関西のダンスを引っ張っていってほしいと期待してるのだけど。 

 1月8日 京都に行き、構造計算志向(北村成美ソロ)「i.d. 30ステージ達成公演」を観劇。

 1月7日 レニングラード国立バレエ白鳥の湖」(1時〜)を観劇。夜は当日券で帝国劇場「レ・ミゼラブル」(5時〜)を観劇。

 1月6日 青年団若手自主公演「スリヌケル」Aプロ、Bプロを観劇。

 1月5日

 1月4日 正月休みが終わり、今日から仕事始め。休んでいたホームページへの書き込みを再開した。そういうわけで皆さん、送ればせながら明けましておめでとうございます。今年もよろしく。

 1月3日 レニングラード国立バレエ「眠れる森の美女」(2時半〜)を観劇。

 1月2日 「ニューイヤー 華麗なるワルツとバレエの祭典」(3時半〜)を観劇。レニングラード国立バレエレニングラード国立歌劇場管弦楽団によるコンサート/ガラ公演である。昨年同様の公演を見て、生きのいい若手ダンサーを発見、けっこうよかったので、今年も出かけてみることにした。

  

 1月1日 青年団「さよならだけが人生か」(3時〜)を観劇。