下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

DANCE CIRCUS34(2日目)

DANCE CIRCUS34(アートシアターdB)を観劇。

野口知子『肖像(T)』 作・出演:野口知子  
市川まや『天井の上は、ソラ。』  作・出演:市川まや  
アッペカカ 『 だってしょうがないじゃない 』 作・出演:アッペカカ (演奏:タカシマタイコ 舞踊:三林かおる)
おかのあきこ+あいかよこ 『 癒しのための…(仮) 』  作・出演:岡野亜紀子・相歌代子
KIKIKIKIKIKI『Twin』 振付、演出:きたまり 出演:花本ゆか、舟木理恵 音楽:大村理文 衣装:浜本なみ子

 アートシアターdBの公募ダンス企画「DANCE CIRCUS」の2日目。この日の注目は野口知子のひさしぶりの新作ときたまり作品の2日連続の登場だったのだが、市川まや「天井の上は、ソラ。」にやられてしまった。冒頭部分で舞台奥の黒い壁に3本の矢印(↑↑↑)の形で白いビニールテープが貼り付けてあり、それをはがして、壁と舞台に左右に平行する2本の線とその線と直角に交差する何本かの線をテープを切っては貼り付けて、作っていく。そして、本人はそうして作った図形で空間構成された舞台の上でゆっくりとした動きで踊る。
 最初はその図形がなんだか分からないのだが、それはわざと少しゆがんだへたうま風に貼られていくなかで、線路にたいだなという形になっていく。その時に見ながら考えていたのはムーブメントは少し北村成美(しげやん)を思わせるところがあるなとか、それにしてはおとなしいな、もう少しはっちゃけて笑わせればいいのにとか。途中で壁に逆立ちして寄りかかったりして、そういうところもしげやんに似ているな。構成もすごくシンプルな作品で、その時にはあまり作品の主題とかいうことには目がいってなくて、作品の途中で流れている音楽に重なって、なにかにアナウンスのような声が聞こえてきた時にはそれはサブリミナルな存在でしかなくて、聞き逃していたのだが、途中でふともう少し注意をして聞いてみると「次は尼崎」というアナウンスが聞こえてきて、「あ、これは列車の社内アナウンスだ」ということに気がつく。そうか、白いテープは線路だったんだ……その瞬間、突然不意打ちのようにそれまで見ていたこの作品がどういうことだったのかが、天啓のようにフラッシュバックし、衝撃を受けた。この作品はJR西日本の尼崎事故への鎮魂歌だったのである。その不意打ちで作者がこの作品にこめた祈りのような気持ちが腑に落ちる形で一気に胸の奥まで入り込んできて、思わずコンテンポラリーダンスを見ている時にそういう気持ちになることは滅多にないのだが、思わずずしりと来てしまったのだ。
 コンテンポラリーダンスでこういうジャーナリスティックな事件のこととかを直接主題に選ぶということは最近ではあまりなくて、もしあったとしても例えば一部の現代舞踊などでは見られるように「イラク戦争反対の祈りをこめて踊ります」とかいわれたら、見る前からしらけてしまう方なのだが、この作品がよかったのはけっして、そういうメッセージ性を分かりやすいようには表現しなかったことだ。
 むしろ、遊びのようにテープを張ってみせたり、その上でごろごろと転がったり、いい意味での素朴さが目立つ作品なのだが、それが後半にどういう作品なのかが分かった時に一瞬にして主題がフォーカスされる。そんな作りになっているのだ。派手ではないが、キラリと光る小品だった。
 野口知子「肖像(T)」は少女から老人までの女性の移ろいを演じ分けた作品。最初の場面でつばの部分が大きくて顔がすっぽりと隠れてしまうような帽子をかぶって踊りはじめるのだが、見ていてあれ野口さんの順番だったよなと一瞬分からなくなったほど、繊細に少女を演じてみせ、パフォーマーとしてのこれまでにない芸域の広がりを感じさせた。これまでの作品は大人の女性の持つ狂気のようなものを体当たりで演じたようなストレートなものが多かったので、緻密に構築された今回の作品は少し作風が変わったかなと感じた。ただ、終演後に聞いたところ、この作品の原イメージはやなぎみわの「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」の連作だったらしく、そうだとするとこの少女は可憐すぎて、もう少し怖い部分が必要だったかもしれない。
 この人は主婦で普通に子育てをしてきたかたわら、女性管理職でもあるバリバリのキャリアウーマンで、それが最初はいわばカルチャースクールの乗りで、ダンスやパントマイムのワークショップに通ううちに40歳を超えて初めて創作した作品が「踊りに行くぜ!!」に通ってしまったという非常に特異な経歴の持ち主。私のような中年にとってはいわば希望の星でもある。こういう人が出てくるというのもコンテンポラリーダンスというジャンルの面白いところだ。
 昨年だったか、人事異動で幼稚園だか、保育園だかの園長さん(じゃなかったかもしれないが、とにかく管理側のえらい人)になって、忙しくてなかなか作品が作れないとぼやいていたのを聞いていただけに、ひさしぶりに作品が見られたのは嬉しいことであった。
 アッペカカはCa Ballet、fu-pe(旧はっぴーすまいる)などでダンサーとして活躍している三林かおるとパーカッションの演奏家のタカシマタイコによる新ユニット。ダンサーとしての三林は何度も見ているが、振付作品というのは見たことがなかったので、どういう風になるのだろうと楽しみにしていたのだが、これはちょっと困った。ダンスとして考えると三林は舞台奥の暗闇のなかに当てられたスポットのなかで、最初から最後までぴょんぴょんと同じ場所で跳んでいるだけで、あまりにミニマルすぎた。演奏から見てタカシマタイコは現代音楽・クラシック系のパーカッション奏者かと思われたが、演奏には即興部分も含まれていたようなので(あるいはすべて即興だったのかも)、ダンス作品で演奏はその伴奏というのではなく、演奏を主体としたパフォーマンスのようなものと考えた方がよかったのかもと終わった後思ったが、後の祭りであった。
 おかのあきこ+あいかよこも別の意味で困った。この2人、おそらくスタジオ系で経験を積んだダンサーと思われ、技術は相当高いと思われたが、正直言って今回のはコンテンポラリーダンスの作品になっていなかった。残念ながら、おそらく、稽古場ででてきた動きを構成して、ただつないでみたという印象。きつい言い方になってしまうが、コンテンポラリーダンスというジャンルがジャズやバレエ、ストリートダンスなど他ジャンルのダンスとどう違うのかという枠組みが分かってなくて作るといくら技術が高くてもこういう風になってしまうという典型のように見えた。
 逆に既存のダンステクニックを全然使わなくても、「自分たちならではの動き」というものを意識して作ればちゃんと作品になるというのを見事に示してみせたのがKIKIKIKIKIKI『Twin』。こちらはこういう説明をしたらみもふたも無いのだが、ダンスを普通踊らないだろうと思うような太目の体形の女の子が2人登場して、これが相撲の動きをところどころサンプリングしたような動きで、意外としっかり身体を使ってちょっとコミカルに踊りまくるというもの。この2人が実に楽しそうに踊るし、愛嬌もあって可愛らしくて、キャラ立ちしているので見ていて、「おいおい後輩の女の子をだまくらかしてこんなことをやらせて、受けるためなら手段をえらばずかよ、きたまり」と思ったりはしたものの、踊っている本人たちがいかにも一生懸命で、しかも楽しそうに踊るので、見ているうちに「本人たちが楽しいなら、それでもいいか」とも思って、先程の老婆心などどうでもよくなってしまう。
 それでいて、侮れないのは身体表現サークルのふんどしじゃないけれど、ダンスの動きとしてサンプリングしたのが、相撲だったりするから、これは確かに日本ならではのダンスにちゃんとなっていて、村上隆奈良美智が向こうで受けるなら、これもある意味ジャパネスクではあるし、深みがないというのは逆に言えばスーパーフラットだし、海外にもっていけば案外、「ジャパニーズ・スモウ・ガールダンス」などとして受けるんじゃないかと思われてくるのだ。
 こういうアイデアというのは考えることと、実際にやるということの間には距離があって、普通は実行に移さないが、こういうのをやってしまって、衒いがないという点ではきたまりは上海太郎*1と双璧ではとさえ思ったのである(笑い)。
 もちろん、これは私にとっては最上級のほめ言葉なのだが、それは逆に言えばこういうシャレの面白さが分からない人はアート畑にはかならずいて、うまく立ち回らないと色物と見られて、その筋からは相手にされなくなりかねないから気をつけろよという警告の言葉だったりもするわけだ(笑い)。今回はそれが分かっていての(前日の作品との)2本立てだと思うから心配はしてないけれど。

*1:上海太郎にも相撲モチーフの作品「プラトニック・ラブ」があり、これは今年の夏ぐらいに垣尾優とのコンビで再演される予定