この日は朝からDANCEBASEに出掛けて、夕方近くまでそこに滞在した。エジンバラ演劇祭は従来、演劇(特にコメディーショー)を中心にしたフェスティバルでダンスのプログラムはそれほど強くないのだが、ここと翌日出掛ける予定のAURORA NOVA FESTIVALではレベルの高いダンスプログラムが見られるからだ。
DANCEBASEはエジンバラ城のすぐ下(写真上の巨大な崖のような岩山の上に聳え立っているのがエジンバラ城、その下がDANCEBASE)グラスマーケット通りにある施設。複数のスタジオを備えてスコットランドのナショナルダンスセンターの役割を果たしている施設(写真下がDANCEBASE)である。
通常は複数のダンスクラス(コンテンポラリーからバレエ、ヒップホップまで幅広い)が常時開催されていて、稽古場的な施設として使われているようだが、このフェスティバルのシーズンだけはスタジオのうちのひとつが小劇場となり、自ら企画したプログラムを朝から晩まで上演している。この日はそのうち3つのガラ形式のプログラム「SHOW1」「SHOW1」「SHOW1」を連続して観劇した。
「SHOW1」(DANCE BASE)
El Saqiyeh by Iskandar Dance Co
It’s about time by Karl Jay-Lewin & Co*1
Unbounded by Michael Popper
Beyond Prejudice by The Curve Foundation
Iskandar Dance Coはエジプトのカンパニー。El Saqiyehはエジプト舞踊とコンテンポラリーダンスのアマルガムであった。エジプト舞踊は旋回する。それが第一印象。衣装のすそを翻して、3人のダンサーがこれでもかというぐらいにクルクルと回った。パンフのこの作品についての文章を読んでみるとthe Water Mill(水車)をイメージしたものだと書いてあったので、ひょっとするとエジプト舞踊自体が主要な要素として旋回するのではないのかもしれないのだが、とにかく、この作品では特に後半部分ではくるくる回り続ける。見ながら少しKATHYや枇杷系のユン・ミョンヒのやはり旋回するダンスのことも思い浮かべたりしたのだが、この作品を見ていると「旋回するダンス」のルーツはあるんだろうか、あるとすればどこなんだろうかと考えさせられた。
そこで少しネット検索で調べてみたところ、トルコにスーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義にかかわる旋回舞踊が存在するのは有名なのようだが、同種の旋回舞踊はどうやらエジプトにも存在する*2ようなのである。ユン・ミョンヒの例を出したが、韓国の伝統舞踊にも同じく旋回の動きがあるようだ。
旋回する動きというのはバレエの先祖であるバロックダンスにもあったのではないかと思われるのだが、それを考えると元々のルーツはジャンプ(跳躍)同様に騎馬民族的なところにそれ原型があるのではないのだろうか。この後に同じDANSEBASEで見たインドからのコンテンポラリーダンスもそうだったし、韓国・中国もそうだと思われるが、非西洋圏の国におけるコンテンポラリーダンスはほとんどの場合、民族舞踊とバレエ、モダンダンスに代表される西洋的な動きの融合にその活路を見つけようとしているように思われ、アフリカがその代表だが。逆に西洋の側から見るとしだいに動きのソースが枯渇してくるなかで、こういう西洋からみると外部の存在である民族舞踊などを取り入れることで、その再活性化をはかりなんとか生き延びようというような色気が感じられるのである。民族舞踊ではないけれど現在でもまだ続いているヒップホップとコンテンポラリーダンスの融合を図ろうという動きなども同じような意図がその根底にはあるのだと思われる。
そういうなかで日本のコンテンポラリーダンスのみが完全にそうした世界の動きとは関係ないところで作品を作っているのが私にとっては興味深いところであるが、それが逆に欧米では理解されにくいことのひとつの要因となっているかもしれないと改めて思った。
次のIt’s about time by Karl Jay-Lewin & Coは女性ダンサー2人によるデュオ作品。前半がほぼ「走り・歩く」だけのミニマルな要素によって構成されていて、そこが結構面白く、途中でひょっとしたら全編それで通すのではと期待させる(笑い)のだが、やはりそこまでラジカルな作品というわけではなく、踊ってしまうのであった。ただ、踊るとはいってもいわゆる「踊り」というような感じの動きを見せるわけではないが、それでもゆるやかにひとつの「ポーズ」から別の「ポーズ」に移行していくような「踊り」で、バレエやモダンダンスのテクニックは見せない。と思って経歴を呼んでみるとHis work is influensed by going study of post-modern danceと書いてある。この作品を見て正直言ってそんなに面白いという風には思わなかったのだけれど、こういう作品を見てみると最近の日本(特に東京)の踊らないダンスが欧米の人の目には「post-modern danceの一変種」に見えるというのは分からないでもない気がした。主題はよくは分からないが後半に鳥の鳴き声のようなサウンドトラックが入って、それに合わせて恐竜のような仕草をしたり、それがしだいに鳥のような動きに変わっていくようなところは悠久の時間と進化がモチーフなのかもと思わせるところがあった。
UnboundedはMichael Popperという男性のソロダンス。女性のチェリストも舞台上に登場して、彼女の演奏するJodith Rimerという作曲家の「Unlocked」という曲に合わせてステージは進行する。Michael Popperは黒いショートパンツだけの裸体に近い格好で、その裸体を誇示するように踊るのだが、その身体というのが筋肉のつくる細かな線が身体中から浮き出してきていて、まるでギリシャ彫刻か人体標本みたい(上の写真の左下)。ダンスの動きもその肉体美を誇示するようなポーズ(静止)とポーズの間を動きで埋めていくというもの。太ったうえにまったく鍛えていない肉体を持つ身にはどう考えてもナルシスティックな匂いが鼻について「どうしたもんなんだろうな。これは」と困ったものを見せ付けられている感がぬぐえないのだが……もちろん、これも一種の肉体美には違いないので女性の目からみたらまた違うのかもしれないが私の目には正直気持ち悪いのであった。
Beyond Prejudiceはロイヤルバレエの気鋭の若手ダンサー(原文にはrising starとある)Jonathan Watkinsの振付デビュー作。DANSEBASEはコンテンポラリーダンスの拠点というだけでなく、スコットランドのダンス全体のセンター的役割を果たす施設なのでこういう作品も出てくる。踊るのはロイヤルのダンサーではないが、これはどう考えてもバレエだな、とまず思う。ポワントの技法こそつかわないが、大劇場のバレエ公演の1演目として舞台に載ってもまったく違和感のない作品で、バレエのショートピースとしてはそこそこよくできているといえなくもないが、
まだ振付としてどうこういうレベルにもないとも同時に思う。DANSEBASEがそういう施設だということもあるのではあろうが、英国ではやはりダンスの中心はバレエでコンテンポラリーダンスもバレエとの距離が近い。個人的にはこういう小劇場で現代バレエの作品が上演されるのを見る機会は少ないので、こういう状況は面白いとは思った。
「SHOW2」(DANCE BASE)
The Sound of Silence (extract)
by Samudra, direct from Kerala, India
Certain Shadows on the Wall by The X Factor Dance Company
Vinyl Lino by Freshmess
The Sound of Silence (extract)はインドのコンテンポラリーダンスカンパニーSamudraによる作品である。インド舞踊というと女性のダンサーによる首や両手をくねくねとさせて踊るというイメージがあったのだが、これはいずれも男性ダンサーによるデュオ(写真右)。男性と女性の差があるのか、それとも地域の差か明確ではないが、格闘技のような動きとコンテンポラリーダンスの動きをミクスチャーさせたような動きのダンスでこれは見ていてなかなか面白かった。「SHOW1」で見たエジプトのダンスとかこのインドのダンスなどが、非西洋の地域の人たちがコンテンポラリーダンスを創作する際の雛形のようになっていた。
そういうなかで日本のダンスのアプローチだけがよくも悪くも異なっているのが面白いと書いたのだが、逆に言えば例えば本来日本の伝統舞踊となんのつながりもない舞踏も西洋の目から見ると似たようなもの誤解して受け取られているふしさえあり、日本のダンスを持っていく難しさをあらためて感じた。おかしな話になるが、この人たちはインドの伝統的な衣装をアレンジしたものか、フンドシではないけれど似たような風に見える赤いパンツだけを衣装につけて踊っていて、身体表現サークルを思い出してしまったのだが、身体的なコントロールの技術というようなテクニック的なことをいいだせば民族舞踊出身でそれぞれなんらかの身体訓練によって鍛えられていることが明確に分かる。つまり、どういうことがいいたかったというと、身体表現サークルが向こうで公演した時に向こうの人たちからすればあのフンドシ姿は確実に伝統的なものとのつながりをイメージすると思うので、そのせいで例えば本来出自自体がまったく違うのに間違って同じ土俵で比べられれば「民族舞踊のようなものを踊るただの踊りの下手な人たち」と見えてしまっても仕方ないかもしれない、ということだ。
この人たちに話を戻すと彼らの動きはバレエやモダンダンスのような洗練された動きというよりは荒々しさを感じさせるものだが、それでもそこには相当以上の技量があり、独自のテクニックにより、その動きが体現されているということが一目瞭然で分かる。これは技術の存在があいまいであるコンテンポラリーダンスにおいて重要なことではないかと思った。コンテンポラリーダンスにおいてそれがクリシェに陥らないようにするためには既存のテクニックを周到に排除していくという戦略は有効ではあるが、その場合でも既存のテクニックでない独自の技術をその過程において同時に獲得、蓄積していくことも排除と同様に重要である、と考えた。
Certain Shadows on the Wallは男女2人によるデュオ。机を間にして2人の男女が向かい合って椅子にすわっていて、それがしだいに相手の領域を侵犯、後退ということを繰り返しながら激しくあい争う。デュオである種の関係性を見せていくダンスとして、CRUSTACEA(濱谷由美子)の作品や最近のMonochrome Circus(坂本公成)の作品を想起させるようなところがあった。ただ、大きな違いは表現が非常に具象的なことで、パンフに「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」をモチーフにしたと書いてあるのを見ると男女の葛藤を主題としたこの作品はダンス本来の抽象性への飛翔というようなことがかけらもなく、なんと分かりやすい作品を作る人たちなんだという印象。
ダンサーとしての身体能力は2人ともきわめて高く、動き自体はヴィム・ヴァンケイビュス(ウルティマ・ヴェス)を彷彿とさせるような鋭い暴力的な動き(写真右上)ではあるけれど、やってることといえばマイムではないけれどもまったくの具象なのだ。ちなみにフェスティバルに来ていた観光客中心と思われる客層にはこの作品はものすごく受けていたけれど「これでいいのか」という疑問の念が拭いされないものがあった。
Vinyl LinoはFreshmessというHipHopグループによる作品。HipHopを取り入れたコンテンポラリーダンスではなくて、これは明らかにHipHopのダンス作品だった。ただ、HipHopによくある超絶技巧を誇示して見せるというものではなくて、まず、最初に男女2人が登場して、床にダンスフロアとなるリノリウムの布(というか板というか)を張りはじめるのだが、ここの部分からもうすでにちゃんと演出が入った作品の一部になっているところなどでも分かるようにはっきりと作品志向であるところが面白いと思った。
振付も少し太めの女性が現れて、踊りそうに見えないのだけど、これが一度踊りだすと意外と敏捷に動けて激しく踊りまくるとか、たぶんそれほどダンス自体はうまくないのだけれどキュートな感じの女の子とか、それとは対照的な美人系ダンサーとか、それぞれのダンサーの個性を生かしてパフォーマーそれぞれの顔が見えてくるようなのが楽しい。
ただ、「超絶技巧を誇示して見せるというものではなくて」と書いたが、ここのところはもう少し正確に書けば「見せない」と「見せられない」の中間あたりかもしれない(笑い)。相対的に見ればこのカンパニーのダンサーは単純にHipHopダンサーとしての技量はそんなに高くないかもしれない。全員がとはいわないが、1人か2人、爆発的な技量を見せられるダンサーがいて、短い時間でもそれを見せられればもう少し上のレベルにいけるのにと惜しくもなった。
「SHOW3」(DANCE BASE)
Walkie Talkie by Jem Treays
Blue by Janis Claxton
To Have and To Hold by Norman Douglas & Co
Vier Starke Frauen (Four Strong Women)
「SHOW3」は次の公演の時間が迫ってきていたので結局この日は最初の2本だけを見て後日もう一度見ることにした。しかし、その2本の作品はいずれもこの日見たDANCE BASEの公演のなかでは白眉の出来。
Jem TreaysによるソロWalkie Talkie。これは文句なく面白かった。これまで何年間かFESTIVAL Fringeで見たダンス作品のなかでもToni Mira(NATS NUS DANSA)の最初に見た作品や「Pandra88」に迫るアイデアかもしれない。リアルタイムに音響も加工して操る音響デザイナーとのコラボレーションで、詳しいやりかたは分からないのだが、舞台上に配置された金属板やダンサーの身体に据え付けられたマイクから音を拾い、そこで拾った音をリアルタイムに加工して作った擬音のような音に合わせてダンスが踊られる。
それだけじゃ分からないと思うので、具体的な説明をするとダンサーのJem Treaysはラフな格好をした陽気なにーちゃんのような雰囲気で舞台に登場して、踊りながら手拍子をして、観客にもそれをするように強要してしばらく元気に踊るのだが、なにか急に疲れたようになってきて、観客も当惑して手拍子もやみ、ダンスも止まる。そして、しばらくすると咳き込みはじめるのだが、そうするとこの咳がどこかに仕込まれたマイクで拾われ、増幅されてでてきて、その音に舞台上のダンサーも反応する。
このJem Treaysというダンサーはダンサーである以前にエンターティナーとして卓越していて、こうした仕掛けられた音との掛け合いや場合によっては観客にも働きかけて、その反応を自分のダンスにフィードバックさせてみせるように舞台の雰囲気を自由自在に操る能力を持っている。日本のダンサーでいえばヤザキタケシを彷彿とさせるところがあり、見ているうちにヤザキをここに送り込んで対決させてみたくなった(笑い)。
一方、2番目に見たJanis ClaxtonにはJem Treaysとは違う意味で驚かされた。実はこの人にはこの日の公演の合間に短い時間ではあったけれど少し会話を交わして、その時の印象では普通のおとなしいおねーさんという印象だったのだが、舞台で見ると最初に登場した時から表情といい、雰囲気といい先ほどロビーで見た人とはまったくの別人に見えた。説明が難しいけれど、すごい存在感なのだ。このギャップにまずおどろかされた。ダンスもただ踊るというだけではなくて、ちょっとした表情の変化などで舞台の雰囲気を一変させてしまう。そういうダンスアクトレスとしての稀有な能力を持ったパフォーマーなのである。この人は振付家というよりはダンサーあるいは演技者であって、
言葉は悪いけれど、この作品の構成・振付そのものは同じ振付でほかのダンサーが踊ったとしてもたぶん面白いとはいえないだろうと思われる類のものなのだが、それでも彼女がそれを踊ると「ドキッ」とさせられるスリリングな瞬間が何度もあり、陳腐な表現になるが、女性のオソロシさが痛感させられるようなコワイ作品でもあった。
リヨン・オペラ座「THE Lindberg Flight/The Flight over the Ocean」「The Seven Deadly Sin 七つの大罪」(Festival Theatre)
The Lindbergh Flight / The Flight Over the Ocean
Charles Workman Lindbergh
Don McKellar Speaker
Urban Malmberg Baritone Solo
Dario Süß Bass Solo
Yann Dao; Alibey Ghenai; Julien Quartier DancersThe Seven Deadly Sins
Gun-Brit Barkmin Anna 1
Hèlène Bianco; Maissa Barrouche; Capucine Goust; Cindy Guiovanna; Marion Mangin; Catherine Mestat; Juliette Murgier Anna 2 (Dancers)
Urban Malmberg Baritone
Dario Süß Bass (The Mother)
Jeroen de Vaal First tenor
Andreas Jaeggi Second tenor
Yann Dao; Alibey Ghenai; Julien Quartier; Mabrouk Gouicem; Cédric Gueret; Rachid Hamchaoui; Alex Tuy DancersOrchestra and Chorus of Opéra National de Lyon
Roberto Minczuk Conductor
François Girard Director
Marie Chouinard Choreographer
François Séguin Set designer
Thibault Vancraenenbroeck Costume designer
David Finn Lighting designer
Serge Lamothe dramatist
Peter Flaherty videast
リヨン・オペラ座によるブレヒト2本立ての公演。オペラだったので最初はノーマークだったのだが、ブレヒトということもあって見ておこうかとチケットを確保しておいて大正解。リヨン・オペラ座といえば日本でもバレエ団の公演は何度か見たことはあって、有名なのはプレルジョカージュ版の「ロミオとジュリエット」を上演しているということなんだが、そのほかにもマッツ・エックの「カルメン」などコンテンポラリー系のユニークな演目を持ってくることで知られている。オペラの方は初めて見たのだが、こちらの方もきわめて斬新な演出であった。
「THE Lindberg Flight/The Flight over the Ocean」はチャールズ・リンドバーグを主人公にしたもので、「こんな変なものをブレヒトが」という意味では面白かったのだが、その次の「The Seven Deadly Sin 七つの大罪」が圧巻。この作品はもともとバレエリュスの流れをくむバレエ団によって初演されたものなので、もともとダンス色の強い作品ではあるのだけれど、今回はなんとカナダの振付家、マリー・シュイナール(Marie Chouinard)が振付を担当していて、ほとんどコンテンポラリーダンス作品といってもいいものに仕上がっていた。マリー・シュイナールの公演はこれまで2度ほど見たことがあるのだけれど、「変なもの女王」の称号を捧げたいほどおかしなキャラ、おかしな動き(短いけど動画がこちら*3に)が出てくるのが特徴。そういうわけでその振付と登場するキャラクターの変さ加減には引かれるものがあったのだが、ワンアイデアで展開できる小品は面白くても、例えば一番最近見た「春の祭典」などになると作品全体の構成力という点ではやや不満が残った。
しかし、今回は演出家(François Girard)が別にいることもあり、「七つの大罪」という作品にはちゃんとブレヒトが作った枠組みと言語テキストがあるので、振付とキャラづくりという彼女の得意分野に全力投球できたことで彼女のよさが全面的に発揮されることになった。
この作品にはアンナ1とアンナ2というひとりの女性の2つの面をそれぞれになう登場人物が出てくるのだが、そのうちアンナ1が歌の部分をアンナ2には表題の「7つの大罪」(Pride(プライド):傲慢 Envy(エンヴィー):嫉妬 Gluttony(グラトニー):大食 Lust(ラスト):淫欲 Sloth(スロウス):怠惰 Greed(グリード):貪欲 Wrath(ラース):憤怒)にそれぞれ対応する7人のダンサーが登場して、7つのシーンでそれぞれがソロとしてダンスを披露するような構成となっている。
この演目は調べてみたところミルバ主演、スターダンサーズバレエ団、二期会などの出演により日生劇場でも上演されたことがあるようだが、私は残念ながら未見。初演の振付はバランシンだったらしいので、元々、歌付きのバレエのような形で上演されたのだとは思うが、今回のバージョンは振付にシュイナールを起用したことなどでおそらくまったくイメージの違うものに仕上がっている。写真のアンナ2のイメージを参照していただければ少し感じがつかめるとは思うのだが、ひとことで言ってキッチュなのだ。
アンナ2を担当する女性ダンサー以外に黒い背広を着た男性ダンサーも7人登場して、こちらは主として群舞を担当するのだが、ムーブメントはバレエというよりは、ブレイクダンスやヒップホップ的なアクロバティックな動きを取り入れたものとなっていて、しかも群舞といってもシュイナールであるから、普通に踊るというだけではなく、全員がぐねぐねと身体をくねらせて、蛇のようにフロアを這いまわったり、相当に変。「七つの大罪」は以前、さいたま芸術劇場でピナ・バウシュの作品も見たことがあるが、古い作品の再演だったのでどちらかというと古色蒼然という感じがしたのに対し、このシュイナール版は非常に新鮮な感覚に溢れていたと思う。
また、この作品はオペラとはいえ、日本の上演でミルバが主演しているようにいわゆるオペラ的な歌唱だけではなく、キャバレースタイルみたいな歌い方も必要になってくるのだが、Gun-Brit Barkminはとても魅力的にそれを演じきった。今回のエジンバラ演劇祭における白眉といえる公演だったのではないかと思った。