下北沢通信

中西理の下北沢通信

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 H・アール・カオス「エピタフ」「春の祭典(キリンプラザ大阪)を観劇。
 新作「エピタフ」はキングクリムゾンの楽曲にフィーチャリングした白河直子のソロ作品。ずっと、以前にはアトリエ公演などで、至近距離での舞台を見たことがあるにはあるが、人気カンパニーとなったカオスをこれほどの狭い空間で見ることは今後あるかどうか分からない貴重な機会である。特に最近のカオス公演はチケットを手に入れるのが遅れ勝ちで、世田谷パブリックシアターの3階席あたりから、オペラグラスを片手に見ることが多いので、生で見ているといっても実際には「半生」程度であることが多かった(笑い)。
 それと比べれば、視線の先、1㍍やそこらで白河直子が踊っている迫力はやはりさすがのものがあった。それだけでもこれまで彼女のダンスを見続けてきた人間にとっては至福の時を感じられた公演といえた。
 もっとも、ダンス公演というには問題もないわけではない。この距離というのは事実上、ここがもし世田谷パブリックシアターやシアタードラマシティであるとしたら、最前列を超えて舞台上で見ているような距離だということもあって、ソロ作品である「エピタフ」はともかく、「春の祭典」では群舞と白河のソロがそれぞれ舞台の上下逆サイドで同時に行われていた場合、それを同時に視野に捉えることは不可能なのだ。
 しかも、白河のダンスはそれを凝視しているとそこからまったく目が離せなくなるといった性質を持っているため、この空間ではおそらく、大島早紀子が演出的に考えた空間構成の効果のほとんどが役に立たない状態になっているはず。私はこの作品はこれまでに何度も見ていることもあって、この日の舞台で目はほとんど白河だけを捉えて、ほかの部分はサブリミナルにしか視界に入ってこなかった。だから、全体としての感想を書けるような立場にあるかどうか
は怪しいのだが(笑い)、「春の祭典」はやはりこのカンパニーを代表するようないい作品で、今見てもそれは変わらないと思った。さすがに最初に見た時と比較するとダンサーの白河の動きのキレそのものはそのころに及ばないところがあるように思われるのだが、この日近くで見て思ったのはあまり動きのないところやゆっくりと動くところなどでの微細な表現はよくなっているのではないかと感じられた。