VOL.5[長谷川孝治とドキュメンタリズム] Web講義録
前回の青年団=平田オリザのレクチャー*1で「関係性の演劇」という概念を取り上げました。今回は「関係性の演劇 その2」というような内容になりますので、まずは「関係性の演劇」について少し復習してみたいと思います。
関係性の演劇とはなにか
これまでの演劇批評の文脈では日本の現代演劇を分析的に取り上げるとき、演劇史のうえから新劇、アングラ劇、小劇場などその発生の系譜をたどって考える傾向が強かった。
ところが、こと90年以降、あるいはもう少しさかのぼっても、80年代後半以降の日本現代演劇を俯瞰的にとらえようと考えた場合、こうした方法論が有効でなくなっているという現実があるのではないだろうか。ここ何年かのリアリズムの回帰を巡る一連の論争や最近の「静かな劇」を巡る議論などをみても、これまで、批評言語として使われてきたこれらの言説が今や無効なための混乱が、あちらこちらで顔をだし、それが一層議論の混迷を深めているような気がしてならない。多様な日本の現代演劇を捉えるには歴史的(通時的)に影響関係を捉えるのみでなく、歴史的な文脈を一度白紙にもどして、共時的に作品構造の分析そのものから、演劇の系譜をとらえなおさねばならないのではないかと考えている。これはそのための試論である。
まず今までの演劇の系譜論から離れて現代演劇を捉え直すために「関係性の演劇」という概念を提唱したい。「静かな演劇」の流行とか、演劇におけるリアリズムの復権とかいろいろな形で語られており、しかもその評価が分かれているある種の演劇のカテゴリーをこの「関係性」という概念で括れるのではないかと思うからである。
関係性の演劇とは演劇作品のなかで、主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという演劇の手法である。関係性という言葉が含有する思想的な背景に触れなければならない。関係という概念は現代思想の重要なタームで実体に対する対立概念である。近代の思想が主体や自意識といったものをある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義や現象学といった現代の思想の特色はものごとの関る関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方である。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れる。これが、関係性の演劇の認識論的前提である。
これだけで、この種の演劇というものが、いわゆる「内面を持つ個人」というものを前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりと理解できるであろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえないからであり、日本の新劇がいかに遠いその末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせないからである。
では、関係性の演劇においてはなにが描かれるのか。ここで描かれるのは例えば登場人物の間の関係、登場人物とある種の共同体との関係である。関係の網の目ような描写から、直接、描かれることなくして、浮かび上がってくる結節点のようなもの、これが個人という風にして捉えられてきた人間というものの姿であり、これと離れた個人などというものは幻想にすぎない。これが、関係性の演劇の前提である。
その代表が平田オリザであることは間違いないのですが、90年代半ば以降同様の特徴を持ち、しかしそれぞれに作風の異なる作家たちが相次いで同時多発的に出現しました。具体的な名前を何人か挙げますと松田正隆、はせひろいち、深津篤史、長谷基弘といった作家たちがそれに当たります。ここでは少しずつですが彼らの舞台の映像を見てもらうことにしましょう。
(はせひろいちの映像、長谷基弘の映像を少し流す)
こちらは前回お見せできなかった平田オリザの「冒険王」ですが、これも少しだけ見てもらいましょう。こうして、続けて見てもらうと同じ「関係性の演劇」といってもそれぞれが異なる個性を持った作家たちであり、決して平田オリザの亜流などではないことが分かっていただけたかと思います。今日紹介する予定の長谷川孝治も「関係性の演劇」の代表的な作家のうちのひとりです。
弘前劇場の長谷川孝治は唐十郎に影響を受けたアングラ劇風の作風ですでに70年代初頭から劇団活動は開始していましたが、劇団として大きな飛躍のきっかけとなる「職員室の午後」(92年初演)で劇作家協会最優秀新人戯曲賞を受賞、「関係性の演劇」を代表する作家として頭角を現しました。90年代半ばから2000年代初頭にかけて、この「職員室の午後」を皮切りに地方都市を舞台に家族の解体を描いた「家には高い木があった」=写真=、人間の生と死に焦点をあてた四季シリーズ4部作「春の光」「夏の匂い」「秋のソナタ」「冬の入口」と群像会話劇の佳作を次々と精力的に発表。その最大の特徴は共通語で書かれた台本をもとに俳優が自身の生活言語に翻訳していくという方法をとっていることで、長谷川はこの方法論を従来の演劇の「リアリズム」に対して「ドキュメンタリズム」、アウトプットとしての舞台に「現代口語地域語演劇」と名づけています。
それは具体的にはどんなもので、いかなる方法論に基づいているのでしょうか。弘前劇場の公式サイト(http://www.hirogeki.co.jp/)によると以下の通りです。
弘前劇場の活動とその方法論
弘前劇場とは
「弘前劇場」は、長谷川孝治・福士賢治・野村眞仁を中心にして1978年に結成された劇団です。以後、今日に至るまでほぼ全ての作品に於いてそれぞれが劇作+演出・俳優・舞台監督という役割を担って活動して参りました。
『弘前劇場』では、共通語で書かれた脚本を俳優が自身の生活言語に翻訳するという方法論に基づいて舞台づくりを行っています。従来の方言による戯曲は台詞の語尾をも厳密に書いてしまうことで成立していました。しかし、現在の地域の物語に生命力を吹き込むことを考えたとき、劇作家が自分一人のリズムで物語を作る行為には広がりと深さの点で限界はありはしないか、という問題意識が弘前劇場にはあります。俳優と劇作家が真の共同作業を、言い換えれば、俳優に作品の質的なものに責任を積極的に負わせることで「地域発の演劇」を持続させていくという考えがあります。
作品発表の場、批評、劇団数、どれをとっても演劇の東京一極集中という構図は、現在やはり抜きがたくあります。そのような構図は決して演劇にとって好ましいものではありません。地域の劇団は地域のみで完結する演劇ばかりを創作していてはならないし、明確な演劇的方法論を持たないままで演劇創造をするべきでもありません。弘前劇場は普遍性のある戯曲で、地域にいることを最大限意識した方法論で、時間的にも空間的にもゆったりしている「地域」で舞台芸術を創ることを大前提にしています。
方法論 - ドキュメンタリズム -
演劇は他のジャンルの芸術とは違って、生身の身体を観客の前にさらすという直接的な芸術です。それは、コピーや偽物が氾濫する現代に於いて唯一ごまかしがきかず、かつテクノロジーの影響を受けにくい芸術であることを意味しています。
弘前劇場の脚本は全編共通語で書かれます。そして、俳優が与えられた台詞を自身の生活口語に翻訳し、演出家がその翻訳された口語を舞台言語に昇華させる、という作業を行います。これにより、日常から切り取ったある一部分の「再現」ではなく、新たな関係性の「構築」が舞台上で繰り広げられていきます。つまり、生活や地域に密着した演劇を作っているということです。このことを弘前劇場は「リアリズム」に対して「ドキュメンタリズム」と呼んでいます。
世界は無数の物語で構成されています。しかし、個々の人間が生きている日常は劇的でしょうか。美術的・映画的には日常は劇的であるとは考えません。しかし、日常にこそ個人の決意や思いが凝縮しているのではないでしょうか。弘前劇場の演劇は基本的にそのような発想の元に作られています。
例えば東京以外の地域でワークショップをするとき、まず共通語のテキストを渡して演技してもらいます。そこで出てくる演技はまず100パーセントどこかで見たことのある演技です。しかし、弘前劇場の方法論を理解してもらい、台詞を生活口語に翻訳してやってみると全く違う演技が出現します。つまり、単にどこかで見たような演技をなぞるのではなく、舞台の上で人間が生き始めるのです。演劇にはアートセラピー的な側面があることを確信する瞬間です。無論、それを芸術にまで高めるためには様々なメチエ(技術)が必要ですが、誰にでも俳優が可能であることに変わりはありません。
現在、地方分権の必要性が叫ばれていますが、弘前劇場のこうした方法論はいち早くそれを実行しているともいえます。俳優や裏方が、まともに生活をしながら大人の鑑賞にも耐える演劇を創作することは、面白ければいいという首都圏で行われている演劇へのアンチテーゼでもあります。きちんとした社会生活を営みながら、そこで得た経験や発想を舞台に乗せる。これからの地域の演劇にはそのことが不可欠であるように思われます。
この辺りのことについては以前テレビで放映されたドキュメンタリー番組があって分かりやすくまとめていますのでこちらも見てもらいたいと思います。
(ドキュメンタリー映像を流す)
弘前劇場の演劇は平田オリザが提唱した「現代口語演劇」の延長線上にあるものですが、生活言語としての地域語(方言)を舞台に上げることで、登場人物の会話の端々から、その隠れた関係性を浮かび上がらせるという点では共通語(東京方言)を主体とした平田や岩松らよりも有利な立場を得ています。「言葉はその人物同士の関係性によって変化する」というのが、「関係性の演劇」の前提ですが地域語では同郷の親しい関係にある友人ないし恋人同士の場合の方がよりなまりは強くなる(特に弘前劇場が本拠を置く青森県の地域語、津軽弁はほかの地方の人にとっては意味をくみとるのが難しいほど特異な言葉である)、逆に公的な場ではほぼ共通語に近い言葉が話させるなど、よりビビッド(鮮やか)に関係による言葉の変化の様態がとらえられるからです。ここに一般には不利とされる地方に拠点を持つ劇団という特性を逆に利用して、東京の演劇では不可能な演劇的な実験を行ってみせた長谷川のしたたかな戦略がありました。
その最初の代表作品が「職員室の午後」です。これがどういうものなのかはまた少し映像の抜粋を見ていただきたいと思います。
(「職員室の午後」を一部流す)
実は長谷川は「職員室の午後」のような群像会話劇の作品と平行して、それとは少しスタイルの異なる系譜の作品群も生み出しています。「フラグメント」シリーズと呼ばれる作品群がそれで、こちらはより少人数の俳優による舞台で、地域語はここでも台詞として話されますが、詩的な言語による非常に長い独白の表出など、作者の軸足はむしろその登場人物を通してよりダイレクトに作者の世界観を提示することにあります。
長谷川孝治は劇作のかたわら映画愛好者としても知られており、地元の映画好きの仲間となみおか映画祭を企画、自らがフェスティバルディレクターを務めたほどなのですが、長谷川が好きな映画作家に例えれば前者に小津安二郎や成瀬巳喜男のテイストが感じられるとすれば後者はゴダールや北野武を彷彿とさせる。それほどの大きな差異が2つの作品群にはあります。こちらの作品も紹介したいと思います。
(「あの川に遠い窓」映像を一部流す)
今回のメインは「家には高い木があった」です。この作品は弘前劇場ならびに長谷川孝治の代表作といってもいい作品で初演以来これまで何度も再演されたほか、ドイツの演劇フェスティバルでも上演され高い評価を受けました。こちらは井戸掘り職人をしている祖母の葬儀にひさしぶりに故郷に集まってきた3人の兄弟(とその妹)を描き出し、登場人物それぞれの微妙な関係性を提示しているという意味で「関係性の演劇」の傑作で、戦後における家族の崩壊という小津も何度も繰り返し描いてきた好みの主題でもあり、古き良き日本映画へのオマージュもこめられているといっていいと思います。それでは映像を見てください
(「家には高い木があった」の映像を全編流す)。
「現代日本演劇・ダンスの系譜vol.7 演劇編・五反田団」Web講義録→
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000410
弘前劇場
「休憩室」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080727
「職員室の午後」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060318
「家には高い木があった」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040229
「F・+2」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000326
「職員室 5:15P.M.」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000328
長谷川孝治の「アザミ」についてhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000019
奇想の劇作家、畑澤聖悟http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000329
いるかhotel「月と牛の耳」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060112/p1
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