下北沢通信

中西理の下北沢通信

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スペースノットブランク「フィジカル・カタルシス」@こまばアゴラ劇場

スペースノットブランク「フィジカル・カタルシス」@こまばアゴラ劇場

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 ほぼすべての公演を無料で見ることができる劇場会員であることもあり、かつては毎週のように観劇に出掛けていた「こまばアゴラ劇場」を5カ月ぶりに訪問し、スペースノットブランク「フィジカル・カタルシス」を観劇した。

【コメント動画到着!!】スペースノットブランク「フィジカル・カタルシス」(2020/8/7~9)

 コロナ感染予防対策を相当以上に厳しく施した公演であり、手指、足裏の消毒や体温の計測、観客全員のマスク着用義務が開演前に何度もアナウンスされ、客席も設置された椅子がほぼ満席状態であっても25人程度に抑えられて、客席同士の間に距離が取られているなど厳戒態勢を感じさせた。
 スペースノットブランクの作品を見るのは昨年6月こまばアゴラ劇場で上演された「すべては原子で満満ちている」以来のこと。これまでショーケースでの小品も加えるといくつのかの作品を見てきたが、いまだに作品全体の傾向をとらえかねている。いずれも演劇とダンスの両方の要素を持っているが、作品ごとにその作風の差異がかなり大きいからだ。

かながわ短編演劇アワード2020上演作品「スペースノットブランク『氷と冬』」


 「演劇とダンスの両方の要素を持っている」と書いたが、「フィジカル・カタルシス」は見た印象ではほぼダンスである。当日パンフによれば全体は「JUMP」「REPLAY」「FORM」「MUSIC」「TRACE」と題した5つのPHASEから構成されているが、特に前半部分はバスケットボールを用いたり、縄跳びを跳んだりといった通常ダンスと見なされないような身体所作の連なりが舞台上で提示される。下手奥にはあらかじめ同じ場所収録されたと思われるパフォーマーの動きがモニターの映像で提示されるが、最初の方はそれがほぼ同じような動きをしているのに次第にずれていったりと単純に現前での演者の動きを提示するだけではない情報が同時進行し、受け取る情報の多さについての負荷が高く、一方で物語性や娯楽性はほぼないためマスクをして息苦しいなかで作品に集中するには難しい作品と感じた。
 「PHASE」という表題からやはりミニマルな構造を具現化したダンス作品としてローザスアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル)の作品「ファーズ—Fase」のことを連想した*1。ただ、「ファーズ—Fase」は作品中で流れ続けるスティーブ・ライヒの楽曲「Fase」に基づく作品であるが、「フィジカル・カタルシス」は冒頭から作品半ばまでは音楽をほぼ使っていなくて、無音である。そのため、見ていての印象はまるで違う。音楽を参照項として、身体の動きを見た時にその構造の読み取りやすさは格段に違ってくるからだ。
 実はこちらも「REPLAY」という表題からの印象かもしれないが、複数のダンサーが同時に登場して、それぞれが違う動きをする場面はダンサーの動き自体でいうと多田淳之介の「RE/PLAY」を連想させた。両者の大きな違いは多田の作品にはそれぞれバラバラの動きをする演者の全体を束ねる音楽が使われており、それが見る方の印象に大きな役割を果たしているからだ。
 この作品では後半の「MUSIC」で音楽が使われ、ここでは音楽に合わせて生でラップと歌唱を行う。そして、その後の場面では音楽がかかったままでのソロでの身体所作が行われるが、その身体所作が前半のものより多少はなめらかに流れるものではあっても、基本的に大きな違いがないと思われるのにここでの動きは「ダンス」と感じられるし、前半部のような前衛性を感じることはほとんどなく、普通にダンスとして受容することができる。もちろん、ダンスにはポストモダンダンス以降の流れのように意図的に音楽は使わなかったり、音楽とダンスがまったく同期しないもの(例えばマース・カニングハム)も多いが、この「フィジカル・カタルシス」という作品では「音楽との出合いによるダンスの誕生」をひとつの仮想の物語として提起した作品のように思えた。作品の表題はそういう意味ではないのかもしれないが音楽の出現にはある種のカタルシスを感じた。
 

演出:小野彩加、中澤 陽


ジャンルの越境。
ではない舞台芸術のすべての価値を探究しながら作品の制作を行なうスペースノットブランクが舞台芸術に成る以前のダンスを考察し、身体のために新しい動きのメソッドを確立する。

本作は2019年1月より継続して制作と上演を行なっており、多様な身体と場所を通過して研鑽を積んできました。「ダンス」と「身体」そして「動き」についての舞台作品です。

これまでの『フィジカル・カタルシス』は「ダンス≠ダンス作品」という考えのもと、ダンスと結びつけることのできる要素を抽出してシーンを構成し舞台に表すことで、ダンス作品として成立してしまうことの不条理を取り扱ってきました。観客が体感する上演の時間を「形」として、『フィジカル・カタルシス』は上演から上演へ「変形」し続けています。観客が体感する上演の時間。ではないすべての時間に、観客の身体も「変形」し続けています。身体は社会と繋がっています。

今日の『フィジカル・カタルシス』では、距離が保障された現代に於いて、条理と不条理、プレイとパフォーマンス、それら「システムの越境」を越境し、未来の身体の動作と配置を創造することを目的に「変形」した作品と観客が出会う新しい場所の「形」を探究します。

スペースノットブランク

小野彩加と中澤陽が舞台芸術を制作するコレクティブとして2012年に設立。舞台芸術の既成概念に捉われず新しい表現思考や制作手法を開発しながら舞台芸術の在り方と価値を探究している。環境や人との関わり合いと自然なコミュニケーションを基に作品は形成され、作品ごとに異なるアーティストとのコラボレーションを積極的に行なっている。

出演

振付・出演:荒木知佳 古賀友樹 花井瑠奈 山口静

スタッフ

演出:小野彩加 中澤陽
舞台監督:河井朗
音響・照明:櫻内憧海
制作:河野遥
保存記録:植村朔也
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:黒澤多生(アゴラ企画)
制作協力:半澤裕彦(アゴラ企画)

*1:実は「Fase」のことを「PHASE」として勘違いして記憶していた。両者の表題はまったく無関係だが、「フィジカル・カタルシス」の前半部のミニマルな構造が「Fase」のことを思い起こさせたのは事実。