下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

「踊りに行くぜ!!」in福岡@イムズホール

踊りに行くぜ!!in福岡*1(福岡・イムズホール)を観劇。

んまつーポス 【宮崎】福岡選考会選出
作品タイトル  「金の羽毛をもつトカゲ」のためのポスター#3
振付・出演:児玉孝文 蓑輪壮平  出演:倉掛啓輔

真崎千佳(まさきちか)【福岡】福岡選考会選出
作品タイトル  idas
振付・出演  真崎千佳

納谷衣美×山下残(なやえみ×やましたざん)【京都】各主催者/JCDN依頼
作品タイトル  シビビビ
振付・出演:山下残  出演:納谷衣美

休憩

康本雅子(やすもとまさこ)【東京】各主催者/JCDN依頼
作品タイトル  ナ花ハ調
振付・出演:康本雅子

Ko&Edge Co. (こうあんどえっじ)【東京】各主催者/JCDN依頼
作品タイトル  DEAD 1+ 構成・振付:室伏鴻
出演:目黒大路、鈴木ユキオ、林貞之

 今年も10月からJCDNによるコンテンポラリーダンスの全国巡回公演ダンス「踊りに行くぜ!!」が始まった。今回は10月から12月に、福岡、青森、松山、前橋、札幌、福井、広島、静岡、茅ヶ崎佐世保、大阪、別府、金沢、沖縄、高知、新潟、山口、長久手(愛知)栗東、仙台の全国20ヶ所そして06年2月に東京(「SPECIAL IN TOKYO」と銘打ち、本年度の話題作品を上演)で40組のアーティストが出演するという大規模なものとなった。
その最初の会場となったのが福岡イムズホールである。この「踊りに行くぜ!!」という企画の面白さは会場ごとにその土地柄が発揮されて、雰囲気が異なることだと以前にも書いたが、とにかく福岡の特徴は会場がロビーからして熱気に溢れていることだ。お祭り好きの博多っ子気質が存分に発揮されているといっていいだろうか。昨年、会場のスタッフが揃いの踊りに行くぜ!!Tシャツっを着ていてびっくりしたと書いたのだけれど、今年は福岡会場だけのオリジナルグッズがTシャツ以外にもいろいろ売っていてまたまたびっくり。カンバッヂまでは「まあ定番だしな」と思ったのだが、「踊りに行くぜ!!」特製の絵馬まで売っていて、しかもそこでは売り子さんが巫女の格好までしていたのには思わず笑ってしまった。

 いってみればちょっとした縁日のノリで、年に一度の「ダンスのお祭り」ということだろうか(笑い)。そのほかにもなぜだか地元のパン屋さんの協力でパンとジャムの試食コーナーも設けられていて、この勢いでいくと来年はイカ焼きとかの屋台が出ていてもおかしくないほどだが、いくらなんでもそんなことはないか(笑い)。
 公演の内容もなかなか充実したものであった。地元選考会選出の2組がまず登場したのだが、宮崎から来たという宮崎大学教育文化学部の学生3人によるんまつーポスがなかなかユニークで面白かった。福岡の場合、よくも悪くも「踊りに行くぜ!!」の優等生でそこのところが不満と昨年書いたのだが、今年はこういうちょっと毛色の変わった連中が参加してきたのがこれまでと大きく違うところで、集団名からして変なのだがこれには実は意味があって、逆さまに読むと「スポーつまん」つまり「スポーツマン」(笑い)。大学で体育を専攻している学生たちによるグループで、作品も前半部分は「野球」「バスケット」「バドミントン」という3人のメンバーがそれぞれ経験していたスポーツの動きのサンプリングになっている。そして、ダンスとしてはそれだけではなくて、ジャンプをした時に軽く、男性の肩口ぐらいまで飛び上がってみせるなど、ダンスの経験は浅いとは思わせるのだが、いずれもスポーツで鳴らしたと思われるだけにとにかく身体能力の高さが尋常ではないのである。作品としてはスポーツのところの動きが少しダンス的に処理されていすぎて、もう少しそれぞれの動きのディティールが細かく出せればなと思わせたり、後半のダンス的な動きをするところがどうしても普通のダンスになってしまっていたりと、不満もないではないのだが、地元福岡ではないにしても地方の選考会ならではの異色ぶりを強く感じさせ、身体表現サークルほどではないにしてもオリジナリティーという意味ではなかなかのものを感じさせた。
 福岡の場合、地元で頻繁にコンテンポラリーダンスのワークショップをやってきたという経緯があって、これまで地元選考会で選出された振付家・ダンサーはダンスについての長い経験があるというよりは少しダンスを習っていて、そしてコンテンポラリーダンスに興味を持って作品を作ってみました、という感じのものが多かった。その意味では次に出演した真崎千佳もこれまでとは少し違う毛色のダンサーだろうか。少し見てすぐ分かるのはこの人はバレエの相当に長いそしてレベルもそれなりに高い経験がある人だということだ。つまり、これまで見た福岡のダンサーでは抜群に踊れるダンサーであり、こういう人も選考会に参加してきたのかと地元でのコンテンポラリーダンスの広がりを喜ばしいと思う半面、そういうタイプのダンサーの陥りがちな欠点が典型的に見えた舞台でもあった。
 かなり頑張って、痙攣的な動きとか、ミニマルな動きの激しい反復とか、バレエとは違うコンテンポラリーならではの動きを提示しようとはしていて、そこのところには好感は覚えたのだが、やはりその動きのところどころからバレエの動きが透けて見えてしまう。なまじ、バレエの技術を持っているダンサーにはそこが難しいところなのだが、それを突破する方法は一様ではない。北村成美や黒田育世のように技術は技術として利用しながら、突き抜けてしまうか、寺田みさこのように丁寧に丁寧にそれを消してしまうか。もっとも、いずれの道もそんなに簡単なことではないのだけれど、ここを抜けきらないと真にオリジナルなものは生まれてこない。現在はまだ途上も途上という印象を受けてしまった。 
 遠征組の3組もそれぞれよかった。しかもいずれもまったくダンスとしての方向性が違ったから、地方に「コンテンポラリーダンスの今」を紹介する「踊りに行くぜ!!」のプログラムとしてはバランスがとれたものとなっていたのではないだろうか。
 今回もっともインパクトを受けたのはKo&Edge Co.室伏鴻の振付作品をともに自分でカンパニーを率いている3人のダンサーが踊るのが、Ko&Edge Co.の「DEAD 1+」なのだが、この作品は舞踏という表現の奥深さを感じさせてもらった。第一印象は男性ダンサーによる極めて硬質な作品ということで、作品の前半は3人のダンサーが頭を下にして逆立ちのような姿勢で屹立し、静止したままさかさまになった背中だけを見せる。振付とは書いたが、ここの部分ではほとんど静止しつづけるので、ムーブ=振付ではないところがこの作品のミソである。
 もっとも、静止と書いたが、凝視しているとその姿勢を維持するための身体的な負荷から、背中や足の筋肉が微妙に痙攣したり、バランスをとるためにゆっくりと微妙に上下したりして、不随意的な動きをすることで、背中向きであるながら、それぞれのダンサーが微妙に表情の違いを見せ始めるのが面白い。動かないで「もの」と化した背中を見せるという意味では昨年この同じ会場で上演された「花嵐」の作品もそうだったわけだが、それが男性と女性との筋肉のつき方によるものか、あるいは花嵐が白く塗っていたのに対し、Ko&Edgeは銀色に塗っていたせいか*2花嵐の背中がトルソないし、植物質のものを連想させたのに対し、ここでイメージしたのは青銅の塑像のような身体であり、広い意味で舞踏全体を見渡してみたときには両者ともモノ的な身体への接近という共通したものを感じさせながらも、そこには明らかに質感の違いが表れていたのも興味深かった。
 一方、納谷衣美×山下残のデュオ、康本雅子のソロにはいずれも桜井圭介氏が「コドモ身体」と名づけたような最近の日本のコンテンポラリーダンスのひとつのあり方も彷彿とさせるものであった。もっとも、その具体的な方法論はかなり対照的であったかもしれない。
 納谷衣美×山下残のデュオはコンタクト・インプロヴィゼーションの技法をその振付に応用したものだが、その動きは普通のコンタクト・インプロのムーブメントと比べると「へたれ」そのもの(笑い)。一見、へたくそに見えるのだが、その実、そうした「へたれ」の動きも含めて、最初にコンタクトから創出された動きをかなり厳密に振付に落とし込んで、いつでも再現可能なレベルにまで練りこんだもので、山下残がギターのように納谷を持ち上げて歌を歌う場面の「実際に歌われる歌」などを除けばだらしないように見えてもアドリブはほとんどないのではないかと思われる。
 そもそも、この2人のデュオはぬぼーと大きい山下に対して、ひときわ小柄な納谷がデュオで踊るというだけでもそれはかなりおかしな構図で、思わず笑ってしまうようなキャラのたち方があり反則技なのだが(笑い)、そうした自分たちの特性を知悉してうまく作品に利用している山下の確信犯ぶりはこの人だけができることだと思う。
 この作品には単純にコンタクトというだけではなくて、プロレス技を彷彿とさせるような動き(ジャイアント・スイングとか)、怪しげな催眠術を連想させるようなユーモアな要素も組み入れられていて、そういう人を食ったようなとぼけた魅力も山下残ならでは、であろう。この作品にはいつも山下がモチーフとして使うような言葉と動きの関係性のようなコンセプチャルなところはないので、一見「少し変だけれど普通のダンス作品」に見えたりもするのだけれど、「作品に必要な要素のサンプリング」→「それを自由に組み合わせ・再構築して作品化する」という手順そのものには山下らしさは出ていて、とぼけた個性だけではなく、そこのところがやはり作品としても刺激的なのであった。
 対照的に康本雅子のソロは優れたダンサーだけが持ちえるオリジナリティー溢れるムーブメントの連鎖で構築されたもので、そして、動きの面白さだけではなく、そのキャラクターがきわめて魅力的なところも彼女の武器である。まさしく、どこを切っても「康本雅子」なのだが、それはある意味彼女にとっては課題でもあった。というのは自分がどういう風にすると魅力的に見えるのかということを天性のものとして知っている強みは彼女にあるものの、それは裏返せば「天然」つまりナチュラルボーンダンサーということでもあって、これまでの彼女のダンスにはそれを作品として見た場合に「彼女の存在」の外側の作品としての枠組みが希薄に感じられることが多かったからだ。ところで、実は今回上演した「ナ花ハ調」には途中で映像を使って、映像とダンスとのイメージの交差により、「外側の枠組み」のようなものを提示しようという意図が感じられて、そこが面白かった。
 ただ、この作品の場合、現時点ではまだ映像の前と後が作品としてブツっと切れてしまって、提示されるイメージの統一感に欠く印象があるなど、それがかならずしも十全な形では成就してはいなかった。そこのところが残念ではあったが、複数の会場で再演を重ねることにより、作品をブラッシュアップしていくというのも「踊りに行くぜ!!」のもうひとつの役割で、たたき台としては面白い要素を持っている作品だけにこれがどのように変貌していくのかが楽しみな作品だった。  
人気blogランキングへ

*1:2005年のレビューはこちらhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20051001

*2:おそらく両方の相乗効果に室伏と花嵐の志向している身体性の違いも加わってのことであろう