下北沢通信

中西理の下北沢通信

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木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談―通し上演―」@池袋・あうるすぽっと

 監修・補綴:木ノ下裕一 演出:杉原邦生 作: 鶴屋南北 美術:島 次郎
 照明:中山奈美 音響:齋藤 学 衣装:藤谷香子 立師:坂東橘太郎
 演出助手:陶山浩乃 演出部:金城裕磨 舞台監督:大鹿展明
 補綴助手:稲垣貴俊[劇団しようよ] 文芸:関 亜弓 制作:本郷麻衣
 助成:芸術文化振興基金 製作:木ノ下歌舞伎
 共同製作:フェスティバル/トーキョー
 主催:フェスティバル/トーキョー 木ノ下歌舞伎
 出演:
 亀島一徳[ロロ]:民谷伊右衛門

 黒岩三佳:お岩、乞食たち
 細野今日子:お袖
 日高啓介[FUKAIPRODUCE羽衣]:四谷左門、利倉屋茂助
 峯岸のり子:伊右衛門母お熊、茶店女房お政

 舘光三:伊藤喜兵衛
 田中美希恵:喜兵衛孫娘お梅、小平女房お花
 竹居正武[さいたまゴールド・シアター]:仏孫兵衛、医者尾扇
 蘭妖子:伊藤家乳母お槇

 高橋義和[FUKAIPRODUCE羽衣]:按摩宅悦、庵主浄念
 高山のえみ:宅税女房お色、小塩田又之丞
 乗田夏子[劇団野の上]:地獄宿の女お大、伊藤家後家お弓

 田中佑弥[中野成樹+フランケンズ]:佐藤与茂七
 岩谷優志[劇団民藝]:奥田庄三郎、米屋長蔵

 飯塚克之:直助権兵衛
 森一生:薬売り藤八、赤垣伝蔵
 後藤剛範[害獣芝居]:秋山長兵衛、乞食たち

 四宮章吾:関口官蔵
 木山優彬:中間伴助
 森田真和[尼崎ロマンポルノ]:小仏小平、小平息子次郎吉、乞食たち


 第1幕 浅草境内の場/地獄宿の場/浅草裏田圃の場
 第2幕 伊右衛門浪宅の場/伊藤家屋敷の場/元の伊右衛門浪宅の場/十万坪隠亡堀の場
 第3幕 深川三角屋敷の場/小塩田隠れ家の場/夢の場/蛇山庵室の場

 フェスティバル/トーキョー2013(F/T2013)で私が個人的にもっとも期待していた舞台が木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談―通し上演―」だった。今春東京に引っ越したがそれ以前に住んでいた関西でここ数年、もっとも注目している若手劇団が木ノ下歌舞伎だからだ。昨年は東京デスロックの多田淳之介を総合演出に迎え「義経千本桜」の通し上演を行った。私はそれをwonderlandの年末回顧でベスト1に選んだが、この「四谷怪談」もそれとは方向性の異なる公演ながらも、匹敵する水準の好舞台だった。ポストゼロ年代の若手劇団でトップランナーの一角を占めていることを改めて示したといえよう。
 木ノ下歌舞伎は京都造形芸術大学の学生であった木ノ下裕一、杉原邦生らにより2006年5月に旗揚げ*1した。設立時から「歌舞伎を現代演劇として上演する」ことを目的としている。過去にも加納幸和らによる花組芝居などの例はあるが、学生出身の劇団が日本の古典劇である歌舞伎の上演を目的として発足するということ自体珍しく稀有な事例ではないかと思う。
 F/Tの今回のテーマは「物語を旅する」であり、松井周のサンプルがギリシア悲劇オイディプス王」を下敷きとした「永い遠足」を上演するなど古典に材を取った作品が上演されたが、日本の古典として「四谷怪談」が選ばれた。演出家・中野成樹とドラマトゥルクの長島確(中野成樹+フランケンズ)らによる街を周遊する作品「四谷雑談集」(よつやぞうたんしゅう)「四家の怪談」と並び木ノ下歌舞伎による全幕の通しも上演された。
 「東海道四谷怪談」は鶴屋南北(大南北)による歌舞伎を代表する人気演目。あらすじは以下の通りだ。

 民谷伊右衛門と四谷左門の娘・岩をめぐる物語。夫の不行状を理由に実家に連れ戻されていた岩を取り戻すために伊右衛門は左門に岩との復縁を迫る。しかし過去の悪事(公金横領)を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺害してしまう。同じ場所で、岩の妹・袖に横恋慕していた薬売り・直助も袖の夫・佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害していた。そこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つける。嘆く2人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言い、伊右衛門と岩は復縁し、直助と袖は同居することになる。(ここまでが第一幕である)
 民谷家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになる。高師直の家臣である伊藤喜兵衛の孫・梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿にと望む。高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策する。喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露する。岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死ぬ。伊右衛門は家宝の薬を盗んだとがで捕らえていた小仏小平を惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流す。伊右衛門は伊藤家の婿に入るが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡する。
 袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許すが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってくる。結果として不貞を働いた袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり死ぬ。袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、自害する。
 蛇山の庵室で伊右衛門は岩の幽霊と鼠に苦しめられて狂乱する。そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討つ。

 歌舞伎だけにとどまらず、映画や小説などでもさまざまなバージョンが作品となっていることもあり、原作の歌舞伎を見たことがない人でも、「四谷怪談」の名前を聞けば「お岩さんの幽霊が化けて出る怪談」ということぐらいは「日本人なら渋谷の街角を歩いている普通の女子高生でさえ知っている」(木ノ下裕一)ほど知名度は高い。「東海道四谷怪談」は木ノ下歌舞伎にとっても因縁の演目だ。なぜなら「四谷怪談」は2006年の旗揚げ時にも、杉原邦生演出版、木ノ下裕一演出版と2度にわたって上演。その時には劇団としてまだ試行錯誤の時期だったこともあり、木ノ下・杉原の2人にとっても完全に満足した出来栄えとはいえず、いつか再演することで落とし前をつけたい作品でもあった。この時の舞台の感想も依然短く書き留めていたのでその一部を簡単に紹介する。

 杉原の演出は舞台後方に大きな幕が張ってあって、その場面、その場面で登場する人物が黒い台のような舞台装置に乗って、それが黒子に押されて、幕の奥から舞台前面に出てきては芝居をするというもので、この趣向はなかなか面白かった。「東海道四谷怪談」の「雑司ケ谷四ツ谷町、 伊右衛門浪宅の場」「同伊藤喜兵衛内の場」というと本来の歌舞伎でいうと、2幕にあたる部分で、怪談としてのスペクタクルよりも、それぞれの登場人物の人間ドラマに焦点を置いた場面が中心。もちろん、大南北の芝居だから、この場面でも有名な「髪梳き」などの趣向はあるが、怪談としての最大の見せ場である「蛇山庵室の場」のような外連(けれん)はなく、それゆえどちらかというとそれぞれの俳優にも現代劇に近いような演技スタイルで演技させるというのが今回の演出プランだったようだ。ただ、この舞台では脚本自体は若干のテキストレジストを演出の杉原が行ってはいたようだが、基本的には鶴屋南北のせりふをそのまま使うということだった。これはやはりかなり無理があったのじゃないかと思う。(中略)歌舞伎のような「語り」の技量のない俳優がこういうせりふを成立させるためにはやはりなんらかの様式化が必要で、それにはやはり時間がかかる。今回のように大学生か、卒業してすぐというようなキャリアの浅い俳優だけでそれを成立させるのは難しいと思われた。そのため、やはり全体としては完成度という面ではまだまだ荒削りで「学生演劇としてはまあまあのできばえ」というレベルでしかないというのが正直な感想。どういうスタイルを志向するかも含め、新しい歌舞伎を本格的に志向するのであれば公演を続けながらまだまだ試行錯誤が必要だと思う。ただ、これはどうやら京都造形芸術大学の場合、歌舞伎や能・狂言という古典の実演が必修となっているせいか、若手の演劇人がこういう古典のテキストに興味を持ち、上演してみようと試みること自体が珍しいことでもあり、ここから今後どんなものが生まれてくるのかおおいに興味はそそられたのである。

  今回の「通し上演」にはいくつかの特徴があったがひとつは上演において、現代口語に翻案したセリフと鶴屋南北の原典通りの言い回しを状況や配役に合わせて自由に組み合わせたことである。旗揚げ時の初演では上記の通り、鶴谷南北のセリフをそのまま使用した。しかし、これをキャリアの少ない学生らだけの手でそのまま上演するには無理があった。ただ、この時点で私は大きな勘違いもしていた。
 これまでも歌舞伎のような古典テクストの現代演劇としての上演はさまざま劇団によって試みられてきた。先行世代でもネオ歌舞伎を標榜して独自のスタイルを確立した花組芝居をはじめ、山の手事情社ク・ナウカなどがこれに取り組んできた。古典演劇に取り組むにはもちろんさまざまなアプローチが考えられるが、その代表的なひとつが「語りの演劇」の範疇に入るものだ。上記の3劇団のようにその劇団特有の身体メソッド、あるいは「語り」のメソッドを持ち、古典的なテクストをそれに落とし込んでいくことで、もともとの「歌舞伎」とは異なる様式でありながら、新たな様式を再構築するという方法論だったからだ。だから、旗揚げ時の木ノ下歌舞伎はその技術が俳優にないから、そのようになったと思っていたのだ。
 ところが実は木ノ下歌舞伎はこうした従来の劇団がとってきたような戦略とは根本的に異なる戦略でもって古典劇である歌舞伎にアプローチしていくことに大きな特徴がある。そして、そのアプローチの仕方にきわめてポストゼロ年代のほかの若手劇団との共通点があり、そこが興味深い。
 もっとも大きな違いは木ノ下歌舞伎には集団特有の様式・スタイルがないことだ。そのスタイルは作品、あるいは公演ごとに変化していく。どういうことかというと、通常はどの劇団にも固有な演技、演出のスタイルというのがあって、そこに鋳型のように個々の作品のテキストを落とし込んで作品化していくわけだが、木ノ下歌舞伎ではまったく逆であって、まず原点となる歌舞伎の演目というのが先にある。そこから逆に木ノ下が中心になって、その演目を徹底的に分析して現代劇としてそれを上演するのに合致する様式、演技、演出を導き出していく。演出のできる杉原邦生がメンバーにいながらも「演出家を固定化しない」としているのはこのためで、演目に合わせてその演目にあった演出家も外部から招へいするというのが、木ノ下歌舞伎の最大の特徴だ。そして、その根底には「歌舞伎というものが元をただせばそういうものだったから」という認識があり、それも含めての「歌舞伎の現代劇化」なのだ。
 今回の上演では現代口語と南北そのままのセリフが劇中で混在したが、これももともとの南北のセリフ自体が当時の現代口語体、歌舞伎特有の古語、そのどちらでもない言葉が場面により使い分けられている。固有の身体メソッドなどはないと前に書いたが、実は木ノ下歌舞伎にはひとつ方法論というべきものはある。それは合計で2カ月の稽古期間があれば最初の1カ月は実際の歌舞伎上演の映像などを基にそれを完全コピーする。そうしたうえで、実際の上演に向けては歌舞伎そのものに近い口調を別のものに移し替えていく。「四谷怪談」で言えば現代の若者に近い口調のロロの亀島一徳の民谷伊右衛門がそうであり、原文に近い言い回しながら、声色の変化を極限まで使い、遊び心をもって演じている乗田夏子の「地獄宿の女お大、伊藤家後家お弓」の演技がそうである。
 私は歌舞伎ないし南北の専門家ではないので正確なところは分からないが、南北の「四谷怪談」のセリフがこんな込み入った古語と口語を混淆した独特な配分となっているのはこの歌舞伎が「忠臣蔵」の世界を本歌取りして、その外伝としての性格を持つこととも関係が深いかもしれない。というのは歌舞伎では通常、武士の世界は時代物(古語)、町人の世界は世話物(口語)で表されるわけだが、この物語に大勢登場するのが純粋に町人でもないがもはや武士ではない浪人たちだからで、木ノ下らがこの作品に読み取った本質はそこにあり、それが今回の演出にも反映されている。
 この原作絶対主義とでもいうべき考え方はこれまでの別の作品でも貫かれており、昨年の「義経千本桜」と今年の「東海道四谷怪談」がどちらも通し上演といってもその意味合いが大きく違うことがこの集団の特徴を表している。一番大きな違いは「義経千本桜」が多田淳之介、杉原邦生、白神ももこと各幕ごとに3人の演出家を起用したのに対し、今回は杉原がひとりで演出を担当したこと。これは「義経千本桜」がもともと二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳という3人の作者による合作であること。さらに上演された3幕のうち「渡海屋・大物浦の段」は時代物、「鮨屋の段」は世話物、「道行初音旅」は舞踊劇とそれぞれ性格も内容も違うのに対して、「東海道四谷怪談」が鶴屋南北単独の創作で幕による世界観の違いはそれほど大きくないといういうことが反映されている。
さらに現行の歌舞伎上演では上演されないことが多い場も含め、全幕を上演した。
 現行の歌舞伎上演ではこの演目は戸板返し、仏壇返し、提灯抜け、忍び車のような仕掛けが駆使されたスペクタクルな作品として上演されることが多い。もちろん、それらの仕掛けは南北の初演の時にすでに考案されていたものが多く、そういう人を驚かす趣向ではあるのだが、それが重視されるばかりにそれが頻繁に出てくる「隠亡堀の場」「蛇山庵室の場」などだけが抜粋されることが多く、そのことで外連に溢れたスペクタクルな作品との印象が強い。ところが今回、全幕上演でしかもどちらかというとそうしたスペクタクルを排したような演出でこの作品を見ると「忠臣蔵」として知られる事件巻き込まれていくことで、さまざま状況の若者たちが悲劇的な運命に翻弄されていくさまを描いた群像劇として描かれていたことに初めて気が付かされた。以前からの歌舞伎ファンには外連的な演出がないことで、物足りなさを感じた人もいたようだが、実はこれが今回の全幕上演の最大の眼目だったのではないかと思う。逆にこれまで以上に重視したのが、「夢の場」でここで「岩と伊右衛門の愛」が歌い上げられる。このあたりがなんともポストゼロ年代演劇的なところで、逆に言えばこのあたりがすんなり受け入れられるかどうかも木ノ下歌舞伎評価の成否のキーポイントになるのかもしれない。

*1:木ノ下歌舞伎「yotsuya-kaidan」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060508/p3