下北沢通信

中西理の下北沢通信

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劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@東京芸術劇場

劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」@東京芸術劇場


各省庁・陸海軍、民間の有望な若手が集まり、対米戦の帰趨のシミュレーションを行ったという総力戦研究所という名前の組織を聞いたことがあるだろうか。私は不明を恥じねばならないが、この作品を見るまではその存在を知らなかった。実はこの組織については猪瀬直樹が「昭和16年夏の敗戦」という著作で取り上げており、映画にもなっているからそれほど世間に知られていない事実というわけでもなかったようだが、「帰還不能点」はかつてのメンバーらが戦争が終わった後で亡くなった元同僚の妻のもとに集まり、なぜ皆が負けることが分かっていた戦争に突き進んでいったのかを再び考えてみたというアイデアを盛り込んでいる。

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演劇作品として面白いのは集まってきた総力戦研究所のメンバーは店の元同僚の妻のどんなことをしていたのかとの問いに応じて、かつて行った模擬内閣による机上演習の再現を行うが、日米戦争の展開を研究予測したその演習での結論は対米戦争を行えば日本は必ず敗北するというものだった。

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 「帰還不能点」の中で実際のシミュレーションの細かい内容が示されることはないのだが、上記の映像にある猪瀬直樹氏の講演によればポイントになったのは戦争遂行を可能とするエネルギーの確保の問題であったようだ。米国の石油禁輸措置により、日本は石油が産出される南部仏印進駐が不可欠だが、フィリピンに基地を持つ米国がそれを看過することは決してない。だから、そこを占領すればかならず全面的な対米戦争に至り、そうすれば日本が戦争継続可能な期間は長く見積もっても3年程度(現実の内閣側の議論ではそういう前提であった)。石油を国内に輸送する際に米国に石油運搬船を沈められる可能性を勘案するならば1年程度で石油の備蓄は不足をきたし、これが「必敗」の大きな根拠となっていた。
 現実には総力戦研究所の研究成果は東条秀樹により一蹴され、日の目を見ることはなかった。そのことをもって、軍部の強硬姿勢が戦争をしたくなかった他の内閣のメンバーの意向を押し切ったと責任を軍に帰する見方が強い中、元総力戦研究所のメンバーが自分たちで行ったのはシミュレーションの再現ではなく、今度は劇中劇の形で首相近衛文麿、外相松岡洋右らを演じることで、日本を勝ち目の薄い対米戦へと追い込んでいったのはアメリカの日本への警戒レベルを引き上げた三国同盟締結などの外交的な判断の失敗の連続などもあったのではないかとの仮説を論じていく。
 そして、その時その時で違う判断を行っていれば避けられたかもしれない状況を最終的な「帰還不能点」を超えてしまったのはなぜなのか。繰り返される様々なシミュレーションを通じて、いまの私たちにも考えさせることになるのである。

帰還不能点(2021年初演)
1950年代、敗戦前の若手エリート官僚が久しぶりに集い久闊を叙す。やがて酒が進むうちに話は二人の故人に収斂する。一人は首相近衛文麿。近衛を知る参加者が近衛を演じ、近衛の最大の失策、日中戦争長期化の経緯が語られる。
もう一人は外相松岡洋右。また別の一人が松岡を演じ、アメリカの警戒レベルを引き上げた三国同盟締結の経緯が語られる。

更に語られる「帰還不能点」南部仏印進駐。大日本帝国を破滅させた文官たちの物語。

【出演】
岡本 篤、西尾友樹(以上、劇団チョコレートケーキ)
青木柳葉魚(タテヨコ企画)/東谷英人(DULL-COLORED POP)/粟野史浩(文学座)/今里 真(ファザーズコーポレーション)/緒方 晋(The Stone Age)/照井健仁/村上誠基/黒沢あすか