下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ダンスについて考えてみる(日本舞踊はダンスか?)

 先日とある知人*1と議論をしていて、私のまったく予想もしていない方向に議論が進むという興味深いことが起こった。「日本舞踊はダンスか?」と表題には書いたけれども、日本舞踊について論じようというのではない。これから論じようと考えているのは「ダンス」*2という言葉が持つ語感についての問題である。
 その議論というのはこんなことであった。その時、私はポかリン記憶舎という劇団について論じようとしていたのだが、この劇団は本公演としての演劇公演と並行してセリフのない和装パフォーマンス公演「和服美女空間」というのをやっていて、それが昨年、トヨタコリオグラフィーアワードの二次選考会にノミネートされたのであった。そして、さらにいえばポかリン記憶舎は残念ながらこの二次選考会の場で落選し、ファイナルに進むことはできなかった。
そして、選考に携わっていていた審査委員の何人かに後ほど個人的な興味からポかリン記憶舎はなぜファイナルに選ばれなかったんだろうか、と聞いた時に何人かの人から「ダンスではないと思うから」という類の答えが返ってきた。このこと自体も興味深くはあるのだが、本日の主題はこの後になる。
 冒頭に書いた議論というのはこの話において私が知人に選考委員をしているような舞踊評論家やプロデューサーの人たちが、「なぜ、ポかリン記憶舎をダンスとみなさないのか。確かに普通のダンスとはかなり違う動きだけれど、ダンスの中には舞踏のようにあまり動かないものもあるのに、舞踏のようなダンスとポかリン記憶舎のパフォーマンスの間のどこに決定的な差があるんだろうか。私には分からない」と話すと、その知人から「そのもの言いはおかしい」と突然激しい反論がやってきたのだ。
 それは「舞踏はダンスではない」というものであった。確かに以前から舞踏に携わる人の一部に舞踏をコンテンポラリーダンスに入れてしまうことに対して「それは違う」という議論がある、ということは知っていた。知人は舞踏の関係者ではなかったので、そのもの言いが彼から出ることは少し意外だったのだが、そういうこともありえるかもと思い、反論の準備に入ろうとした時、彼から次のような言葉が出て「え!」と思わず言いそうになったのだ。
 それが冒頭に書いた「日本舞踊がダンスですか。あるいは能はダンスですか。違うでしょ。それと同じように舞踏もダンスなどと言ったらおかしいでしょ」というのが知人の言葉。驚いたのは私にとっては日本舞踊はかなり自明なこととしてダンスだったからだ。
 日本語のダンスと英語のdanceは完全に同じ概念を指すものかと聞かれれば若干の躊躇はあるけれど、私の中では「ダンス」という言葉の意味内容は英語でいうdanceにほぼ準拠したものである。この使用法だとdanceにはそのサブジャンルとして、社交ダンスやモダンダンス、ストリートダンスっといったジャンルダンスは含まれるし、民族舞踊という意味で例えばアフリカやアジアの伝統的な踊りも含まれる。そして、この使い方からすれば舞踏もジャンルダンスとして、ダンスに含まれるし、日本特有の民族舞踊(伝統舞踊)といっていい日本舞踊もダンスに含まれる。そのことは自明だと思って話し、考えていたのだが、知人は違うというのだ。
 つまり、知人の考え方からすれば私が考えるようにダンスのサブジャンルとして、舞踏や日本舞踊があるのではなく、ダンスと舞踏や日本舞踊という風に横並びだというのである。最初は言っていることの意味が分からなかったし、アフリカのダンスはダンスだけれど、舞踏や日本舞踊は違うという主張はそれを特権化するような響きがあり同意しにくいところがあったのだが、さらに話をしていくうちに次第にこの議論の噛み合わなさの原因が分かってきた。
 それは結局、知人と私ではダンスという言葉の語感が違うということだったのだ。どうやら、知人のなかではダンスとは海外から入ってきたもの(バレエ、ジャズダンス、アフリカンダンス……)を言うので、舞踏や日本舞踊といった日本由来のものは「舞踊」「踊る」とは言えても「ダンス」という風には言えないということのようなのだ。私はこの知人のような使い方が一般的で、私の使い方がおかしいとの主張にはうなずきかねたのだけれど、冒頭のポかリン記憶舎の場合とは全然意味合いが違うけれども、確かに「狂言はダンスではないから」というようなもの言いはよくされるし、その時のダンスという意味合いに「西洋から導入されたあのダンス」というようなニュアンスがあることには気がついてはいた。
 しかし、それはそういうコンテキストにおける特殊な用例であり、意味としては「ダンス」ということで「いわゆるあのダンス」というようなことを意味させているのだろうと思って気にしなかったのだが、こちらの意味合いの方が普通で私のような使い方は専門家が陥っているような独善だというようなことを直接その知人が言ったわけではないが、言われた時に以前のように「それは違う」とも言いかねて困惑していることも確かなのだ。
 つまり、知人の主張に基づけばダンス=舞踊ではなくて、舞踊⊃ダンスということのようなのだが、私は日本における「現代舞踊」の特殊な意味合いを避けるためにできるだけダンスという言葉を使うようにしていることもあって、舞踊という言葉を避けるように習慣付けられているからでもある。
 せっかくなので最後にアンケートをつけたい。あなたの日常的な語感において舞踏はダンスでしょうか?日本舞踊はダンスでしょうか?


ちなみにこちらの質問はどうでしょうか?

*1:ここでは相手がだれだったかということはさほど問題にはないが、内容は興味深いと思う

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9