シベリア少女鉄道「永遠かもしれない」(シアターグリーン)を観劇。
作・演出/土屋亮一
出演/前畑陽平 篠塚茜
加藤雅人(ラブリーヨーヨー) 吉原朱美(ベターポーヅ)
浜口綾子 石松太一 森口美香 ほかスーパーバイザー(出れたら出る)/藤原幹雄 横溝茂雄
舞台監督/谷澤拓巳+至福団 音響/中村嘉宏
照明/伊藤孝(ART CORE design) 映像/冨田中理(SelfimageProdukts)
衣裳/さかくらきょうこ 大道具製作/C-COM舞台装置
宣伝美術/チラガール 制作助手/小林由梨亜
制作/安元千恵 製作/高田雅士 企画・製作/シベリア少女鉄道
舞台では一組の漫才コンビ(前畑陽平、篠塚茜)が観客の前で実際に漫才をはじめる。もっとも、観客の前で漫才が実際にはじまる前に冒頭ではコンビのひとり耕治(前畑)のモノローグで彼が巻き込まれた事故の顛末が短く語られ、その事故で耕治の相方と姉そして恋人が全員亡くなり、小梅(篠塚)と新コンビを結成した現在もそのことについての拘りがぬぐいきれない。これが耕治の現在の状況である。この舞台では冒頭で出演を控え、誰もいない劇場でもの思いにふける漫才師が真面目なタッチで描かれる。漫才師、藤井耕平(前畑陽平)は過去に自動車事故で恋人と実姉と漫才の相方を失い、心に深い傷を負っている。亡くなった彼らは妄想のように頻繁に甦り主人公の前に現れる。ここのところはちょっとジェイムズ・サーパーの「虹をつかむ男」やそれを下敷きにしたウディ・アレンの「ボギー!俺も男だ」を思い起こさせるが、実はこうした設定がこの後展開していく舞台の重要な鍵を握ることになる。妄想中の登場人物を彼らがすべて早替わりで演じていくことになるからだ。
舞台では劇中漫才として耕治と彼と新コンビを組む坂野小梅(篠塚茜)の漫才が披露される。この漫才のネタの最中に予想もしないキッチュな物語が闖入してくる。忠臣蔵や「タッチ」を思わせる高校球児の青春物語や「CAT’S EYE」や時間旅行もののチープなSF、「海猿」、「白雪姫」、「サザエさん」などのパロディが展開される。重要なのはこの次から次に展開されるベタな物語群がいずれも漫才のいわゆる「のりつっこみ」の「のり」に当たる部分が妄想的にビジュアル化され肥大化したものだということである。
それぞれに展開される物語や場面はいずれも工夫され、面白く見られはするが、本質はそこにはない。耕平の妄想のなかで展開する物語のなかに巻き込まれてしまった小梅が漫才を進行させるためにその物語を終わらせてその結果「なんでやねん」とつっこもうと奮闘する。しかし小梅の頑張りに反して物語は次から次へと逸脱を繰り返す。しかもまどろっこしいばかりに執拗に反復され、遅延が繰り返される。そしてそれが観客に「この芝居は永遠に続くかもしれない」と思わせ、それが表題につながっていくわけだ。