下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

ブルドッキングヘッドロックvol.29『田園にくちづけ』 @下北沢 ザ・スズナリ

ブルドッキングヘッドロックvol.29『田園にくちづけ』 @下北沢 ザ・スズナリ

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田園にくちづけ

作・演出:喜安浩平

出演

 葛堂里奈
浦嶋建太
瓜生和成(東京タンバリン)
吉川純広
山岸門人

寺井義貴
深澤千有紀
猪爪尚紀
はしいくみ
小笠原健吉
竹内健史
橋口勇輝
橋龍
平岡美保
山田桃子

山本真由美
吉増裕士(ナイロン100℃/リボルブ方式)
永井秀樹青年団


スタッフ

舞台美術:長田佳代子
音楽:西山宏幸
照明:斎藤真一郎
音響:水越佳一(モックサウンド)
映像:猪爪尚紀
衣裳:正金彩
舞台監督:田中翼・伊藤新
演出助手:陶山浩乃
音響操作:佐藤こうじ(Sugar Sound)
映像操作:吉田幸之助

宣伝美術:オカイジ
宣伝写真・舞台写真:保坂萌
宣伝ヘアメイク:上野小百合
宣伝イラスト:永井幸子
WEB:寺井義貴

票券:鈴木ちなを
制作協力:リトル・ジャイアン
制作:足立悠子・藤原彩花

協力:株式会社フィグライト KNOCKS,INC. ECHOES 宮津ルーム バウムアンドクーヘン krei inc. ランドスケープ ダックスープ マッシュ ナイロン100℃ 青年団 東京タンバリン リボルブ方式 capital inc. ムシラセ

企画・製作:ブルドッキングヘッドロック

2017年9月22日(金)~10月1日(日)

喜安浩平ナイロン100℃に俳優として所属しているが、その傍ら自分の劇団「ブルドッキングヘッドロック」を主宰し、作演出を手掛けるとともに映画の脚本家としても実績を作っている。演劇という畑ではケラに一日の長があるにしてもすでに映像方面の評価ではいくつもの賞を受賞し、一定以上の評価を得ていることから、ケラと喜安の関係は大人計画松尾スズキ宮藤官九郎の関係に準えることができるかもしれない。
 田園風景が広がる地方の一家を背景にそこで起こっている日常的な一家族の物語とその一家の隣りに住んでいる漫画家と他人にキスをすることで味に関する記憶を吸い取って生きるという謎の生命体による顛末をどたばた調のコメディーとして描く。
生命体の設定に現在映画を封切り中の「散歩する侵略者」との類似*1があって「アイデア剽窃しているのではないか」との声がネットに書き込まれていた。私も最初はあれ似た話かなと一瞬思ったがそんなことを言い出せば「散歩する侵略者」の方にもジャック・フィニイの「盗まれた街」やそれを映画にした「ボディスナッチャー」をはじめとして数多くの参照項があるわけだし、都市の核家族化の間隙をぬった静かな侵略を描いた「散歩する侵略者」と「田園にくちづけ」では物語のアスペクトがまるきり異なる。
奇妙な存在である隣家の住人たちの存在を無視してしまえば、セリフに四国の方言が使われ、瓜生和成(東京タンバリン)、永井秀樹青年団)の現代口語演劇系の手だれの俳優たちが集う今回の芝居は最近の劇団でいえば小松台東、あるいは青年団リンクホエイ、少し前の舞台なら松田正隆弘前劇場、渡辺源四郎商店などに近い。特に祖父の葬儀に合わせて離れていた人物がひさびさに故郷に戻ってきたという設定は弘前劇場の「家には高い木があった」や小松台東の「山笑う」を彷彿とさせる。そして何よりそれらの舞台をこの芝居を見ていて連想することになったのは弘前劇場「家には高い木があった」には永井秀樹が「山笑う」には瓜生和成がそれぞれ客演として出演していたからだ。
 地方の家族はかなり緻密かつリアルに設定されている。この家には2兄弟がおり、長男(吉増裕士)、次男永井秀樹)にはそれぞれ妻子もいる。亡くなった祖父の手掛けていた田んぼは長男が継いでおり、長男の息子(寺井義貴)は教師を務める傍ら、農業も手伝っている。この地方都市で嫁取りは大きな問題だが、けっこう年齢がいっている息子は冒頭で若い花嫁候補と見合いをしている。作品中盤以降はその婚約者的な存在という女性も登場してくる。一方、次男は地方公務員。東京などから移住してきた人をこの町に定住してもらうプロジェクトを担当しており、その一環として東京からここに引っ越してきたのが漫画家の先生(瓜生和成)なのである。
以前、ナイロン100℃フローズン・ビーチ」(1998年8月/第43回岸田國士戯曲賞受賞作)、「薔薇と大砲 ~フリドニア日記 #2~」などの作風を称して「異世界を捏造する演劇」と評して、大きなウソ(虚構)をある種のリアルをもって体現するために小さな虚構を積み重ねると書いたことがあったが、今回喜安浩平が「田園にくちづけ」で駆使したのもそうした手法に近いかもしれない。
 この作品で描かれている田舎の光景は一見リアルなものではあるが、少しづつ現実の世界とはずれ込んでいる。面白いのは冒頭近くのシーンから長男の妻の料理の味付けが滅茶苦茶であり、異常なまでにまずいという設定が提示されるのだが、これがギャグ的な要素とされて設定されたのかと思いきや、このせいでこの家族だけは隣家に住んでいて美味しい食事の記憶を糧として摂取している特殊な生命体の記憶の捕食から免れている。この家の息子は隣の若い女に突然キスをされたうえに「まずい」と言われ、さらにはその同居人である漫画家の秘書役を務める男にも同様の行為をされたうえに「まずい」と言われ、トラウマになるほどのショックを受ける。しかし、それは実は息子の接吻のテクニックが下手とかそういうことでは全然なくて、息子の母親の料理が異常にまずいため、まずいものを食べた記憶のみが彼の中には蓄積されているからなのだった。
 漫画家自身は普通の人間であって、娘と称することになった女と出会って、彼女らを匿うようになり、美食を主題にした漫画を描くようになって、取材と称してアシスタント役の男が美食についての思い出を採集すると称して、食の記憶を摂取することの手助けとなるようになった。ただ、男のこうした行為は次第に狭い田舎町のなかで人々に疑惑を抱かせるはめになった。
 そしてそれはついには役所勤めの次男とその同僚も知ることになり、知った上でIターンのPRのためにその成功例としての漫画家を助けようとする。とはいえ、やはりこうした糊塗策にはやはり無理があって、しかも彼らの記憶の捕食が捕食された人間の記憶の食以外のものも奪い取ることで、夫婦関係を破綻させる例がでてくるなど何かの悲劇が起こりそうな予感を残して物語は終わるのである。

*1:「田園にくちづけ」を見てからしばらくして映画「散歩する侵略者」を見た。この両者は全くの別物と再確認した。「散歩する侵略者」は地球に侵略しようとしている宇宙人の話だったが、「田園にくちづけ」の生命体が何者かということは作中では明かされない。大昔からこの世界に存在して、通常の人間からの迫害を恐れて姿を隠しているという意味では私は萩尾望都ポーの一族」に出てくるバンパネラを連想した。