下北沢通信

中西理の下北沢通信

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鳥公園のアタマの中展2『緑子の部屋』@東京芸術劇場 アトリエイースト

鳥公園のアタマの中展2『緑子の部屋』@東京芸術劇場 アトリエイース

『緑子の部屋』
演出:葭本未織(少女都市)

​出演:Jean-Philippe、学習院ひろせ、加藤広祐、谷風作、葭本未織

鳥公園のアタマの中展は西尾佳織(鳥公園)の戯曲を西尾以外の演出家を公募して、1日のみの稽古期間で上演してもらおうという企画で、今回が2回目。この日は少女都市という劇団を主宰する葭本未織が「緑子の部屋」を演出したものを観劇した。
 興味深かったのは通常のアフタートークよりもかなり長く1時間ぐらいの時間を用意して、作家と演出家と出演俳優がトークする時間を設けていたことだ。作家と演出家が違う場合にも普通はそれぞれの作品の解釈の違いなどをここまであからさまに語り合うということは珍しい。というのは通常の公演では舞台作品はあくまで上演主体となる演出家と俳優のものでありそこに劇作家が口を挟むのはどうしたものかというバイアスがかかるので、違いが明確化するようなことは少ないのだ。
 それを「こういう企画だから」ということで西尾がいきなり「練習中からずっと見ていたが、演出家がどういう意図でそうしているのかが、よく分からなかった」などと柔らかな口調ながら普通だと反則気味の切り出し方で口火を切り、それに少し恐縮しながらも演出の葭本未織の方も自問自答して何度もつかえながらも「自分のやり方」を説明し、それぞれの俳優もどういう演技プランでそう演じたのかを話してくれたのがきわめて刺激的だった。
このように書いたのは実は上演自体の印象は私にとっても西尾が感じたというそれとどこまで重なるのかは不明なのだが、当惑させられるものだったからだ。舞台の印象自体も西尾が演出したのを私が見て非常に面白いと感じその年の演劇ベストアクトの2位に選んだ上演とは相当趣きが異なるものと感じたからだ。
 私にとっては「緑子の部屋」は「主人公であるはずの緑子が最初は登場せずにそれを語る人物、そこで語られる人物も次第にずれていき、なにがあったか、誰がいたのかという事実関係の基本さえその揺らぎの前に不確定なものとなっていく」というような叙述の揺らぎが刺激的な作品だった。
つまり、「緑子の部屋」ではある人物として話しかけられている人がいつの間にか同じ俳優が演じる別の人物に入れ替わって、つまりシームレスに時空や状況が変転するなかで、確定されることがない量子論的な演劇とでもいうようなものに見えた。
 しかし、葭本未織はそういう微妙な揺らぎのようなものはあえて無視して、そのために歪んでいるテキストをそのまま歪んだものとして提示するような手法をとっていて、そのために部分部分では明らかに意味が分からなくなっているような部分が散見されるのだが、そういう分からなさも含めて観客の側に委ねて、受け取る側で判断してもらうという風なものだったようだ*1
simokitazawa.hatenablog.com

*1:実際の上演からは主として分からなさを受け取ることになった