東山ダンスミニシアター、Bプログラム(1 時〜)を観劇。
砂連尾理+寺田みさこ「ザ・ラスト・サパー」は2月に横浜のソロ&デュオで見たのと同じ作品なのでその時の印象とほぼ同じ。この2人についてはこういう変にコンセプチャルな作品ではなく、せっかくダンサーとしての技術レベルが高いのだから、もう少しダンスに徹した作品を見てみたいというのが正直な感想である。
この日のメインの目的は横浜に出演していながら見逃したMonochrome Circusがどんな傾向の舞台を作っている集団なのかというのを見てみたいということであった。その意味ではこの日「収穫祭2001」という舞台を見てその目的は半分達成されたが、半分はまだ達成されなかった。というのはこの日舞台を見てそれから舞台の後、この集団を主宰する坂本公成に話を聞いてはっきりしたのだが、Monochrome Circusは全く方向性の異なる2つの活動を行っていることが分かったからである。そのうちの1つがこの日、上演された「収穫祭」という公演でこれは東京のダンスカンパニーの多くが志向しているような独立した作品(コンサートピース)というわけではなくて、「出前パフォーマンス」というコンセプトで、楽器の生演奏やそれに合わせて踊られるダンスの小品、今回は登場しなかったが、詩の朗読といったパフォーマンスを携えて、劇場以外のいろんなところに出掛けて行う公演であって、その中には重要は要素としてダンスも含まれるのだが、ダンスにしても演奏にしても作品と練り上げられた完成度の高い作品というよりはその場に居あわせた人々を巻き込みながら、対話的に展開される出し物という感じが強く、それは動きに関してはフリーインプロビゼーションのような即興ではないのだけど、シンプルで即興的に作られたという印象が強いものだからである。
この日は完全にダンスを見にきた観客を前にした舞台であったため、やや硬い感じもしてどちらかというとやりにくそうな雰囲気もあったのだが、音楽にしても生のギターとピアニカ演奏を主体とするというきわめて簡素なものでこういうこと言いだすと年がばれるが、政治的な主張とかを別にすれば60年代フォークの活動形態と近いという感じがあるのだ(笑い)。この集団のやる音楽の曲想というのがけっして現代風のものでなくどこか懐かしい感じがするものであることもそういう連想を呼ぶ理由の1つとしてあるのだけれど。
そのフォーク文化の発祥の地のひとつであった京都にいまこういう活動をやっている集団が存在しているのにはある意味、因縁めいたものを感じ、そこに私なんかは「京都の匂い」を感じ取るのだが、そういう年よりの繰り言はひとまず置いておこう(笑い)。
こういう感じというのはとかくハイセンスのみを競いあう東京などではダサイと見られがちで下手をすると猫ニャーや大人計画が時折悪意とともに描くある種のボランティアグループのように揶揄の対象にされてしまいがちなのだが、Monochrome Circusがそうかというとダンスにしても音楽にしても素朴を前面に出しながらも、ダンスにしても現代ダンスの流れというものをその視野に捉えているし、音楽にしても日本風な懐かしさがありながらどこか民族音楽の換骨奪胎を感じさせるようなところもあってけっこう一筋なわではいかないのだ。このダさカッコイイ微妙な線を狙ってきているところもいかにも「京都的」でいやらしいのだ。
さて最初に方向性の異なる2つの活動と言ったのはMonochrome Circusは「収穫祭」の活動だけをやっているわけではなくて、それとは並行してちゃんと劇場向けのコンサートピースとしての作品も作っているからで、そちらの方は「収穫祭」などとは全然違って、映像や照明効果などもふんだんに使って、コンタクト系の激しい動きをする舞台であるらしいのだが、この日はゲストのダンサーにより、そうした作品のさわりを少しだけ見せてはくれたのだが、それだけではちょっと全貌が分かった気にはなれなかった。
実はMonochrome Circusは8年ぐらい前に京都の無門館(現・アトリエ劇研)で公演を見たことがあるのだが、その時にはダムタイプをしょぼくしたようなマルチメディアパフォーマンスをやっていた記憶が残っている。さすがに今回見てみるとまったく別の集団という印象で、ちょっとこの集団にはしばらく注目していきたいと思った。