少年王者舘『1001』作・演出:天野天街@新国立劇場
ものがたり
あ・おぞらの い・ろをきき う・つくしい え・のような お・とをみて
か・なしさも き・まぐれな く・るしさも け・とばして こ・ろがして
さ・ようなら し・ずけさと す・ずしさが せ・めぎあい そ・らをこえ
た・ちのぼる ち・のはてで つ・かまえて て・のひらで と・びはねて
な・つかしい に・おいして ぬ・れながら ね・ころんで の・んびりと
は・かなげに ひ・らひらと ふ・るえては へ・っていく ほ・しひかり
ま・どろんで み・あげては む・せかえり め・をとじて も・のうげに
や・みのなか ゆ・めのよに よ・るがくる。
ら・いめいが り・ゆうなく る・りいろに れ・んけつし ろ・ぼっとの
わ・たくしに を・とずれる。───────────────────────────────────
少年王者舘は1982年3月に旗揚げして以来、現在に至るまで、約50本の作品を創って まいりました。それらの作品たちに通低する姿勢は、「このセカイやこのウチュウは一体何 なのだろう?」「それは、何故あるのだろう、または、ないのだろう?」という、余りにも 根本的で、余りにもとりとめのない茫漠とした興味です。
「存在」してしまう「ナニカ」が醸し出す、えもいわれぬなつかしさ、気付いたりコトバに した途端、溶けて何処かに消えてしまう「未来の残り香」のような、始まりも終わりもない ような、昨日と明日、彼方と此方、アナタとワタシが混じり合い、区別がつかなくなるよう な、すべての事象が通低しているような、「根源的郷愁」とコトバされるようなある感覚 を、「エンゲキ」という器を借りて紡いで参りました。映画でもなく、読み物でもなく、音 楽でもなく、ひょっとするとエンゲキでもない、しかし、エンゲキでしか絶対あらわせない ナニカを、「はじまりのまえ」や「おわりのあと」まで、時空間を工夫しながら創って参り ました。
1001
1、ある・0、ない・0、ない・1、ある、
あるけどない、ないけどある。
二進法に置き換えられた世界。 生死を賭けて終わりなき物語を紡ぎ続けたシェヘラザードの話法を借り、少年王者舘が今まで吐き出した数々のエレメントを、撹拌させ、混沌させ、融合させ、分裂させ、物語の中の 物語の中の物語の中の物語の中に詰め込んで、ヒトのまばたく間に現出させる、魔法のよう な、量子論的千夜一夜物語。
出演
珠水
夕沈
中村榮美子
山本亜手子
雪港
小林夢二
宮璃アリ
池田遼
る
岩本苑子
近藤樺楊
カシワナオミ
月宵水井村昂
青根智紗
石津ゆり
今井美帆
大竹このみ
奥野彩夏
小野寺絢香
小島優花
小宮山佳奈
五月女侑希
相馬陽一郎
朝長愛
中村ましろ
新田周子
一楽
野中雄志
長谷川真愛
坂東木葉木
人とゆめ
深澤寿美子スタッフ
作・演出:天野天街
美術:田岡一遠
美術製作:小森佑美加/岡田保
映像:浜嶋将裕
照明:小木曽千倉
音響:岩野直人
振付:夕沈/池田遼
音楽:珠水
チラシ原画:アマノテンガイ
衣裳:雪港
衣裳協力:いしだかよこ/がんば/安野富久美
小道具:る
演出助手:山田翠
舞台監督:大垣敏朗
制作:少年王者舘
主催:新国立劇場協力:小堀純 うにたもみいち 望月勝美 サカイユウゴ 羽鳥直志 山崎のりあき 吉永美和子 早馬諒 原田瞳
杉浦胎児 虎馬鯨 白鷗文子 サカエミホ ☆之 水元汽色
水柊 藤田晶久 街乃珠衣 篠田ヱイジSTAGE OFFICE tsumazuki no ishi 有限会社ザズウ 株式会社ダックスープ かすがい創造庫
演劇組織KIMYO 株式会社巣山プロダクション 劇団キリンバズウカ 劇団天動虫運営:一般社団法人 箱の中の箱
新国立劇場に少年王者舘が登場するということ自体がひとつの事件といえることなのかもしれない。もちろん、その作品の芸術的な価値ということだけを考えれば「国立」を冠した劇場に天野天街が招聘されるということは不思議でもなんでもないし、この劇場ではすでにダムタイプも維新派も上演されているのだから、むしろ遅きに失しているとさえ、言えそうなのだが、それでもここにそこはかとない違和感があるのは何故なんだろうと舞台を見ながら考え続けていた。
少年王者舘をまだ見たことがない人の中には王者舘の舞台を何か唐組のようなアングラ演劇に類するものと勘違いしている人もいるかもしれないが、それは完全な誤解だ。レトロなイメージなトリッキーな舞台美術、パフォーマーによる舞踊を含む集団的な演技、装置や壁面に映写され演技と一体となる映像。これらの要素が組み合わされて展開する舞台は長らく類例がないため王者舘ならではのワンアンドオンリーな世界と見なされてきたが、今現在から振り返ってみると、これが実はメディアアートの一種だということが分かってくる。
表題になっている「1001」について天野天街は以下のように描いている。
1001
1、ある・0、ない・0、ない・1、ある、
あるけどない、ないけどある。
二進法に置き換えられた世界。 生死を賭けて終わりなき物語を紡ぎ続けたシェヘラザードの話法を借り、少年王者舘が今まで吐き出した数々のエレメントを、撹拌させ、混沌させ、融合させ、分裂させ、物語の中の 物語の中の物語の中の物語の中に詰め込んで、ヒトのまばたく間に現出させる、魔法のよう な、量子論的千夜一夜物語。
「1、ある・0、ない・0、ない・1、ある」つまり、「 あるけどない、ないけどある」。 平成が終わり、令和を迎えた最初の作品として、この作品は上演されたが、平成が始まった30年前に上演されたある作品のモチーフとこの「1001」は響きあっている。その作品こそダムタイプの「S/N」(1992年)なのである。「S/N」とは、「シグナル/ノイズ」というオーディオ用語で、2項対立を象徴する言葉。ここではHIVやゲイの問題とからめて「生」と「死」というモチーフが作品内で何度も何度も反復されるが、少年王者舘「1001」という作品を蔽い尽くすように反復されるのも「生」と「死」の二個対立であり、提示されるイメージ自体は令和になってもレトロな感覚を想起させる、少年王者舘「1001」と今見ても近未来的で現代のメディアアートにも直結されるようなダムタイプの「S/N」では一見対極的にも思われるが、「1001 」を見ているとその反復されるいくつ場面から「S/N」の場面が想起されてきてさまざまな思いがかけめぐる思わず胸が熱くなるような瞬間があった。
Dumb Type - S/N
少年王者舘「ハニカム狂」ダンス 4拍子