テキスト・演出・舞台美術:ヤン・ファーブル
振付:ヤン・ファーブル、イヴァナ・ヨゼク
出演:アルテミス・スタヴリディ
http://aichitriennale.jp/artists/performing-arts/-jan-fabre.html
面白くは見た。イヴァナ・ヨゼクという人はパフォーマーとしてなかなか力があり、舞台として魅せはするのだが、ヤン・ファーブルの舞台が作品として素晴らしいかということになると残念ながら疑問符がつく。しかも、それは今回だけの印象ではなくてこれまで何度か見た彼の舞台作品の印象がことごとくそうだからこれはもう私とはとことん相性が悪いのかもしれない。最初に書いたのようにつまらないわけではない。だが、その面白さはどちらかというと通俗的なものだ。金沢21世紀美術館での展示には行けなかったけれど、ヤン・ファーブルの美術作品はいくつかの美術展で見ていて、特にぞくぞくとさせられる魅力を持っていると思っている。ところがヤン・ファーブルの舞台作品にはなぜか彼のアート作品が持っているようなアートとしての魅力が感じられない。
自殺を主題に扱っているが、その取り扱いかたも、舞台での処理の仕方も古いのではないか。そこには例えばW・フォーサイスやローザスが持っているような形式の新しさはほとんど感じられない。
橋から今にも飛び降りて自殺しようとする男が恋人(?)にあてた手紙の朗読にはじまり、その女性の心象風景を託したようなダンス場面、その後は歌。この通俗的な枠組みはどうなんだろう。歌そのもの、ダンスそのものはなるほど魅力はあるのだけれど、それは現代美術作家であり、コンテンポラリーダンス、あるいは現代演劇の作り手でもあるヤン・ファーブルの作品として評価すべきようなものであるのか? この手の海外で評価の高い演出家、振付家の作品に対して明確に「ノン」と書く人が日本では少ないのでこの作品にもきっと新聞や演劇雑誌などには絶賛の評が並ぶんじゃないかと考えるとうんざりするのだが、私はこの作品を現代の舞台作品として評価するのは違う気がした。