下北沢通信

中西理の下北沢通信

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OMS戯曲賞に悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」 上田誠の岸田戯曲賞受賞作は落選

OMS戯曲賞に悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」 上田誠岸田戯曲賞受賞作は落選

第24回OMS戯曲賞にて、悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」が大賞を受賞した。また佳作には、立ツ鳥会議・植松厚太郎「午前3時59分」が選ばれた。
 今回の候補作品にはすでに今年の春の岸田戯曲賞の選考会で全選考委員の抜群の支持でもって受賞作に選ばれた 上田誠「来てけつかるべき新世界」がノミネートされていたが落選となった。選評が明らかになってないので詳細は不明だが、
結果としてはあえてノミネートしながら、あえて落とすという岸田戯曲賞の選考に対して反旗を翻したような形になった。
ただ、正確に言えば山崎彬は岸田戯曲賞では最終候補作品には残っておらず、この2作品が選考の対象として比較されたのは今回が初めてのことであった。私は個人的にはヨーロッパ企画上田誠岸田戯曲賞を受賞したことには何の異論もないし、むしろ彼の実力から言えば遅きに失した感があるが、山崎彬についてもここ最近の上演戯曲の水準の高さから言えば最終候補にすら残っていなかったのはおかしいと考えている。
 ここで実はここで起こったことはこれまでも薄々感じていた複数の問題を孕んでいる気がする。一つ目は最近の岸田國士戯曲賞について何人かの論者によって指摘されていることなのだが、「岸田戯曲賞の最終審査ノミネート作品はかなり偏っているのではないか。本来なら選ばれるべき作品がかなり漏れているのではないか」問題である。
 事実、上田誠が受賞した際にこの山崎彬もそのうちのひとりだが、一部下馬評では有力視されていた山本卓卓や三浦直之らが選ばれていなかった。そのほかにも私が有力と考えていた山田百次、綾門優季らも候補からは漏れていた。
その一方では最終選考の審査員の人選と選考時の選評についてはこの種の賞としては信頼度が非常に高いと考えていて、なかでも岡田利規宮沢章夫ら複数の選考委員が自らの責任において選考過程や自分の選考理由などを明らかにしていてこういうことは戯曲賞にのみならず他の文学賞コンペティションなどでも参考にしてほしいと思っている。
  もうひとつの問題は審査委員の人選によって選考対象として選ばれる作品に大きな違いが出ていて、もちろんそれは賞の個性でもあるからそういうことはよくあることで、許容されるべきことでもあるが、複数ある戯曲賞のうちせんだい短編戯曲賞とAFF戯曲賞の2つと劇作家協会新人戯曲賞とOMS戯曲賞の2つの間には選考される作家の傾向に大きな偏差が見られるように思われる。そしてもちろんそれはそれだけではそんなに大きな問題でもないのだが、最近の批評家も含めた観客も大きく2つに分断されていっているのではないかと感じているのだ。
 その違いというのが何かというともっとも単純な言い方をすればポストゼロ年代演劇的な作品か、それともそれ以前の伝統的な演劇の流れを継承したような作品かということ。これは実は演劇に限らず他の分野でも起こっていることで、小説で言えば普通の小説とライトノベルのような違いがあるのではないか。 
もちろん、今書いたようなことは事象を単純化しすぎているだろうということは認めなければならないかもしれない。というのは上田誠と山崎彬の作劇を比較すると山崎には先行する作家としては野田秀樹松尾スズキなどとの共通性を思わせるところがあり、より記号的であったり、デジタルな構造を特徴とする同世代の作家とは一線を画するようなところがあるのだが、実際には関西で上田誠と同世代の「竹内佑(デス電所)に影響を受けた」(山崎彬)自身が私に言っていたこともあり、
竹内と上田では作風は異なるものの当時としては関西では珍しい「アニメ・漫画的リアリズム」「ゲーム的リアリズム」の要素が強いポストゼロ年代演劇の作家であり、その影響下に出発した山崎にもそうした要素は強くあるからだ。
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