「ポストゼロ年代演劇の新潮流② 青年団 平田メソッドと俳優 ゲスト:河村竜也、大竹直」@SCOOLセミネールin東京vol.5(準備資料)
俺たちはロボットじゃない。青年団俳優はどのように演技を構築しているのか。
La Métamorphose de Kafka au Japon: un robot au lieu d'un insecte
TPAM in Yokohama 2011: Robot-Human Theatre
河村竜也 1980年3月28日生まれ、広島県出身。
2002年に広島市立大学芸術学部美術学科油絵専攻を卒業した。2005年に劇団「青年団」に入団した。2014年より青年団リンク ホエイ プロデューサーを務める。大竹直 2001年、文学座付属演劇研究所入所。2003年、青年団入団。俳優として、舞台を中心に数多くの作品に出演。主な出演作品は、舞台『青年団リンク高山植物園公演「灰の中から蘇った男と女」』『文学座+青年団自主企画交流シリーズ「地下室」』『青年団公演「S高原から」ヨーロッパツアー』ほか。
コードとは
音楽用語。音高の異なる楽音を同時に鳴り響かせたときに生じる合成音の響きをいう。通常、楽音は三つ以上必要で、二つだけの場合は音程interval(英語)といって和音とは区別する。ただ最初は3音であったが、1音省かれて2音になる場合もわずかにある(たとえばドミソの和音のミを省いた空虚5度の和音など)。[黒坂俊昭]
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和音は異なる楽音を三つ以上選択すればよいので、理論上は無数の種類をつくりだせることになるが、西洋の調性音楽においてはその選択に一定の規則が設けられている。すなわち、一つの楽音の上に3度音程上の楽音を次々に積み重ねる方法で、たとえばドを基準にすれば、その上にミ、ソ、シ、……と積み上げていかなければならない。その場合、基準になる楽音(根音とよばれる)と積み上げられた楽音との音程関係から、いくつかの種類の和音がつくりだされる。
3音から構成される和音は三和音とよばれ、それには長三和音、短三和音、増三和音、減三和音の4種類がある。また、4音から構成される和音は、根音と4番目の楽音との音程関係が7度であることから七の和音とよばれる。七の和音も、その構成音の音程関係によって、属七の和音、長七の和音、短七の和音、導七の和音、減七の和音の5種類がある。さらに、5音から構成されるものは、根音と最上音との音程関係が9度、6音の場合は11度、7音の場合は13度であることから、それぞれ九の和音、十一の和音、十三の和音とよばれる。これらの和音は構成音が多いため、根音と2番目の音(根音の3度上にあることから第3音とよばれる)、最上音の3音以外の楽音を省略する場合が多い。なお、すべての構成音が含まれる和音は完全和音とよばれ、構成音がいくつか省略された和音は不完全和音とよばれる。
また、3度の積み重ねによってつくられる和音は、さらに異なった方法、つまりその合成音の響き方によって、協和音(または協和和音concord)と不協和音(または不協和和音discord)とに分類される。あらゆる和音のうち、長三和音と短三和音が前者に属し、その他のすべての和音は後者に属する。[黒坂俊昭]名称目次を見る
和音は根音を音階上のどの音にするかによって、それぞれ呼称が与えられている。通例、ローマ数字の大文字を用いて、音階(調)の主音を根音とする3和音を度の和音、主音から2度上の第2音を根音とする三和音を度の和音、第3音を根音とする三和音を度の和音と順によぶ。このなかでとくに主音上の三和音(度の和音)と属音上の三和音(度の和音)および下属音上の三和音(度の和音)の三つは、楽曲を構成するうえでもっとも重要な役割を果たす和音で、それぞれ主和音、属和音、下属和音ともよばれる。またこの三つの和音をまとめて主要三和音、残りの度、度、度、度の和音を副三和音という。
また、近年よく用いられるコードネームとは、調に関係なく、根音の音名と和音の種類によって名づけたもので、Cを根音とする長三和音はC、Dを根音とする短三和音はDm.のように書く。増三和音や減三和音の場合は、音名の横にそれぞれaug.やdim.と添えられる。
なお、和音には、こういった音階上の音以外の変化音を含む和音もある。そこでそれらを区別し、前者を全音階的和音、後者を半音階的和音とよんでいる。[黒坂俊昭]基本と変形目次を見る
和音は構成音の配列順序によっていろいろなバリエーションを生み出すことができる。根音を最低音に置く和音を基本位置(または根音位置)というのに対し、それ以外のバリエーションは総称して転回和音とよばれる。この転回和音はさらに、最低音にどの音があるかによって、すなわち最低音が第3音であるか、第5音であるか、第7音であるかによって、第1転回、第2転回、第3転回といったぐあいに分類される。したがって、基本位置のなかで第3音が1オクターブ上げられた場合は、基本位置の楽音構成とは異なるが、最低音が根音であるため、やはり基本位置とされる。
なお、調的音楽の崩壊した20世紀の音楽では、4度音程の楽音を積み重ねていく4度和音fourth chordなど、3度の堆積(たいせき)以外による和音も用いられている。そのもっとも顕著な例は、スクリャービンによって考案され用いられた神秘和音である。[黒坂俊昭]
レクチャー担当 中西理(演劇舞踊評論)
ゲスト 河村竜也(写真右)、大竹直
(青年団)
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平田オリザといえば現代口語演劇である。とはいえ、この「現代口語演劇」という平田オリザの言葉、実は様々な意味で使われており、どこまでを指して言っているのか判然としない部分がある。それを大きく3つぐらいに分割して考えてみたい。ひとつは1990年代半ば以降、平田オリザだけでなく、数多くの劇作家、演出家によって共有されている特長。それは群像会話劇であることだ。さらにいえばこうした作品の多くは日常会話の微細な提示から登場人物の隠れた関係性が浮かび上がってくるというもので「静かな演劇」などとも呼ばれてきたが、私はこうした特長を持つ演劇を関係性の演劇と名づけてきた。
はやくも複雑で面倒になってきたなと感じている人もいるとは思うが、実はそれほど難しいことではない。
90年代演劇の一類型
関係性の演劇=群像会話劇=広い意味での現代口語演劇
つまり、平田が影響を与えたということは否定しないが、先行例としての岩松了、世代的に少し先行するがコントから群像会話劇に入ってきた宮沢章夫、ほぼ同世代である松田正隆、はせひろいち、長谷川孝治、土田英生は大きく見ればほぼ似たような問題意識を持っていた。
平田オリザの現代口語演劇
平田メソッドによる群像会話劇の遂行
日本語の言語構造に根ざした平田の戯曲テキスト
平田メソッド(デジタル演出)
映画『演劇1』『演劇2』予告編
simokitazawa.hatenablog.com
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MIDI規格が「音楽のデジタル化」だとすれば平田オリザが俳優の演技に求めてきたのは「演技のデジタル化」かもしれない。平田の演出風景を撮影して紹介したドキュメンタリー「演劇1」に役に感情移入して「入り込んで」しまう女優にセリフの「間」「強さ」「調子(ニュアンス)」についての細かいダメ出しを何度も何度も執拗に繰り返す場面が出てくる。映画で紹介された演出風景で興味深いのはノートパソコンの台本と役者の演技を同時に見ながら、平田が右手で机を軽くタップするようにリズムを取っている姿だった。それは私には楽譜を見ながら指揮棒を振るオーケストラの指揮者を連想させたと前回の論考で書いた。こうした独自の演出法、演技法はなにもロボット演劇との出会いから生まれたものではなく、少なくとも私が平田の演劇と出合った1990年代半ばにはすでに方法論として確立していた。
当時平田がよく言っていた「俳優に内面はいらない」「俳優はコマである」「俳優はロボットである」という発言はその「非人間性」などをあげつらわれ演劇界では反発を買っていたが、当時、あるいは現在でもいまだ主流として流布している役を演じるには役の内面をまず感じなければいけないというようなスタニフラフスキーシステム、あるいはその派生物としてのメソッド演技が主張した*2内面再現的な演技法に対して、否を言い募るための挑発的コピーの側面もあった。実際にはその演技がどのうように生み出されたものだったとしてもセリフの「間」「強さ」「ニュアンス」が演出的要求と一致している限りは関知しないという意味で「演技のデジタル化」とは演技を外部から観測可能な要素に還元し、分からない内面については問わないというのが平田演出だ。旧来のメソッド演技的な演技法と「平田オリザの演劇」の関係はちょうど音楽における実際の楽器の演奏とMIDIデータを入力しての打ち込み音源の制作の関係になぞらえることができる。
さて、ここで欠けているのが青年団の演劇において俳優はどんな作業をしているのかということなのだ。ここからが今回の本論に入る。実は平田オリザはその演劇論のなかでテキスト論(口語演劇について)や演出論(非スタニスラフスキー的デジタル演出)については繰り返し語っているが、演技論についてはほとんど語っていない。それは平田は自分の演劇のことをフッサールあるいはメルロポンティーの現象論になぞらえて語っているが、実はそこの部分は平田によれば自らはあずかり知らぬ「俳優の領域」の部分なので、実際、そこは現象論的にいえば「括弧に入れてしまった」部分。自分にとって重要なのはアウトプット(出力)された現象なのであって、そこにいかなる内面があっても、またなくても同じだということ。これが「俳優とロボットは同じ」ということなのだと思う。
とはいえ、これはあくまで演出サイドから見たらということで実際には俳優はプログラミングされたロボットと同じような作業をしているわけではないのだろうと思う。今回のレクチャーを企画した理由はともに新作「日本文学盛衰史」にも出演、実際に中心俳優として活躍している河村竜也、大竹直の両氏にそれぞれがどのように役作りに取り組んでいるのかということを詳細に聞いてみたいと考えたからだ。
参考 佐々木敦氏の「三人姉妹」「演劇1」「演劇2」論考