下北沢通信

中西理の下北沢通信

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アップデイトダンスNo.86「ドビュッシー 光の秘密」(勅使川原三郎振付)@カラス・アパラタス B2ホール

アップデイトダンスNo.86「ドビュッシー 光の秘密」(勅使川原三郎振付)@カラス・アパラタス B2ホール

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最近の勅使川原三郎作品には文学作品などを原作にした演劇要素が強い作品と音楽と対峙した作品とがあるが、「ドビュッシー 光の秘密」(勅使川原三郎振付)は表題通りに全編ドビュッシーピアノ曲を使用し、勅使川原三郎と佐東利穂子のダンサー2人が作品世界そのもの(音ということでもある)と渡り合うというダンス作品となっている。

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勅使川原三郎は照明プランも自ら手掛け、照明デザインの素晴らしさは時に「光の魔術師」といってもいいほどだが、「光の秘密」と今回は表題にも「光」が入ったように照明効果の見事さは印象に残るものであった。
ドビュッシーの音楽は日本では印象派と紹介されることも多いので、「光の秘密」という表題からは絵画における印象主義が主張した絵画における光と色彩の優位をまず連想したのだが、作品のビジュアルイメージはむしろ対極的なものであった。
今回の舞台では絵画の印象主義がそうであるような鮮やかな色彩は完全に排除され、使用された照明は白色に近い単色光。
光と影、すなわち白と黒のコントラストが特徴的だった。舞台のビジュアルイメージではエレガントな黒の衣装とも相まって、絵画に例えるならば闇の中に人物が浮かび上がるレンブラントの光と影の絵画を連想させるものとなっていた。
朝日新聞に著者が寄稿した記事の引用として、このサイトに以下のような記事が転載されている。

ドビュッシーの定義は、いつも印象派と象徴派の間をさまよっている。印象派は絵画上の運動で、遠近法を捨てて画面を平面分割し、パレットから暗い色を追放した。1874年に最初の展覧会が開かれ、ドビュッシーがローマ賞を得た1884年には、ほぼ終焉を迎えていた。

いっぽう象徴派は詩の運動で、言葉から可能なかぎり意味をそぎ落とし、音楽性とリズムを重視した。こちらは、まさに1884年に出たヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』によってにわかに台頭し、マラルメの火曜会に多くの若い詩人を集めた。

ドビュッシーも、火曜会はじめ象徴派のサロンに顔を出し、詩人たちと共作を試みている。

ドビュッシー音楽について印象派のレッテルが定着したのは、1901年に初演された管弦楽のための「夜想曲」らしい。この公演には、「鳴り響く音の斑点」でつくられ、「これ以上印象主義的な交響曲は想像しようがない」という批評が出た。

たしかに、調性感を曖昧にし、輪郭をぼかし、線(旋律)より塊(和声)で構成するなど、ドビュッシーの技法は印象派との共通点が多い。しかしこの作品のイメージ源は、マラルメの火曜会に出入りしていたアーンリ・ド・レニエの詩なのだ。

マラルメの詩にもとづく「牧神の午後への前奏曲」、ヴェルレーヌに想を得た「月の光」。ドビュッシーがとりわけ霊感を得たのは象徴詩だった。

 これはドビュッシーの本質はモネやマネのような印象派ではなく、象徴派の詩人との近親性を持つということなのだが、この舞台から受ける印象もそうしたものだ。ドビュッシーの楽曲でもオーケストレーションされた楽曲である「海」や「牧神の午後への前奏曲」はその音からきらびやかな色彩感を感じることがあるけれど、ピアノ曲は少し違っていて、特にこの作品の中核となる「月の光」などは光といってもそれはかそけき光のイメージであり、それに触発されたダンスにも暗い中にぼんやりと浮かび上がるような静かな美しさに満ちているのである。

勅使川原三郎 佐東利穂子

【公演日程】
9月 25日(土) 18:00
9月 26日(日) 16:00
9月 27日(月) 19:30
9月 28日(火) 19:30
10月 1日(金) 19:30
10月 2日(土) 16:00
10月 3日(日) 16:00
10月 4日(月) 19:30
全8回公演
開演30分前より受付開始、客席開場は10分前。全席自由

【劇場】カラス・アパラタス B2ホール

【料金】一般 予約 3500円/当日 4000円 学生/予約・当日 2500円