下北沢通信

中西理の下北沢通信

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KIKIKIKIKIKI「プロポーズ」

KIKIKIKIKIKI「プロポーズ」京都造形芸術大学studio21)を観劇。

振付・演出 きたまり*1(北 真理子) 演出助手 京極 朋彦 [舞3]
舞台美術 大道 玲子 照 明 豊山 美佳 [舞3]
音 響 富松 悠 [舞3] 音源制作 渡部綾子 [舞2]
衣 装 浜本 なみ子 舞台監督 安藤 光
制 作 斎藤 悠 渡守 希 [舞3]
出 演 小島 美香 [舞3] 津田 知沙 [舞3] 住友 星未 [舞2] 高田 麻里子 [舞2] 佐藤侑里 [舞2] 花本 ゆか [舞2]

 KIKIKIKIKIKI「プロポーズ」は京都造形芸術大学の卒業制作公演として上演されたのだが、ひと目見て感じた印象は「完全に学生の制作の域を超えている」ということだった。その確信は舞台の進行とともにますます大きくなっていったばかりか、終了とともに「これはちょっとした事件だ」と思い、帰りのロビーで本人を見つけるやいなや「ひょっとしたらこの公演は今年のダンスのベストアクトかも」と声をかけてしまったほどだ。
 きたまりは大阪のダンスボックスを拠点に活動する舞踏カンパニー「千日前青空ダンス倶楽部」のメンバーであり、京都造形芸術大学の学生でありながら、すでにソロダンサーとしても自らの振付作品でJCDN巡回公演の「踊りに行くぜ!!」に選考され、今年の秋は全国3ヵ所の会場で踊るなど若くしてすでに学生の域を超えた活動を開始している。
 ソロダンサーとしても今後の成長が楽しみなのだが、「関西最大の隠し玉」としてそれ以上に大きな期待をしているのはコレオグラファーとしての才能で、彼女のカンパニーであるKIKIKIKIKIKIの旗揚げ公演「改訂版 男の子と女の子」はほとんど素人同然のキャリアの出演者ばかりの学生による学内公演だったのにもかかわらずそのセンスのよさが際立っていて、2004年のダンスベストアクト(ベスト10)に選んだ。
 この時も彼女自身は出演せず振付に専念したが、今回の公演も出演者はすべて後輩の学生である。ただ、今回の公演がちょっと前回と違うのは出演者に全員バレエ経験のあるダンサーを選んだということ。彼女自身のダンスにおける基盤は舞踏なのだが、振付・構成においてはそれ以外の要素も含んだコンテンポラリーダンスであり、バレエの経験者を集めて今度は彼女がどんな仕掛けを考えているのかにすごく興味が引かれた。
 舞台がはじまると純白の花嫁衣裳を着た女性ダンサー6人が舞台奥にある台のような装置に座っている。ダンサーはゆっくりと動きはじめて、足の位置を少しずつ変えて、やがて股を大きく広げて正面をにらみつけるような表情をした後、それぞれがいろんな場所にバラバラに動いていき、前の方で出てきてバレエのレッスンのような動きを見せたり、地面に這いつくばって叫び声やあえぎ声のような声を出したり、客席に向かって媚びるような表情を見せたりする。
 ダンスといっても単純に踊るだけではなく、こうした女性の生理や性行為そのものを連想させるようなあけすけな生っぽい表現を多用したのが、この作品でのきたまりの選択であった。
 ムーブメントとしては舞踏とバレエのミクスチャーに最近コンテンポラリーダンスではやりの痙攣系の動きを組み合わせている。もの凄く独自性が高いとは言い難いが、ヴォキャブラリーとしてはなかなかに豊富で、それを6人のダンサーを使って、ユニゾン的な群舞ではなく、同時多発的に展開していくことで目先を変え、飽きさせない。
 舞台の主題は「プロポーズ」の表題でも明らかなように結婚。きたまりはこれまでもジェンダー(女性)の問題を作品のテーマとしてきており、この作品もその系譜に連なる作品といえよう。主題がジェンダー、動きが舞踏とバレエということになれば黒田育世がどうしても連想されるが、黒田の場合は彼女のソロが中心にあり、それにユニゾンでの群舞が加わる形式をとることが多く、ともすると表出的に見えることが多いのに対し、きたまりは自分があえて踊らないことでダンスを脱中心的なものに仕立て上げ、そうすることでこうした生々しい主題にありがちな「私を分かって」的なものに作品が収斂していくことを巧妙に回避している。
 生っぽい素材を舞台のなかに取り入れながらも、そのあけすけな表現がいやらしく見えないのはそうした要素も含めて全体をサンプリング、コラージュのように組みあわせることである種の客体化がそこでなされているからで、こういうギリギリの線で下世話に見えかねない表現を避けるところにはセンスのよさ、バランス感覚の鋭さが感じられた。
 出演していたダンサーたちもこういう表現に慣れているとは思えないのだが、単なるバレエに見えないようにバレエ的な動きのクリシェが出ないように周到な演出がなされていることが舞台からうかがえ、新人とは思えない手だれの演出力には思わず舌を巻かされたのである。