下北沢通信

中西理の下北沢通信

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演劇とダンスの中間領域で新たな表現模索。スペノ×松原俊太郎 スペースノットブランク『ささやかなさ』@三鷹SCOOL

スペースノットブランク『ささやかなさ』@三鷹SCOOL

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スペースノットブランクは若手集団の中では注目を集めている存在であり、公演を見るのもこれが初めてではない。ダンス的身体表現とセリフを駆使した演劇的表現の両者を使い演劇とダンスの中間的領域で新たな表現を開拓しようと試行錯誤しているというのがこれまでの印象だが、複数回見ているのにも関わらず毎回その様式はかなり大きな偏差で変化し続けており、『ささやかなさ』@三鷹SCOOLもこれまで私が見たスペノの作品とはかなり印象が違う。「これが スペースノットブランクだ」というイメージが私の中ではまだ何らかの焦点を結ぶというところまでいっていないというのが現在までの正直なところである。ただ、全体としてはこれまではダンスの印象があったが、今回は演劇だと感じた。
今回は脚本を松原俊太郎が担当。演出はいつもどおりに小野彩加、中澤陽が担っている。この組み合わせによる作品では2020年12月に『光の中のアリス』があるが、これは見ることが出来なかったので、これが初めての観劇となった。
今回の上演を見る限り、松原の戯曲は相当以上に奇妙なものに思える。発話されるセリフはあるのだが、同じ登場人物のセリフが異なる出演者の間を渡り歩くように発話される。演出もかなり変化球なのでこれのどこまでが原テキストの指定なのか、あるいは演出段階の変更なのかが、この作品を見ただけではよく分からない。
物語は一見脈絡がないように見えるが、一応の筋立てはある。ただ、これもミチコという女性以外は死んでしまったらしい「ケイ」という男と「私」という男の二人がいるようなのだが、この二人は途中から「ミチコの犬にならないといけない」などとして、犬としての一人称描写のようなものが混ざりこんできて、しかもその叙述が俳優の間を渡り歩いたりするので、誰が誰を演じているのかがよく分からなくなってくるのだ。
 さらに後半の最後の方になってくるとここにさらに劇中において登場人物であるミチコと私が「幸福な家庭を演じるままごと」という遊戯的な劇中劇も入り込んでくる。この辺りのタッチは描かれている家庭の恐ろしさと対比されるような無邪気さが醸し出されてもいて、見ていて楽しくもあるのだが、強い寓話性を感じるところもあり*1このテクストが全体として何を意味しているのかを汲み取りたくて汲み取れないもどかしさも感じたのだ。
 ところがこの作品の面白さはこうした複雑怪奇とでもいうべき内容をすべて消し去るかのように最後にミチコを演じていた荒木知佳が歌を歌いだし、その音楽の力がもたらす一種のカタルシスにより、かなりの力技で作品に終止符を打つ。この歌はそれを汗だくで熱唱する荒木の姿や歌に合わせてその周囲で犬として(?)踊りまわる矢野昌幸の存在感とも相まってそれまであったこの舞台への「???」という多くの疑問符を洗い流してしまい「よく分からないけれど面白かった」という印象を与えることに成功していた。

スペースノットブランク(スペノ)と俳優たちは繊細な手つきで戯曲の一語一語を丁寧に掬って舞台を作るため、上演を観るのはとても緊張します。上演はナマモノだから、そのときどきの動きや発声、まわりの環境によってニュアンスが変化する、というのはよく言われることですが、スペノの場合はその振れ幅がなかなかすごいので、上演後の印象として、とても明るいからとても暗いまで揺れ動きます。恐ろしい事態です。それを目の当たりにしたのが2020年12月の『光の中のアリス』の上演でした。
『ささやかなさ』は2020年5月に再演される予定で、出演者も増えることもあり、リライトしていました。が、再演は中止となり、今回は一年越しの待望の再演です。ただ、『光の中のアリス』を観る前と後とでは状況がまったく違います。リ・リライトすることにしました。
もちろん、戯曲はその都度、もうこれでおしまい! と叫んで書き終えています。できればもうしばらく目にしたくもありません。でも、スペノが再演する、場所が変わる、観るひとが変わる、出演する俳優が変わる、時間が経過している、こうした「ささやかな」変化にくすぐられて、また戯曲を開いてしまいます。帰る時間も忘れてもっともっとお話したいと粘っている恋するヒトみたく、どうしても、もっと見たい、もっと聞きたい、と思ってしまうのです。『ささやかなさ』はこうした「ささやかな」「振れ」に端を発し、悶えながら運動しているようです。ぜひ、きてください。

松原俊太郎


作:松原俊太郎
出演:荒木知佳、古賀友樹、西井裕美、矢野昌幸
演出:小野彩加、中澤陽
音楽:Ryan Lott
音響:櫻内憧海
照明:中山奈美
舞台監督:河井朗
保存記録:植村朔也
デザイン:松田泰典
制作:花井瑠奈
協力:プリッシマ、24EP、This Is Meru、お布団、青年団、ルサンチカ、東京はるかに、FooDoo’s
主催・企画・製作:スペースノットブランク
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、芸術文化振興基金、公益財団法人セゾン文化財

simokitazawa.hatenablog.com
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*1:このテキストについてはけっこういろんなことを考えた。まずミチコという名前から天皇家の寓意なのかもということを最初に思いついたが、これはどうもうまくは当てはまらない。次に「ケイ」からひょっとしたらこれは「K」であり、夏目漱石の「こころ」が下敷きなのかとも考えた、お嬢さんの名前がミチコだったのかもと帰宅後調べたのだが、これも違っていたから多分、無関係なのだろう。