下北沢通信

中西理の下北沢通信

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誰が大野九郎兵衛を殺したか(解答編)中西理による推理付き

誰が大野九郎兵衛を殺したか(解答編)

辻井は大石と口外しないと約束したが、結局赤穂を出た後、旅先で知り合った蜘蛛の陣十郎という人物に赤穂で起きた事を話してしまった。
「辻井さんあなたは運が良い。浅見という人にべらべら喋っていたなら斬られていたかもしれない」
と陣十郎は言った。
「浅見さんが大野殿を斬ったというのか」
「その可能性は高い。考えても見なさい。暗殺現場から立ち去る道は三つ。そのそれぞれから辻井さんあなたと佐藤という方、三宅という方の三人がやってきた。誰も立ち去る人物を見なかったというのならこの中に犯人がいる。しかし、佐藤という方が二人を挑発して刀を抜かせ人を斬ったかどうか確かめている。あなたと三宅という方が人を斬っていないことがわかった。佐藤という方は怪しい者は見なかったといっているだけで怪しくない者は見ている訳です。例えば浅見という方です」
辻井はなるほどと思った。陣十郎は続けて、
「浅見さんは何をしていたと言いましたか」
と訊ねた。
「大野の屋敷に行ったが会えなかったので寺に帰ったと言った」
と辻井は答えた。陣十郎は、
「浅見さんが大野の屋敷を訪ねたことは私も知っています。とすると妙なことになります」
と言って考え込んだ。
「辻井さんは暗殺現場に出会わすまで時間つぶしをしていましたが誰にも追い越されなかった。ということは大野殿、浅見さんが犯人として浅見さんの二人は赤穂城下から一度片島宿に向かって真直ぐに行き、引き返すように脇道に入ったことになる。これは不自然な遠回りです。ところで大野殿が斬られていたとき、遺体の着物の家紋はなんでしたか」
「覚えてないなあ」
「でも倅の郡右衛門の着物の家紋は大野家のものと覚えていた。ということは大野九郎兵衛殿は他人の衣装を着ていた。すなわち他人に成りすましていたことになります。ですから辻井さんが聞いた犯人と大野殿のやり取りは、大野殿が他人の名を名乗り、それを聞いて犯人は斬りかかったことになります。だとすれば犯人は大野殿を別人と思い込んで斬ったと言うことになります。ここまでいいでしょうか」
と陣十郎は訊いた。辻井は浅見の声は知っているが大野九郎兵衛の声は知らないのでそういうことになる。辻井がうなづくと陣十郎は続けて、
「浅見さんと大野殿が揃って不自然な道順をとっていたということは浅見さんが大野殿を尾行していたことになりますが、屋敷から尾行した相手に別の名を名乗られてそれを信じて斬るということはありえません」
「では誰が大野九郎兵衛殿を斬ったのだろうか」
「残りの一人寺の住職です。岡島さんが荒寺に行ったときには浅見さんは来ていません。赤穂上の開城が17日、大野殿の殺害がその5日前で12日、岡島が荒寺に来たのが更に8日前で4日、浅見さんは赤穂に来たとき月を見て歌を詠み、月が半月で7日か8日。ですから岡島さんの言う三人の剣の達人とは浅見、三宅、佐藤ではなく、佐藤、三宅と住職です」
と陣十郎は答えた。
「いったいこの事件はどういうことだったのだろうか」
と辻井が問うと、陣十郎は、
「大石殿がそこに居合わせたのは偶然ではないのです。ある人物に会いに庵に行っていたのであって、その人物は実際に現れた大野殿ではなく、大野殿がなりすまそうとした人です。それは城受取目付の荒木殿です。一方これは辻井さんは知らないことですが、開城か篭城かという選択を暗殺によって決定しようとした人物がいたのです。この時点で開城派、篭城派、態度を表明していない大石殿といて赤穂側の人物では誰を斬ったところでその結果開城篭城が決定することはありません。しかし、大石殿に会いに行った荒木殿が暗殺されればもはや平和的解決はありえません。それを察知した大野殿がまず片島宿に向かい荒木殿の宿もしくは途上で会見の中止を伝え、羽織か何かを借り、自ら暗殺場所に出向きましたが、逆に斬られてしまったというわけです。これで大野殿の道順の謎が解けます。篭城するかしないかは交渉の重要なカードですから、これを明らかにしないからこそ荒木殿との交渉に望めるのです。荒木殿とて役目柄平和裏に城が明け渡されることを望んでいます。もちろん荒木殿の一存で赤穂浅野家の処分が決まるわけではありませんが有力な援軍になります」
と一気に述べた。
さて、ここから先は作中人物には推理できないので作者が登場しますが、犯人は大野が荒木の身代わりと気が付かなかった人物すなわち、岡山池田家の密偵である岡田である。

参考)中西理による推理(2022年1月20日
京大ミステリ研では「犯人当て」の解答にどのように取り組んでいたのか。この問題を実際に解こうと試みることでその一端を提示しようと思う。まず問題文に入る前に最初に注目しなければいけないのは登場人物表と挑戦状である。それというのは叙述トリックが後に京大ミステリの専売特許といわれた時期があったのには「犯人当て」の存在が大きな影響を与えている。

登場人物表
犯人当て「誰が大野九郎兵衛を殺したか」

登場人物
辻井甚吾・・・浪人
佐藤と名乗る侍
三宅と名乗る侍
浅見と名乗る侍
照岳寺の住職
大石内蔵助・・・赤穂浅野家家老
大野九郎兵衛・・・赤穂浅野家家老
大野群右衛門・・・赤穂浅野家家臣
岡島八十右衛門・・・赤穂浅野家家臣
荒木十郎左衛門・・・旗本、城受け取りに使わされた役人
などお馴染みの面々ほか上杉家、広島浅野家、岡山池田家の重臣たち・密偵たち

登場人物表を見てまず注目すべきなのは「○○と名乗る侍」という登場人物が3人もいること。明文化されているわけではなく、京大ミステリ研の犯人当てにはかなり厳密な叙述のルールが設けられている。それは「地の文には虚偽の内容は書けない」というルールだ。通常のミステリなら誰かが別の人物を装って登場した場合、○○はこう話したなどと記述する場合もあるが、今回の例に即して言えば佐藤ではない誰か(例えば密偵である堀田、広田、岡田の誰か)が本文中に地の文中で登場する時に「佐藤は~した」などするのは✖ということになっている*1
 こんな複雑な状況になっているのはもちろん密偵が3人いて、彼らは皆別名を名乗っているからという前提があるからなのだが、当時のミステリ研の会員ならばなぜ作者はこんな込み入った状況を描いた作品を書いたのだろうという疑問を持つ。
 つまり、真相に迫るといっても推理によって消去法で犯人を絞り込むだけではなく、まず作品自体に何らかの仕掛けがないのか、そして仕掛けがあるとしたらどこなのかをまず考える。
 当時の私はこれをパターン認識と自分なりに名付けていた。経験則によれば既存のパターンから外れているような歪みには何かが仕掛けられていることが多くて、叙述トリックのような描写の歪みはよほど巧妙に隠蔽していないと露呈するし、アリバイとか証言とかを検討する前に作品に仕掛けられた仕掛けが分かってしまうことが多いのだ。
 そういう点から言えば「誰が大野九郎兵衛を殺したか」の一番の引っかかりはなぜ登場人物(の密偵)の描写がこんな風に二重構造なのかということだ。ここは怪しむべきところだろう。
 次は「読者への挑戦状」。

読者への挑戦状
大野九郎兵衛を殺した犯人は誰か、その犯人は赤穂でなんと名乗っていたか。
犯人以外の者は真実もしくは真実と信じるところを述べている。ただし、密偵という素性に関することは除く。
また、上杉家、広島浅野家、岡山池田家の3家の密偵以外の犯人は考えなくともよい。何故大野郡右衛門が陰謀の情報を得たか書かれてないが、郡右衛門の情報は確かなものと考えてよい。

 注目しなければならないのは「挑戦状」が「殺した犯人は誰か」「その犯人は赤穂でなんと名乗っていたか」の二つの問題を聞いていることだ。
 「上杉家、広島浅野家、岡山池田家の3家の密偵以外の犯人は考えなくともよい」と「犯人は三家の密偵である」と限定しているので、通常なら「3人の密偵のうちだれが犯人か」と聞けばいいはずなのにそうしていない。通常のパターンからの外れ方、つまり歪みがここにはある。本文を一行も読まなくてもここまでは分かる。
 挑戦状に仕掛けられたトリックは京大ミステリ研では「挑戦状トリック」と呼ばれていた。名称が残っているということは過去に会員ならだれでも知っていた会員内の有名作品としてそういうのがあったということだ。
 この問題は密偵のだれが犯人かを指摘し、正解であったとしてもそれだけでは正答ではない。挑戦状はもうひとつ「その犯人は赤穂でなんと名乗っていたか」も聞いているからだ。そこには絶対仕掛けがある。これがここまで(本文を読む前の)推論である。
 ここから先が実際に問題編を読んでの推理となる。密偵は大阪上杉家の堀田、浅野本家の広田、岡山池田家の岡田の三人。この三人のうちの一人が犯人という非常に単純な消去法に見える。もちろん、そこには何らかの仕掛けが仕込まれている可能性は大きい。仕掛けは「その犯人は赤穂でなんと名乗っていたか」にあるのではないかという推定もあった。
 堀田、広田、岡田はそれぞれ赤穂で何と名乗っていたのか。荒れ寺には「佐藤と名乗る侍」「三宅と名乗る侍」「浅見と名乗る侍」の3人の侍がいた。これも一見、これは数学の問題を解くかのように堀田、広田、岡田の3人の誰が佐藤、三宅、浅見に対応するのかという問う問題のように思える。それを解いてみようとすが、それだけではなかなかうまくいかない。
 そこで、今度は考え方の方向性を変えて、佐藤、三宅、浅見らのうち誰が犯人なのかを考えてみることにした。こちらは少し考えると回答を導くことができる。大野殺しがあった直後に浪人の辻井(つまり犯人ではない)は三宅、佐藤、辻井の三人で刀を抜いて切り合いそうになるが、誰の刀にも大野を切った時の返り血はなかった。それゆえ、佐藤、三宅、浅見のうち三宅と佐藤は犯人ではないということが分かる。そうなると浅見=犯人だろうか。
 今度は堀田、広田、岡田のうち誰が浅見なのかを絞り込もうと試みる。これがなかなか一筋縄にはいかない。証拠になりそうなのは堀田、広田、岡田についての描写。
 順番に紹介するよりも引っかかる部分がある場合の方が推理に役立つのでまずは浅野本家の密偵広田から検討する。

浅野本家の家老の屋敷
また同じころ、広島城下にある浅野本家の家老の屋敷では家老とその腹心が密談をしていた。
「赤穂からの知らせによれば、赤穂では篭城しようとか、篭城しないならば吉良殿を討ち取ろうとか物騒な話になっているそうでございます」
「困ったことになった。篭城もだめ、吉良を襲うのもだめだ。赤穂に潜入させている広田はむこうの家老の大野と面識があり、協力して対応してよいが、強硬手段という方法もある
「強硬手段と言いますと」
「暗殺だ。広田を密偵にしたのはそういう可能性も考えて腕の立つものを選んだのだ」

 ここで注目したいのが「困ったことになった。篭城もだめ、吉良を襲うのもだめだ。赤穂に潜入させている広田はむこうの家老の大野と面識があり、協力して対応してよいが、強硬手段という方法もある」という発言。ポイントは広田は家老大野と面識があること。謎の犯人は大野の後を付けていたようだが、大野と面識がある広田ならそんなことをする必要はないし、開城派の浅野本家が大野を暗殺する理由もよく分からない。完全に排除されたわけではないが、かなり可能性は低そう。
 それでは犯人は残された大阪上杉家の屋敷の密偵堀田、岡山池田家の岡田のどちらなのか。

大阪上杉家屋敷
そのころ大阪上杉家屋敷では、大阪留守居役が江戸から派遣された家老の腹心と密談をしていた。
上杉家は当主が吉良上野介の子であることからこの騒動が吉良家更に上杉家に及ぶことを恐れている。
「赤穂に潜入して照岳寺にいる堀田から連絡があった。堀田は東国訛りがないだけではなくもともと御家人の倅で旗本荒木殿などとも面識があり、情報入手が得意だ。それによると浅野家旧家臣は篭城、開城でゆれているそうで、篭城を主張するものらは篭城しないならば吉良殿を討ち取ると主張しているそうだ」
「ご家老の考えでは吉良殿に刃が向くことだけは絶対に避けなければなりません。そのためには篭城はむしろ好都合。そうなるよう手段を選ばない。そのためにも堀田を人選したということです」
「手段を選ばないというと」
「暗殺も辞さないということです。それを考えて凄腕を選んでいます。政治的な判断もできるし、度胸も座っている」

岡山池田家
更に同じ頃赤穂の隣に領地を持つ岡山池田家では家老が前家老の隠居宅に赴いていた。前家老は赤穂との国境近くに庵をもうけて隠居していたが世捨て人ではなく今でも各方面に指示を送っていた。
「岡田を赤穂の町外れ照岳寺に潜入させているが、その報告を待つまでもなく赤穂は篭城開城でゆれていることはここに届いてくる」
「篭城が浪人などを集めての本格的なものになりますと我らも出兵せざるを得なくなるでしょう。赤穂周辺に限れば最大の兵力持っていますので。大変な出費になります」
「しかし、出兵して手柄を立てれば恩賞という話もある。そもそも赤穂は本来当家が所有するべき領地であった。それに若い者たちの中には戦を歓迎する向きもあると聞いている」
「家中が騒がしいのは困ったことです。密偵の岡田も腕は立つが短慮なところがあります」
「戦の準備だけして様子を、見るとして。方針を早く決めて岡田に指示しなければなるまい」
 

 
 
 佐藤、三宅、浅見の赤穂の立場への分析などから割り出そうとしてもそれだけでは本音を話しているとは限らず根拠が薄弱だ。論理的には弱いのを承知で各藩の立場から考えると上杉家は討ち入りだけは避けたいが篭城・開城はどちらもOK。

 論理パズルのようだった問題だが、実はここから先は「忠臣蔵」であるということの意味合いが出てくる。それは殺された大野九郎兵衛はいったい何をしようとしていたのかの謎と犯人は何のために大野を暗殺したのかという謎なのだ。実は暗殺者にとっては大野を殺すことにはあまり利がない。大野は開城を主張して、討ち入りにも大反対だった穏健派なのだが、結果的に彼が暗殺された(表舞台から消えた)ことで藩論は大石の主張する開城した後に討ち入りに大きく傾いていった。
 そうだとすると、大野の暗殺することは討ち入られる側の吉良家の関係者である上杉家にとっては都合がよくない。

*1:女性に扮している男性について「その女は~」と受けるのはダメ。ただし、登場人物の一人称描写や会話のなかで「その女は○○だった」などと受けるのは○。男女の線引きをどこにするのか、今ならもっと微妙な問題になりそうな部分はあるが少なくとも40年近く前はそうだった