下北沢通信

中西理の下北沢通信

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KARAS「ペリアスとメリザンド」@荻窪アパラタス

KARAS「ペリアスとメリザンド」@荻窪アパラタス


KARAS「ペリアスとメリザンド」@荻窪アパラタスを観劇。メーテルリンクの戯曲を原作としてクロード・ドビュッシーが作った歌劇「ペリアスとメリザンド」*1を元に勅使川原三郎が手掛けたダンス作品。佐東利穂子のよるソロダンス作品であり、ソロということもあって原作の物語を忠実になぞるというよりも、佐東がメリザンドという謎めいた女性のイメージを断片的につなぐように踊った作品ということができるかもしれない。
 ダンサーと俳優の違いはあるのだが、作品世界を背負って屹立するという意味合いでは最近私にとって佐東利穂子とSPACの美加理がシンクロしはじめていて、どちらも作品における役柄を超越するような唯一無二を体現できる存在であることはもちろんだが、以前美加理主演のSPAC作品を観劇することを「美加理詣で」と呼んでいたのと同じように最近は荻窪アパラタスに「佐東利穂子詣で」に出かけている感がある。
 ただ、そういう種類のものと考えた時にはこの「ペリアスとメリザンド」には少しだけ物足りなさを感じたのも確かだ。それは勅使川原三郎の振り付けや佐東のダンスがどうだとかいう前に「ペリアスとメリザンド」という物語のアンチクライマックスな構造にあるのではないかと感じた。とはいえ、それはある意味伝統的なオペラのように抑えた演技の最後に一瞬の高揚としてのアリアがあるような構造ではない形式をどうやらメーテルリンクの原作もそれをオペラ化したドビュッシー作品も持っていて、そうした構造をこの作品固有のものとして今回の作品も受け継いでいるからかもしれないと思った。
 美加理の「天守物語」や「メディア」における爆発のようなものをこの作品の最後に期待してそれがかなえられないことに幾分不完全燃焼のようなものを感じてしまったのも確かだが、それは別の作品に期待すべきものだったのかもしれない。
 

ペレアスとメリザンド
ドビュッシーが初めて出現させた危険な浪漫の音楽世界
甘く厳しい死と生 これだけは逃さないという熱い愛
断崖絶壁の高揚感 急転落下の浮遊感 音楽に身を投げる
無抵抗に身を任せる佐東利穂子のダンスが芸術になる
勅使川原三郎

  • 公演概要-


アップデイトダンスNo.103「ペレアスとメリザンド3」

演出.照明 勅使川原三郎 出演 佐東利穂子