下北沢通信

中西理の下北沢通信

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アップデイトダンスNo.77 KARAS「ビリティスの歌」(勅使川原三郎振付)@荻窪アパラタス

アップデイトダンスNo.77 KARAS「ビリティスの歌」(勅使川原三郎振付)@荻窪アパラタス

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SPAC(そしてかつてはク・ナウカ)の舞台観劇のことをかつて美加理詣と呼んでいたことがあった。これは宮城總作品における美加理のプレゼンスがあまりにも大きく、演劇として作品や演出の意図を汲み取ること以上にその圧倒的な存在感を享受したいとの批評家にあるまじき欲望を感じてしまっていたからだ*1。そして、そういう意味では最近の勅使川原三郎作品を見ることは「佐藤利穂子詣」に近い感覚となりつつある。「ビリティスの歌」はクロード・ドビュッシーの楽曲に基づく、勅使川原三郎作品なのだが、そうしたことが些末な問題と思われてくるほどダンサー、佐東利穂子=写真下=の存在感は際立ったものとなりつつあると感じた。
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「ビリティスの歌」というのはピエール・ルイスによる1894年発表の散文詩集。ビリティスは紀元前6世紀のギリシャに生まれた女性で、少女時代から死に至るまでの間に書き残した詩篇が19世紀になって発見された、ということになっていたが、これはルイスによるまったくの創作であった。
 「ビリティスの3つの歌」「ビリティスの歌(付随音楽)」「6つの古代碑銘」とクロード・ドビュッシーがそのうち3篇を歌曲に仕立て、その他にも付随音楽などを作曲している。勅使川原三郎の今回の作品ではこのそれぞれ別々に作曲されたドビュッシーの楽曲を1つの作品として再構成し、上演時間1時間の1本の作品に仕立て上げた。
 この作品では音楽に合わせて「ビリティスの歌」から抜粋されたと思われるテキストを佐東利穂子がナレーションとして朗読もしており、それに呼応したような形式で踊るため、二人だけで1時間踊り続けるような作品はバレエにはあまりないが、作品から受ける印象はきわめて古典的で前衛というよりは物語バレエに近い感触である。ドビュッシーの舞踊化ということでいえばニジンスキーによる「牧神の午後」*2が有名だが、今回の作品からはそうしたモダンバレエの古典に近いような手触りを感じた。
冒頭で美加理詣の話題を出したが、これは演出家、宮城總が重要でないというわけではない。宮城總の演出による美加理というところが重要だからだ。
演出家にしても振付家にしても演者との一期一会の出会いという運命によって輝くというところがあることは否定できない。特にダンスの振付家は例えばモーリス・ベジャールとジョルジュ・ドンのように優れたダンサーとの宿命的な出会いがその作品を輝かせるということがある。
勅使川原三郎の場合、長年自分自身が踊るということを想定しての作品創作を続けてきたが、ここに来ての年齢にも似合わぬ旺盛な制作意欲は創作のミューズとしての佐東利穂子の存在が大きいのではないかと思った。最近の作品はそういうものが多いが「ビリティスの歌」などは佐東がいなかったら絶対に創作しなかった類の作品ではないかと思う。

ドビュッシー:歌曲集「ビリティスの歌」(1897~98)

ドビュッシー:歌曲集「ビリティスの歌」 第1曲「パンの笛」

Debussy 「Bilitis」ドビュッシー「ビリティス」より1,2,3


Robert G. Patterson: Debussy/Louÿs Chansons de Bilitis

*1:そこに詣でること自体がもはや宗教的行為に近い。

*2:www.youtube.com