千日前青空ダンス倶楽部「水の底」」(アートシアターdB)を観劇。
アートシアターdBを本拠とする千日前青空ダンス倶楽部のほぼ1年ぶりの本公演。前回公演「夏の器 総集編」*1は新作とはいえ、表題通りにそれまでの作品の「総集編」的な色合いも強い公演であったから、今度こそ待望の正真正銘の新作ということになった。
千日前青空ダンス倶楽部は関西のコンテンポラリーダンスの一大拠点でもあるこの劇場を運営するNPO「DANCE BOX」のエグゼクティブプロデューサーでもある大谷燠(振付家としては紅玉)が率いる舞踏カンパニーである。舞踏カンパニーとは書いたが、身体においては舞踏的なメソッドを基礎としていながらも、パフォーマーである若い女性ダンサーの個性を生かしたポップな軽味を感じさせるところがあって、「舞踏」といったときに直ちに連想されるようなクリシェからはみだすような表現をしているのが特徴である。
「水の底」の表題のとおりにこの舞台はさまざまに変奏される水のイメージに満ちていた。冒頭、放射状、全員でひとでのような形を作って、床に寝ているダンサーがゆっくりと起き上がる。全員がふわふわした触感を思わせる白い衣装を着ていて、頭にはやはり白の鬘(ウィッグ)をつけているため、顔は見えない。
舞踏カンパニーではあるのだけれど、ここの特徴はこれまでは個々のパフォーマーの愛嬌などをコミカルに見せていくようなポップな感覚にあって、舞台上でのパフォーマーの舞踏的身体をたっぷりと見せていくというようなことはあまりなかったのだけれど、この部分は顔が見えないだけにあたかも水のなかを藻がただようようなゆるやかな動きのなかで、少しずつ変容していく身体のディティールをたっぷり見せていて、このカンパニーのダンサーの成長ぶりに対する大谷の自信がうかがえる場面でもあった。
もっとも、ポップな感覚で「少年」「少女」のような「コドモ性」を体現していく、この集団の持ち味もなくなってしまったわけではなく、最初の場面からダンサーが舞台奥で着替えをして、少年のように見える衣装で再び登場して以降はダンサーが手を頭のすぐ上にうさぎの耳のように抱え、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみせるような振り付けとか、単純に楽しい場面も出てくる。一方、ラスト近くではまた雰囲気は一変して手鏡を持つ女性が椅子にゆったりと座って、これもゆるやかに動きながら女性の持つ優美さを体現させてみせる。つまり、この作品は「少年・少女」/「女性」という2つのイメージが交互に提示され、その対比により展開していくのだ。
大谷によればこの「水の底」は幼い時に祖母に聞かされた泉鏡花の「竜潭譚」に原イメージがあったということだが、作品は原作の物語(ナラティブ)を追随するわけではなく、作品に散りばめられたイメージの断片をコラージュするように創作された。原作はツツジの咲く野原で遊ぶうちに道に迷った少年が美しい魔界の女性と出会い、一夜をそこで過ごした後に元の世界に帰還する、という一種の幻想譚だが、この物語に登場する女性たちには「永遠の憧憬」の対象である「亡き母」のイメージが投影されている。現代風にいえば「子宮回帰願望」を具現化させたものとも考えることができるが、大谷は「水の底」では女性=水のイメージの連鎖としてそれをビジュアル化してみせたのである。
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