下北沢通信

中西理の下北沢通信

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shelf volume 27「AN UND AUS|つく、きえる」@The 8th Gallery(CLASKA, 学芸大学)

shelf volume 27「AN UND AUS|つく、きえる」@The 8th Gallery(CLASKA, 学芸大学)

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作 / ローラント・シンメルプフェニヒ
訳 / 大塚直
演出 / 矢野靖人
ドラマトゥルク / 仁科太一

ドイツの現代作家ローラント・シンメルプフェニヒの戯曲上演を見るのは昨年6月の「アラビアの夜」*1以来。前回の作品は構成が凝っていてかなり面白かったので今回も期待して見た。この戯曲は作者であるローラント・シンメルプフェニヒが2013年に東日本大震災の被災地を自ら訪れ、その体験を基に戯曲化、日本の新国立劇場の製作により初演された。
 前回見た「アラビアの夜」は起こった出来事の間に無造作に幻想的なイメージが混在するのだけれど基本的には群像会話劇の形態を取っていたが、この「AN UND AUS|つく、きえる」は物語上の基本的な状況設定としては互いに不倫関係にある3組の夫婦の描写が混在している状況に外部から震災を象徴すると思われような災害が襲い掛かるという風には一応説明できるが、災害ないし地震の事が具体的に描かれるということはない。
 もどかしく思われるのはこの舞台は日本の現代演劇とは相当異なるコンテキストの上に作られているということが感じられはするものの、それが最近のドイツ演劇の傾向を反映したものなのか、この人ならではの特殊性なのか、あるいは東日本大震災というあまりにも未曾有の悲劇を題材に作品化するためには通常の演劇スタイルではステレオタイプな表現に陥ってしまいそうなので、こうしたかなり特異な表現形式を取ることになってたのかが判然としないことだ。
 見ていて気がついたこの作家の魅力のひとつは日本の劇作家であればおそらく使わないであろう不思議な比喩表現を多用することだ。例えば男が女性の魅力がみずみずしいというさまを蜂蜜に例えるのだが、そういう表現は日本の作家であまり聞いたことがない。さらに言えば悲劇が起こった後の男女のそれぞれの状態が「濡れた蛾のよう」「頭が2つになった」「口がなくなった」……などと例えられるのだが、こういうのも日本の観客からすればシュールレアリスム的というか、あまり聞いたことがない表現と感じた。
 2013年の初演の時のアフタートークで6人の不倫男女が通された3つの部屋というのが福島第一原子力発電所の一号炉、二号炉、三号炉を意味しているのではないかとの指摘があったらしい。その時とは演出も変わってはいるだろうが、今見たらさすがにそんな解釈はあまりも馬鹿馬鹿しすぎて取り合うには足りないのは一目瞭然だが、そういう話を聞くと我々観客も枯れ尾花ではないけれど、ありもしないところになんでも原発事故や震災被害の影を見ないではいなかった時期があったということを思い出させた。
 とはいえ、ホテルに勤めていた男と波止場に自転車でいた女性はほぼ間違いなく津波に飲み込まれてしまった被災者を象徴しているのは間違いないところだろうし、3組の不倫カップル、あるいは夫婦に対するなんとも不思議な描写がどんなイメージをもとにしているのかついてはいろいろ想いをめぐらせてみたくなるのも確かなのだ。ドイツ人にありがちなステレオタイプな反原発、あるいは反核プロパガンダになっていたら嫌だなと思いながら見始めたがこれほどプロバガンダとかけ離れた舞台はないし、この作家はやはり面白いと思った。