下北沢通信

中西理の下北沢通信

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<SCOOL パフォーマンス・シリーズ2017 vol.2>武藤大祐「来る、きっと来る」

武藤大祐×桜井圭介トーク「<振付>の概念をめぐって」

上演

『来る、きっと来る』(武藤大祐 振付)

日程

5月12日(金)19:00開演(開場は30分前から)

料金

2,000円(トーク込み)


トーク

<振付>の概念をめぐって

日程

5月12日(金)20:10〜

出演

武藤大祐(振付家・ダンス批評家)
桜井圭介(音楽家・ダンス批評家)

武藤大祐「来る、きっと来る」

2000年代に入り、グローバル化多文化主義の思潮に呼応して、ヨーロッパとアジアにまたがった「インターカルチュラル・パフォーマンス」とよばれる作品群がコンテンポラリーダンスの文脈でも現れてきた。代表例がジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』(2005年初演)であり、そのテーマは異文化間の相互理解の可能性や倫理をめぐる反省的経験と要約できる。
とはいえ、これらがあくまでも近代ヨーロッパにおいてローカルに発達した劇場芸術のリテラシーを前提とした、ヨーロッパにとっての他者に対する「寛容」のスペクタクル的な上演でしかないという歴然たる事実は、グローバルな規模で看過されている。したがってこれらは「インターカルチュラル」というより、むしろ帝国主義的な社会包摂の実践というべきだろう。
ヨーロッパとそれ以外の世界の間で展開する、こうした古典的な帝国/植民地的状況への批判的応答として、私は「ポストコロニアル・コレオグラフィー」の概念を提起する。
通常、コレオグラフィー(振付)とは「身体に動きを与える」行為と考えられがちだ。しかし世に存在するものは常に既に、動きを与えられるまでもなく、動いている。それを否定することなしに関係を築こうとするのがポストコロニアル・コレオグラフィーである。
その実践例として、本作『来る、きっと来る』は、今日の劇場芸術が自明の前提とする舞台空間を脱植民地化することに主眼を置く。「何もない空間(the empty space)」というピーター・ブルックの言葉が端的に示すように、劇場とは純粋な空虚であり、そこは人が動きを持ち込むことで初めて何かが生起する場と見なされている。しかしそうしたニュートラルな空間(=「新大陸」)など本当にあるのだろうか。そこに誰も住まっていないといえる根拠は何か。
(武藤大祐)

武藤大祐×桜井圭介トーク「<振付>の概念をめぐって」
近年自らの振付作品を発表するにいたったダンス批評家・武藤大祐。「振付とは何か」というファンダメンタルな問題について桜井圭介と対話します。