松本清張「けものみち 上」「けものみち 下」(新潮文庫)を読了。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/12/19
- メディア: 文庫
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松本清張という人は私にとっては短編小説の名手*1というイメージがまずあって、だから、大学で推理小説研究会に在籍していた時代には代表作とされる長編のアリバイくずしもの(「ゼロの焦点」「点と線」「時間の習俗」など)を何冊か読んで、結局、「歴史的な価値は認めても、今読んでどうかというと疑問」と判断して、それ以上長編にあまり手をつけていなかったのだが、この「けものみち」のようにミステリの要素を含みながらも、利害関係の微妙に異なる登場人物たちの虚虚実実な駆け引きを描き、本格ミステリ的なプロットとは違うところで読ませる小説のうまさは抜群のものがあり、だてにベストセラー作家の座をはっていたわけじゃないことがよく分かる。
この「けものみち」にしても確かに児玉誉士夫を思わせるようなフィクサー鬼頭が登場はするが、以前にも書いたようにそれでもって「社会派」というわけにはいかないような内容となっている。勧善懲悪でもないし。というか、この小説には善人がひとりとして出てこないので、そもそも結末がどのようになったとしても勧善懲悪なんかには絶対になりえない(笑い)。
以前、ミステリファンの立場から「社会派」というレッテルを貼られたことで松本清張は損をしたんじゃないかと書いたことがあったが、この小説などを読んでみると、「社会派」というレッテルを隠れ蓑としてしたたかに利用していた部分もあったのではないかと思われてきた。
この小説を読んでいて、ヒロインの民子が米倉良子というのは原作のイメージからすると違うんじゃないかと思って、テレビ朝日のサイトを参照してみると、どうやらヒロインの設定や人物造形*2をずいぶん変えているみたいだ。テレビ的に考えれば企画自体がヒットした「黒革の手帖」の2匹目のドジョウを狙ったもので、米倉ありきの前提があるのだろうから、仕方ないとは思うが、どうなんだろうか。民子は現代のヒロインとしては受身の存在というところがあるから、いまそうじゃ受け入れられないという計算があるのかもしれないが……なんか違う気はする。