下北沢通信

中西理の下北沢通信

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黒木和雄監督「紙屋悦子の青春」@テアトル梅田

黒木和雄監督「紙屋悦子の青春(テアトル梅田)を観劇。
 松田正隆(劇作家)の長崎三部作(「紙屋悦子の青春」「坂の上の家」「海と日傘」)の最初の作品を黒木和雄が映画化。この映画のクランクアップ後、急逝、これが遺作となった。

 原作者である松田正隆自身の演出で時空劇場によるこの「紙屋悦子の青春」の初演を見たのは何年前のことになるだろうか。調べてみると上演されたのは1992年12月12日・13日、劇場はこれもいまはなき扇町ミュージアムスクエアである。あれからもう14年の歳月が流れたことになる。実は映画を見る前には若干の危惧もなくはなかった。というのもこの時の上演はそれまでは京都でだけ活動していた彼らの大阪での初めての公演で、これが時空劇場という劇団、そして松田正隆という劇作家・演出家との初めての出会いだったのだが、その印象にはなんともいえず鮮烈なものがあったからだ。京都にこれほどの才能が隠れていたのかという驚き。そして、そして紙屋悦子を演じた内田淳子の初々しい魅力、金替康博(現在はMONO)のペーソス、亀岡寿行(現在は桃園会)の男ぶり。若手劇団らしい清新さと若手劇団らしくないその完成度の高さに思わず驚嘆させられたのだった。そして、危ぐと書いたのはこれ以降なんども東京の劇団などがこの戯曲を上演したものを見たことがあったが、この時の上演を超えるものはもちろん、足元に近づいた舞台も見ることができなかったからだ。
 そして、映画はどうだったのか。私は団菊ジジイの心境になりかかっているので、映画が原作を超えたとは死んでもいいたくない気分なのだが(笑い)、これが相当によかったのである。松田正隆との共同脚本で製作した前々作の「美しい夏キリシマ*1」がよかったので、危ぐとは書いたけれど期待もしていたのだが、映画として十分それにこたえるものになっていたばかりでなく、ああ、これでもう松田作品を黒木監督で見ることはできないのか、最初で最後になってしまった、と黒木監督の急逝にあらためて悔しさがこみ上げてきた。
 キャストがよかった。まずなんといっても紙屋悦子の原田知世である。この人の若々しさはいったいなんなんだろう。言葉は悪いが怪物である。原田知世といえばなんといってもデビュー作にして彼女の唯一無二の代表作となった「時をかける少女」なのだが、あれは83年のはずだからあれから四半世紀近くたっている。奇しくも現在アニメ版の「時をかける少女」が上映されているのだが、このキャスティングには最初に聞いた時には20年前だったらぴったりだと思ったんだろうがと思わず仰天した。しかも、杉村春子が死ぬまで芸の力で「たけくらべ」の美登利(17歳)を演じていた演劇ならばともかく(笑い)、これは映画なのだ。
 しかし、薬師丸ひろ子角川映画のヒロインを二枚看板で背負っていたかつてのアイドルの輝きはだてではなかった。考えるにデビュー作がいくら素晴らしくても、いつまでもそれを代表作とされ続けるというのは俳優にとっては一種の屈辱なようなところがあると思うのだが、彼女の場合、例えば大林作品などにチラッとゲスト出演するだけでも存在感は抜群なのにどうもこれまで作品に恵まれない不運があったと思うのだ。だが、この「紙屋悦子の青春」での彼女の演技はそれこそ一世一代を感じさせるものがあった。この役柄の本来の設定はどう考えても行き遅れの話ではなくて、当時で見合いするというわけだから、女学校は卒業しているけれど、20代前半ぐらいのはずなんだけれど、最初はさすがにちょっとは気になるところがないではないのだけれど、それもしだいに不自然には感じなくなる。すごい女優だとあらためて脱帽させられた。
 もちろん、そのほかのキャストも素晴らしかった。兄を演じた小林薫、こういう役をやらせたらやはり抜群である。そして、永瀬正敏本上まなみ松岡俊介とそれこそ適材適所。永瀬、小林はもちろんどちらも演技力抜群の俳優だし、こういう役ははまるなという役柄を与えられているから、当然という感じはなくもないのだが、予想以上によかったのは本上まなみである。夫への気持ちが溢れてついには「戦争に負ければいい」と言い出し、夫にたしなめられる場面など本当によくて彼女の演技に思わずほろりとさせられた。
 それにしてもまったく無名時代の松田による舞台の初演を見ているだけにその戯曲が映画化されて、私も個人的に大好きな永瀬正敏小林薫、そして原田知世といった俳優たちによってそれが演じられているというのはなんとも不思議な感覚であった。そういえば冗談めかしてではあるけれど、松田正隆の存在をいつか映画界が放っておかなくなるだろう。それは小津安二郎を継ぐような才能だからだ。しかし、彼の作品が映画になる時には問題がある。それは今の映画界には小津のヒロインだった原節子のような女優がいないからだ。しかも、時空劇場の内田淳子のイメージを払拭できるようなヒロインといえば原田知世薬師丸ひろ子、あ、薬師丸はちょっとタイプが違うか、と知り合いに語ってたこともあったような記憶がある(笑い)。今回の映画で改めて思ったが、原田知世は珍しく小津や成瀬のいた日本映画の黄金時代にいたような女優(原節子田中絹代倍賞千恵子……)を思わせるような稀有な魅力を持った女優である。まさに「時をかけてる」と思う。この映画をきっかけにどんどん活躍してくれるといいのだが。
 聞くところによるとこの「紙屋悦子の青春」はもともと松田が黒木監督の映画「TOMORROW/明日」(88年)を見て「戦争というと特別なことのように思われるけれど、戦争中の人たちには日常生活はあったんだ」と感銘を受けて、自分の両親のことをモデルに書いた作品で、その作品の舞台上演をたまたま黒木監督が見て、この人と一緒に仕事をしたいとまったく面識もなかった松田に「美しい夏キリシマ」の脚本を委嘱したということらしい。劇団の初演の時には両親もみえていて、「自分たちがモデルになった芝居が上演されているのは不思議な気持ち、私はあんなに美人じゃなかったけれど」などと謙遜したとかいうようなことも耳にした記憶があるのだが、松田のご両親はまだ健在だろうか。今度はどんな風に感想を述べたのだろうか。
 松田と黒木監督の出会いにも偶然とはいえ、なぜか人の運命の不思議さを感じるのであるが、そうだとすれば黒木監督の急逝は残念であることには変わりないけれど、この映画の存在は「最後の最後についに間に合った」ということかもしれないとも思う。実はこの映画ではなくて、監督が進めていた別の映画の話を以前に耳にしていて、その映画で松田が再び脚本を書くかもしれないという話も以前聞いたことがあったのだが、その後の話が聞こえてこなかったので、映画ではよくあることだが、あの話は立ち消えになったのかなと思っていた。それで、黒木監督の突然の訃報を聞いたのだが、その時点ではこの「紙屋悦子の青春」を撮っていたということは知らなくて、それでびっくりしたのだった。そういう意味でこの映画は黒木監督が最後に私たちに残してくれたとても素敵な贈り物であった。
 映画の具体的な構成に話を戻すとこの映画の場合は松田のクレジットはあくまで原作。脚本には参加していない。
それで自由翻訳のようになるのではといらぬ心配をしたのだが、映画は驚くほど原作に忠実である。野外撮影の場面というのは冒頭の病院の屋上の場面しかなく、ほとんどが室内のセットでの撮影で、せりふのやりとりもほぼ原作のままといっていいだろう。ただ、原作では確かせりふは長崎弁だったと思うのだけれど、これは鹿児島の話なので方言の部分では微妙な違いがあるのかもしれないが、現在手元に戯曲のテキストがない(映画のシナリオはパンフに収録されている)ので、残念ながら厳密に対照することはできない。だが、少なくとも冒頭の屋上の場面には方言の違いがあったはず、と思う。
 ただ、唯一の野外撮影である冒頭の屋上での老夫婦の会話も原作にもあるものなので、長回しなども意図的に使って、映画としてはいくぶん破格なものになっても原作の舞台をできるだけそのまま生かそうとしているところに黒木監督の原作に対する強い愛情、そして、「この物語を映画に残すのだ」ということへの強い意思が感じられた。普通の監督だったら、会話に登場する悦子が働いてる駅の話し好きの駅長さんのエピソードなどは絶対に1カットぐらいはいれたくなるものだと思うが、この映画ではそれも禁じ手とした。音楽も最初と最後のタイトルロールだけで、本編ではいっさい使わなかった。結果的には松田の原作の原上演を知るものにとってはそれが大正解と思われたのだが、松田はいい監督と出会ったものだ。
 松田の戯曲は細かい間などで表現される笑いに満ちているのだが、実は新劇系の上演などではそれが演出的に拾えなくて、ただ戦争という主題などの真面目なことにばかり目が向いて、もどかしくなることが多い。だが、おそらくこの2人は年は離れているが、感覚が近いのじゃないかと思う。この映画はそういう微妙なおかしさをうまく拾って深刻な内容をきっちりとエンターテインメントとして見せてくれるのである。昔は松田戯曲を映画化するんだったら大林監督がいいかななどと思っていたのだが、黒木監督は正解だった、と思う。
 最後に映画はすごくよかったのだけれど、それで逆にこのキャストによる舞台版というのもぜひ見てみたいと思ってしまった。映画の脚本をそのままやるか、松田の戯曲に戻すかというのは微妙なところだけれど、やはり演出はできれば松田にやってもらいたい。あるいは松田の最近の舞台の傾向を見るとそれを松田が受けるかどうかには若干の危ぐがなくもないので、その場合は女優遣いの達人、岩松了の演出はどうだろう。そうだとすれは小林薫プロデュースの「タ・マニネ」でシアターコクーンでというのはかなり実現性あると思うんだがなあ。キャスティングさえうまく調整できれば観客動員もできそうだし。もちろん、その場合、主演が原田知世でなければなんの意味もないのだけれど。そういえば永瀬正敏といえば小泉今日子も岩松演出受けてるよなと思ったのだが、もう離婚していたか(笑い)。 

*1:「美しい夏キリシマ」の感想はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040302