- 作者: ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ,宇野邦一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
- メディア: 文庫
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私と同世代の人間にはいわずもがなのことではあるが「懐かしくて」について少しだけ説明すると、昔、浅田彰の「構造と力―記号論を超えて」*2という本がベストセラーになった時代があって、それが言ってみれば「ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ」の思想を中心に現代思想を俯瞰するという解説書(入門書)で、それによって私たちは浅田がパラフレーズした形でのドゥルーズ/ガタリの思想とは遭遇することができたのだけれど、当時はフランス語が読めない自分のような人間にとっては原典を当たりたいと思っても、その主著である「アンチ・オイディプス」さえ翻訳されていないというフラストレーション(隔靴掻痒の感)を感じていたわけだ。
- 作者: 浅田彰
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1983/09/10
- メディア: 単行本
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それでも、せっかく購入したのでそれを読んだ後、せっかく出版されたので、書評がどんな風にでるかと新聞の読書欄を毎日眺めながら楽しみにしていたのだが、結局、評者が敬遠したのかその時点では書評らしい書評も新聞には載らなかったという(笑い)。
そういうわけで私自身もジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリの思想には「戦争機械」「器官なき身体」「リゾーム」「ノマド」「スキゾ/パラノイア」……という彼らが生み出したテクニカルタームに興味は持っても、レヴィ=ストロース、デリダと比べれば思想的影響はほとんど受けてはいないのが実情。もっとも、これは印象にすぎないのだが、日本での受容のされかたも、デリダが浅田世代により「脱構築の思想家」として紹介された後で、今度は東浩紀らによってエクリチュール論の側面からの再評価のような動きがあって、現代のおけるもっともラジカルな思想家の地位を不動のものとしているのに対して、ドゥルーズ/ガタリの方は80年代のバブル期のあだ花のように扱われていて不遇な印象があるのだが(笑い)。そういえば、浅田彰自身デリダについての発言はあっても、ドゥルーズ/ガタリについてはいつのまにかすっかり沈黙してなかったことにしようとしている印象がある。
まとまった著作が単行本としては出てないのでなんとも言いがたいのだが、少なくとも「構造と力」に関する私の読解ではあの本ではデリダの脱構築とドゥルーズ/ガタリのリゾームの構造的比較をしたうえで、はっきりと後者に軍配を上げていたはずだと思うのだが、あれはどうなったんでしょうか。立場を変えたのならそれでもかまわないから、落とし前だけはつけてほしいのだがなあ(笑い)。表象文化学会で浅田彰がチェルフィッチュの悪口を言ってたらしいとうわさが聞こえてきて、それでこんなところで「江戸の敵を長崎で討つ」ようなことをしてるわけではないよ(と思うけれど)、そうかもしれない(笑い)。
浅田彰氏の白井剛の公演のレヴューへのリンク
http://www.kanazawa21.jp/theater21/2006/arditti/arditti.html
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