下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

死の世界との境界描く コトリ会議「スーパーポチ」@こまばアゴラ劇場

コトリ会議「スーパーポチ」@こまばアゴラ劇場

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コトリ会議は死の世界(彼岸)との境界線を描く。実家で飼われていた愛犬スーパーポチが死んだとの知らせを聞き、久しぶりに故郷である田舎町に住む兄のもとに彼氏とともに帰省する菫が出会う不思議な体験の物語。
実家には小学生の菫と何かあったらしい小学校時代の担任、堂下先生が入り浸りになっているが、どうも様子がおかしい。久々に再会した兄夫婦の言動もどこかおかしく、彼らはもうすぐこの家を出て、もう二度と帰ってこない旅に出るという。もうすでに骨になったうえにミキサーで細かく砕かれてしまったポチのことや旅に出るという兄、ここで出会うことがすべて現実離れしているのはそこがもうすでに分かちがたく、どこか不気味な「死」のイメージに彩られているからかもしれないと感じた。
コトリ会議の山本正典の紡いでいくのはいつも不思議な世界ではあるが、そこはどこか懐かしくもある。それはそこが現実世界ではなく、現実と隣接する非日常の世界で、それはどこかで死の世界(彼岸)そのものであるからだ。こうした死と隣接した世界のイメージはこれまでも演劇では繰り返し描かれてきた。
それは演劇という形式が現実を描きながら、その向こう側にそれを見る人が幻視する世界とを同時に想起させるということを得意とする形式だからだ。
そのことはこの国の演劇的虚構のモデルとなっているのが能楽であり、コトリ会議は岡田利規が最近取り組んでいる現代能を標榜するような作品群のように形式そのものが能を模倣しているわけではないけれど、日常/非日常の重なりを見せていくという構造自体は能楽以来のこの国の演劇の歴史的文脈に連なっているということはあると思う。
実は最近の我が国の現代演劇の系譜のなかで、形式自体は様々なバリアントがあるけれども、現実/非現実の狭間を描く演劇の流れは存在感を増している気がする。先述した現代能などもそのひとつだが、もう一方では五反田団の前田司郎を筆頭にその影響を受けて登場した若手劇団としてうさぎストライプやムニ(宮崎企画)なども出てきている。それがなぜなのかについては引き続いてのご丁寧な思索が必要になってきそうだが、直接的な影響関係は一端置いておくとして、それまで非常に個人的かつ孤立的に見えたコトリ会議の作風もそうした流れの一環として理解することが可能なのかもしれないと思えてきた。

作・演出:山本正典

片手におさまるほどの瓶をわたした。
なにこれ。
せいし。
ばか。
はは。
なくすよ。
なくさないでよ。
ちいさいもの。
だって。
うん。
こんだけしかでなかったから。
ばか。
はは。
じゃあ。
うん。
いってくる。

ポチのとこまで、いってくる。



コトリ会議
2007年結成。作家・山本正典を中心にSF感あふれる壮大な設定の中に、現代社会における”ふつうの人”の持つ気持ちを反映させた物語を創作。その作品でもちいる言葉は、軽妙で笑えるが、詩情に満ちて切なくも響く。そして発話するテンポとボリュームを操り声や音を聴かせる演出を得意とする。
旅をともなう本公演と、イベント的な小規模公演、演劇祭では誰も狙わない”隙き間”を利用した神出鬼没な小作品を、規模によって変幻自在に上演している。

出演

三ヶ日 晩 花屋敷 鴨 原 竹志 まえ かつと 山本正典 吉田凪

スタッフ

舞台監督:柴田頼克(かすがい創造庫)<神戸公演>
中西隆雄<東京公演>
音響:佐藤武
照明:石田光羽
舞台美術:竹腰かなこ
衣装:安達綾子(壱劇屋)
小道具:伊達江李華(小骨座)
宣伝美術:小泉しゅん(Awesome Balance)
制作:若旦那家康