小松原緑*1『サンクチュアリ-arrange』(サードギャラリーAya)*2を見る。
写真を使って、現代の日本の様々な肖像を独自の方法で描いてきた小松原緑。
前回彼女が焦点をあてたのは「やおい/女の子が妄想する男の子どうしのカップル」という現代日本の女性の一面でした。既にマンガやゲームの中で多くの女の子を魅了して来たこのテーマは小松原にとっても、他者ではない、自分の一部として切実なものでした。それが故に深い考察が重ねられ、前回の登場人物が作品の中で関係性を展開、という形でその姿はより鮮明になっています。(ギャラリーサイトより引用)
作者が萩尾望都の描く漫画の「少年愛」の世界に触れ、なんともいえない解放感を味わったというのがこの連作シリーズの元にあるらしい。となると、この写真を見て、映画「1999年の夏休み」をすぐに連想したのはあながち勘違いというわけでもないことになる。「1999年の夏休み」といえば荻尾望都の「トーマの心臓」を原作とした金子修介監督の一般映画デビュー作*3なのだが、これがなんとも不可思議な映画でまず1、若い女優がすべて少年役を演じる2、しかしその声は男性の声優がアフレコで演じる、というヘンテコな作り方をした映画でもあった。
実はこの連作もちょっとした仕掛けがあって、ここではやはり若い女性が少年を演じていて、それを写真に撮影しているのだが、単にそれだけではなくて、ここでは若い女性の首から上の部分と実際の少年の身体が、ひとりの人物のポートレートようにきわめて巧妙にデジタル合成されているのである。最初に見た時にはなぜこんな面倒なことをやるのか理解に苦しむ部分もあるのだが、おそらく、「1999年の夏休み」の例を考え合わせてみると分かってくることがなくもない。
それは漫画やある種の文学に登場するような美少年などは実際にはこの日本には滅多にいないということで、それをアニメーションや漫画でなく、実際の映像で表現するとなると、その「非日常」を体現させるためのなんらかの仕掛けが必要だということになるのかもしれない。
ただ、少し物足りないのは一応、元設定のいくつかを表示して明らかにしてあるとはいえ、写真という媒体ではまだまだ妄想が膨らむというところまではいかない、というかそれぞれのキャラの関係性があまり今回の写真からは読み取りがたいことだ。ただ、これは写真が悪いということよりも、ギャラリーでの展示というここと、そこでの雰囲気というのが多少なりとも関係しているかもしれない。この連作シリーズは第3部まであるらしい(今回は第2部)ので、このあたりは次回に期待したい。
*1:http://artfenice.jp/main/artists/komatu.html
*2:http://www.threeweb.ad.jp/~ayay/home.html
*3:実は深津絵里のデビュー作でもあるのだが、まだ水原里絵名義での出演だったせいかプロフィールから省かれていることが多い