下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

tatazumi♯1「明けない夜があったとして」(2回目)@三鷹SCOOL

tatazumi♯1「明けない夜があったとして」(2回目)@三鷹SCOOL

f:id:simokitazawa:20170712232023j:plain

『明けない夜があったとして』
脚本・演出
大内郁
出演
大関一成・熊倉由貴・黒瀬夏希・斉藤ほのか・坂下優河・笹渕蛇口・高附直輝・野尻佐央
作曲・演奏
栗原真葉

美術:志賀耕太
広報:松本海月
制作:土田高太朗
演出助手:金子未羽・松井瑞希
美術・制作助手:荒川弘憲・岡田夏旺・永井あかり

 平田オリザ流の現代口語の会話、チェルフィッチュを思わせる回想モノローグ、ポストゼロ年代演劇風のリフレインやループ構造、セリフの群唱などさまざまな様式がミクスチャーされて栗原真葉が生演奏するオリジナルの音楽に乗せて、スタイリッシュに展開されていく。
 憲法改正の是非を問う国民投票を迎える3日前に三鷹で行われた「ほしぞらキャンプ」というイベントに集まってきた若者たちの群像劇。同級生の女の子二人組、別れる寸前の恋人たち、誰かを探しに来たらしい男。それぞれの思惑を乗せて、静かに夜は更けていく。ともすれば政治に無関心などといわれがちな現在の若者たちの政治的な言説に対する微妙な距離感が浮かび上がってくる。
 開演の前から舞台には数人の俳優がいて、数人の俳優がいる。平田オリザが舞台導入部によく使うゼロ場という手法だが、こうした空気感の中から開演時間になると女が上手から舞台に現れて軽く一礼した後「あれは、みなさん覚えてると思うんですけれど、2019年の9月、だから令和になった最初の年、というか秋の始まりくらいの頃で、私たちはちょうど、この場所にいた。もう忘れてしまったけど、そのときもここに来るのに、私は今日と同じ中央線に乗ってきた、はず」とモノローグで回想する。このあたりのタッチは今度は「わたしたちは無傷な別人である 」の頃のチェルフィッチュを強く想起させる。「なんだこれは」と思いながら、しばらく見ていくと脚本と演出を担当する大内郁は学生劇団に時折あるように特定の作家(この場合は平田オリザ岡田利規)が好きだから好きなあまり偶然こうなってしまったというようなものではなくて、そういった個々の作家の作風を確信犯として引用しながら、それをまるで組み細工のように組み合わせることで自分の劇世界を構築していっているのだということが分かる。
 それというのはその導入が一段落すると今度はこの「ほしぞらキャンプ」に参加してきた若者たちによる現代口語演劇的なフェーズに舞台は変わっていくというのにとどまらずそこでは平田様式といっていい同時多発の会話が駆使されるようになるのだ。
 通常、平田オリザにせよ岡田利規にせよ、あるいはほかの劇作家にせよ、優れた劇作家は自分のスタイル(様式)を強固に持っている。それは個々の劇作家によって大きな武器ではあるのだけれど、当然手法は内容を規定する。つまり、それぞれのスタイルで表現できることと、表現しにくい内容がある。山内は先人による複数の手法を換骨奪胎、自在に操ることでより多面的な世界を構築することを試みているように思えるのだ。
 平田オリザ岡田利規の名前をまず挙げたが、実はこの作品の中に詰め込まれている演劇的な手法はそれだけにとどまらない。冒頭で語られた「あれは、みなさん覚えてると思うんですけれど、2019年の9月……」以下のセリフは劇中で複数の俳優によって何度となくリフレインされるし、途中で何シーンか同じセリフが複数の俳優によって分割・編集・反復して発話される場面もあり、こうした手法は柴幸男や藤田貴文らポストゼロ年代の作家を連想させる。 
 このようにさまざまな様式を引用しそれで作品を組み上げるということは実は山内にとっては固有の方法論や演劇についての模索の中から生み出された手法そのものはいつでもそこからそのソースを活用できるデータベースのようなもので、例えば誰もが過去の遺産を活用してしている映像編集の際の様々な手法のようなものなのかもしれない。山内にはゼロ年代的(あるいは演劇ではポストゼロ年代的)なオタク的な心性はほとんど感じられないのではあるが、平田オリザ以降30年にわたる日本の現代演劇の歴史を文字通りいつでも利用可能なアーカイブのように活用し、データベース消費していまうという演劇との距離感はついに現代演劇における新しい世代(ネクストジェネレーション)が出てきたのではないかと感じたのであった。
 作演出の大内郁は現役の東大生。メンバーは都立国立高校時代の仲間(演劇部ではない)とその周辺の東京芸大の学生らによって構成され、様々な分野のアーティストによるゆるやかな集合体を目指すということらしく、次回の活動としてはメンバーのひとり志賀耕太の美術インスタレーションが予定されている。

tatazumi #1 『明けない夜があったとして』PV Short