下北沢通信

中西理の下北沢通信

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青年団リンク やしゃご「ののじにさすってごらん」(2回目)@こまばアゴラ劇場

青年団リンク やしゃご「ののじにさすってごらん」(2回目)@こまばアゴラ劇場

「ののじにさすってごらん」2回目の観劇。実はこの日の観劇で初回に違和感を感じた部分に疑問が広がった。ベトナム人技能実習生が近所の農家の女性から畑を荒らしたことを疑われるという冤罪を受ける。これは冤罪だと最初は単純に考えていた。それは彼がそういうことをする動機がないからなのだが、そのことを責める女性に対するベトナム人男性の態度に若干の疑問が浮かんできて、彼が本当にこの問題について清廉潔白だったのかどうかが分からなくなってきた。
 それはどういうことか。今回の観劇で初めて気が付いたのだが、この芝居の前半で冷蔵庫にあるビールについて、「人のビールを勝手に飲んだ、飲んでない」についての小さな言い争いが起こる。これはこの下宿にいる日本人同士の日常描写としてさりげなく描写されているのだが、このことは結局大きな問題にはならない*1。厳密に解釈してそれが窃盗だとしてもそういうことにいちいち目くじらを立て続けることの方が日本人の間で大人げないとみなされているからだ。さらに言えば例えば盗まれたと主張する方が警察を呼んでビールを盗まれたことを告発したとしても警察はとりあわないであろう。
 一方でベトナム人や中国人の技能実習生は警察が呼ばれて、ことの顛末を担当部署に報告されただけで、下手をすると本国に送還される可能性がある。その意味で技能実習生と日本人である農家の女性は対等な関係ではない。ここにこの問題の本質があるというのが伊藤毅がこの舞台を通じて主張したかったことなのかもしれない。
 野菜泥棒の被害者である農家の女性ではあるが、いまの日本の状況では薄い根拠を基に技能実習生に疑いをかけることは彼らの生殺与奪の権利を握っていることになる。
 実は伊藤毅が「ののじにさすってごらん」で指摘したかったことはそういう制度自体がここで描かれる外国人技能実習生の問題の本質であり、女性の態度に激高して、彼らに味方する日本人さえそのことに気が付いてない事象も舞台は提示している。
 激昂する農家の女性をなんとかなだめて納得させて帰ってもらうことで、その場を収めようとの善意からのものではあるけれど下宿の人間が「やってないよな」とベトナム人男性に執拗に問いただしたりする。その後の一連の動向の中で、技能実習生は「日本人だったら疑われなかったし、日本人だったら大きな問題にならなかった」と自分の思いを吐露するが、周囲の日本人たちは外国人というだけで無実の友人に疑いをかけてきた農家の女性の態度に激高して差別だと言い立て、騒いだりはするが、騒ぎになること自体が実習生には致命的だというこの問題の本質にあまり気が付いていないように見える。こうした善意の人間の不作為の差別の構造にこそ問題の根があるということがを伊藤は描きたかったのかもしれない。その意味でこの作品は伊藤版「ソウル市民」ということができるのかもしれない。
 ところで違和感を感じたと冒頭で書いたことは次の二点。ひとつはベトナム人男性は下宿仲間何人かと連れ立ってカレーの具材を買いに出かけたはずなのに野菜即売所で野菜を買ったという男性になぜ即座に「私も一緒だった」と言わないのか。言わないということは作品中では言及されていないが、彼らはどこかで別れて男性だけがそこに行っているのか。すなわち、実習生の男性が本当にこの問題について冤罪であるかどうかは分からないのだが、一方で最初に疑われた畑荒らしに対しては野菜を下宿に持ち帰ったかもしれないという描写も作品内では示されてないし、冤罪であることは確か。
今回に関しても男性が野菜を買わないで盗むという理由を思いつけないし、そうするだけの積極的な動機もないはずだ。
 ここでは外国人に対する差別的感情によって引き起こされた冤罪事件と疑われたり、問題にされたりすることだけで本国送還になってしまうかもしれない彼らの不安定な立場とそれを是とする日本人の中に潜む無意識の差別感情というそれぞれ別々の問題が同時に存在し、そのことが状況を複雑にしている。気になるのは前半からこの舞台ではお金についての描写がけっこうくどいほどに繰り返されて描写されてきている。例えばスーツアクターの男性は失業中なためにまったくお金がなく、必要となる少額のお金(たぶん千円)をホテル従業員の男から借りていること。小説家志望の男も財布を忘れてお金と図書館の会員カードがなかぅたことで図書館に入ることができなかったというエピソード。このことには今気が付いたのだが、おそらく実習生の男性が現金を持っていたかどうかの描写がどこかでされていたはずだが、ミステリ読みとしては失格*2なことにまったく、記憶がないのだ。
 最後に「ののじにさすってごらん」という表題だが、これは何の意味があるんだろう。やはり、謎が多い作品だと思う。もう一度見にいかなくちゃいけないかもしれない。
 

作・演出:伊藤 毅

ある汚いシェアハウスに、日本人と中国人とベトナム人が住んでいました。
皆は貧乏ながらに割と楽しく暮らしていましたが、ひとりひとり、悩みを持っていました。
ある日、技能実習生のベトナム人が、一通の手紙を残して失踪してしまいました。
そこには、ギリ判別できる文字で「ごめんなさい」と書いてありました。

2020年、日本の夏の話。

青年団リンク やしゃご

劇団青年団に所属する俳優、伊藤毅による演劇ユニット。
青年団主宰、平田オリザの提唱する現代口語演劇を元に、所謂『社会の中層階級の中の下』の人々の生活の中にある、宙ぶらりんな喜びと悲しみを忠実に描くことを目的とする。
伊藤毅解釈の現代口語演劇を展開しつつ、登場人物の誰も悪くないにも関わらず起きてしまう、答えの出ない問題をテーマにする。


出演

木崎友紀子、井上みなみ、緑川史絵、佐藤滋、尾﨑宇内、中藤奨(以上、青年団)、石原朋香、岡野康弘(Mrs.fictions)、工藤さや、辻響平(かわいいコンビニ店員飯田さん)

スタッフ

作・演出:伊藤 毅
照明:伊藤泰行
音響:泉田雄太、秋田雄治
舞台美術:谷佳那香
制作:笠島清剛
舞台監督:中西隆雄、武吉浩二(campana)
チラシ装画:赤刎千久子
チラシデザイン:じゅんむ
演出助手:あずまみか
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

simokitazawa.hatenablog.com

*1:冤罪(えんざい)どころか明らかに飲んでいる人がいる。

*2:ミステリ小説ならばあらかじめ実習生が自分の財布を忘れていってしまっていたことが事後的に分かれば、彼が実際に窃盗に手を染めたのではないかという十分な疑いの根拠になる。逆に財布を持って出たことがはっきり提示されていれば無罪だということのかなり強い根拠になるはず。