下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

you tubeダンス入門1

 乗越たかお氏のダンスレクチャーに触発されて、氏の講義が予想したのより昔のそもそもダンスとはみたいなところから出発していたので、そういうのも必要かもしれないと考え、ちょうどyou tubeの映像を使ってウェブダンス講義をというのをはじめたばかりだったので、その手法でどこまで可能かというのを試みてみることにした。そういうわけで、いささか大時代的ではあるがまずは「モダンダンスの歴史」である。
モダンダンスの歴史
 モダンダンスは19世紀末から20世紀初頭にかけLoie Fuller(ロイ・フラー)、Isadora Duncan (イザドラ・ダンカン)、Ruth St. Denis(ルース・セント・デニス)という3人の女性により創始されました。当時米国にもバレエはありましたが、クオリティーも低く創造性にもかけるものであった。芸術としてのダンスを鑑賞するという環境は米国にはなく、彼女ら3人もバラエティーショー(ヴォードヴィル)など芸術としてではなく娯楽見世物の場でダンスを見せざるを得ない状況にありました。それで欧州に進出して3人が、芸術的ダンスとして成功をおさめ認められたことが、バレエでも民族舞踊でもない新しいダンス(モダンダンス)の誕生のきっかけとなった。
 イザドラ・ダンカン(1877〜1927年)のダンスはバレエのように決まったパターンを繰り返すのではなく、内面から沸き上がってくる感情に忠実な、まったく自由奔放な踊りだった。彼女についての本も書かれその生活は映画や演劇の世界でも取り上げられ、伝説的な存在になっている。イザドラ・ダンカンについては動いている映像は断片的にしか残っていないのですが、次に挙げたのは短いのですが、その貴重な映像です。

Isadora Duncan

Isadora Duncan (1877-1927) – Film of an Outdoor Recital


 こちらも前の映像の前半分と同じものですが、もう少しきれいに映っているでしょうか。この映像は乗越氏も講義で使ってましたから、有名なものだと思われます。とここまで真面目にやってきたけど、それだけだと私がやる意味ないので少しつっきみをいれます。正直言ってどうなんでしょう?最初の方の映像だと動いているダンカンだ!凄いって思っても正直言って、どういうダンスかっていうのはあまりよくは分かりませんね。後半のはコマ漫画みたいな映像ではありますが、こちらの方がまだましでしょうか。でも、今の目から見るとなぜこれが当時センセーショナルを起こすほど話題になったのかは正直分かりにくいということはあります。おそらく、彼女の場合、ダンスがというのもありますが、ダンスも即興ですし本人自身のキャラとか、セックスアピールと切り離せないところがあったんじゃないかと考えてしまいます。

 こちらは動く映像はありませんが、スティル写真を中心にイザドラ・ダンカンを紹介している映像です。

www.youtube.com

 一方、こちらはロイ・フラー(1962〜1928年)の映像です。動きのテクニックと同様、布をひらひらさせた衣装に当時の新技術だった照明を当ててるなど独自の工夫を凝らした表現を追求した。この映像ですが、色はこんな風に変わったんだろうと、後からフィルムに着色したものでもちろん当時はカラーの映像はありません。
Loie Fuller
Loie Fuller (1905) [silent short film]
 こちらはロイ・フラーのダンスをという人が再現した映像ですが、こんな風だというのはこちらの方が逆によく分かるかもしれません。彼女自身のムーブメントの魅力というのももちろんありますが、当時の最先端技術をいち早く取り入れたことからすればフラーのダンスは現代のメディアダンスの遠い先祖といっていいかもしれません。

 一方、ルース・セント・デニス(1877〜1968年)は動く彫刻のようなダンス(スタチューンダンス)で名を売りました。イザドラ、フラーは基本的にソロダンサーでしたが、ルース・セント・デニスは夫のTed Shawn(テッド・シャーン)とともに学校と舞踊団を設立しました。

 ここまで米国生まれの3人のダンサーを紹介しましたが、面白いのは彼女らの間には共通の特徴のようなものはあまりないことです。つまり、彼女たちのダンスには現在の欧米のダンスがバレエを基礎にしているというような意味での基礎はなく、よくも悪くも自己流であったため、現在の目から見ると洗練されていないように見えたとしてもその分その人だけのオリジナリティーは存分にあったといいことです。
 この3人を追って、米国ではマーサ・グラハムが登場して、ついにモダンダンスの歴史が本格的にはじまります。
マーサ・グラハム「Lamentation」


マーサ・グレアム(英: Martha Graham 1894年5月11日 - 1991年4月1日)は、アメリカ合衆国の舞踏家、振付師であり、モダンダンスの開拓者の一人である。マーサ・グラハムと表記されることも多い。

ペンシルベニア州アレギニーに生まれ、14歳の時カリフォルニア州に引っ越した。1910年代にルース・セント・デニスが踊るのを見てダンスに興味を持つ事になった。22歳(1916年)になって、デニショーン・ダンサー養成所en:Denishawnに入学しプロへの道を目指した。1925年にニューヨーク州ロチェスターイーストマン音楽院のダンス講師になった。その後、彼女はデニショーンで知り合った音楽の師で恋人でもある伴奏者のルイス・ホーストen:Louis Horstのサポートをもとに独立。1926年に自身のカンパニー「マーサ・グレアム・ダンスカンパニー」を設立した。収縮と開放をテーマにした事で広く知られる彼女の独特の身のこなしのスタイル と表現は当時のモダンアートを反映している。(以下略)ウィキペディアからの引用

 マーサ・グラハムの略歴をウィキペディアで調べると以上のようになります。つまり、元々はデニショーンの出身で、ルース・セント・デニスの弟子筋だったわけですね。モダンダンスの創始者として紹介した3人の女性たちですが、欧州では高い評価を受けたにもかかわらず本国である米国ではなかなか芽が出なかったということもあり、モダンダンスというのが本格的に知られ、正当な評価を得るには彼女の登場を待たなければいけませんでした。
 いまではモダンダンスのテクニック(メソッド)もグラハムメソッド以外にもいろいろあるようですが、彼女がコントラクションとリリース(収縮と開放)を主体としたグラハムテクニックを開発し、それがダンスの世界において、バレエ(つまりダンスクラシック)と並ぶ、もうひとつの技術的規範となっていったということはモダンからコンテンポラリーへのダンスの歴史を振り返る時に無視できないことだったと思います。

 マーサ・グラハムの特徴は先駆であったイザドラ・ダンカン、ロイ・フラーの時には動き自体に意味というのはなく、本人が動きたいようにふわふわと踊っていたものを「コントラクションとリリース(収縮と開放)」との対比を基礎として、個々の動きを意味付ける方向にダンスを進め、さらにはここで出てきた心理主義的、精神分析的解釈をギリシア悲劇などの古典的テクストと関係付けることで、ある種の物語性に回収していきます。
 もっとも、実はここで出てくる物語というのは別に新しいものではなくて、元々はバレエ・ド・アクションつまり演劇の一種として登場したバレエの世界ではダンスに物語性が付随するというのはむしろ当たり前のことでした。(you tubeダンス入門2に続く)
 
 
Mary Wigman's Witch Dance

Mary Wigman - Witch Dance

Modern Rebels, Mary Wigman's Witch Dance 2018 video