下北沢通信

中西理の下北沢通信

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SPAC「野田版 真夏の夜の夢」@静岡芸術劇場

 SPAC「野田版 真夏の夜の夢」@静岡芸術劇場は野田秀樹によるシェイクスピア作品の脚色を宮城聰が演出。意外と野田秀樹の印象は強くなく宮城版夏夢という感触である。ただやはりメフィストの意味合いは3・11後の上演としては大きいかとも思う。これまで見た「真夏の夜の夢」のなかでも上質の舞台であった。


twitterつぶやき集

宮城聰インタビューhttp://www.stageweb.com/2011/04/spac_grimm/08.html
ただ、宮城自身はミヤギサトシショーのころから「世話」的要素を持っていて、ク・ナウカの後期ではしきりに試行錯誤を繰り返していたとも思います。@keihibino
posted at 11:52:16

「世話」的な部分は確かにオペラあるいはギリシャ悲劇のような形式をモデルに直線的な構造で至高の高揚に向かおうとしたク・ナウカのシステムには馴染みにくいものだったかも。@keihibino
posted at 11:51:56

これはもともとギリシャ悲劇ですから物語の中心線では等身大を超えた人物が登場しそれが全体を支配するわけですが、宮城の場合、物語のなかにはこの侍女たちのような日常的な層がたち現れそれを「世話」と考えていました。
posted at 09:48:22

エレクトラ」の場合、宮城演出版ではホフマンシュタールのテキストからとったかと思われますが、冒頭が少しコミカルなタッチでの侍女たちの噂話からはじまりました。@keihibino
posted at 09:47:41

私は鈴木忠志と比べるとむしろ「世話」的な要素も強いのが宮城の特徴と考えていました。ともに美加理が主演した「エレクトラ」がどうちがうのかなどを考えるとそう思えたのです。@keihibino
posted at 03:15:19

しかし、それは一般的に「詩」と言ったときに感じる語感とはかなりかけ離れているので早とちりかもしれません。今月はまだ何回か静岡に行くので確かめたい。
posted at 02:48:40

@keihibino 今日は終演後に宮城さんは忙しそうで詳しくは聞けなかったのですが、「詩」とは何かという私の質問に旧約聖書のようなと言っていたので時間がなく問い返す時間がなく真意が計りかねたのですが、私は「音楽」の表出性に対し、他者ないし外部ということかと勝手に解釈しました。
posted at 02:42:27

私はむしろ「世話」がレチタティーボでアリアにあたる部分が2つに分かれたのではないかと考えたのですが。 RT @keihibino: @simokitazawa 当時「世話」は眼中になかったかと。「音楽」がアリアで、「詩」がレチタティーボという認識でしょう。
posted at 02:28:53

宮城聡による台詞の三分法。音楽と詩と世話というのはク・ナウカ時代には確かオペラをモデルにアリアのように開放されて歌うセリフと抑制された描写するようなセリフの2つに分けていたはずだが、これはどんな風に対応しているのだろう?
posted at 02:13:48

SPAC「野田版 真夏の夜の夢」@静岡芸術劇場 野田秀樹によるシェイクスピア作品の脚色を宮城聰が演出。意外と野田秀樹の印象は強くなく宮城版夏夢という感触。ただやはりメフィストの意味合いは3・11後の上演としては大きいか。これまで見た「真夏の夜の夢」のなかでも上質の舞台。
posted at 02:00:27

SPAC「野田版 真夏の夜の夢」@静岡芸術劇場 野田秀樹によるシェイクスピア作品の脚色を宮城聰が演出。意外と野田秀樹の印象は強くなく宮城版夏夢という感触。ただやはりメフィストの意味合いは3・11後の上演としては大きいか。これまで見た「真夏の夜の夢」のなかでも上質の舞台。
posted at 17:02:52