下北沢通信

中西理の下北沢通信

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劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」@こまばアゴラ劇場

劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」@こまばアゴラ劇場

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作・演出:はせひろいち出演
栗木己義、荘加 真美、空沢 しんか、伊藤 翔大、中杉 真弓、髙橋 ケンヂ、山﨑 結女、林 優花、松本 詩千、岡 浩之、三井田 明日香(劇団B級遊撃隊)、はしぐち しん(コンブリ団)

スタッフ
照  明 福田 恒子
音  響 杉田 愛憲
舞台美術 JJC工房
舞台監督 岡 浩之
宣伝美術 石川ゆき
制  作 劇団ジャブジャブサーキット
ウチの代表作と言われる「非常怪談」(初演1997年)と、表裏を成す作品が書きたかったんです。いわゆる「葬儀モノ」なんですが、ありがちなお涙モノや親戚がもめたり、死の謎を巡ったり等ではなく、いつも以上にはんなりとした会話劇に仕上がりました。誰にも必ず訪れる「死」という現象について、いろんな角度から向き合える構造になってると思います。7月に先行した名古屋公演でもその辺の共感は高かったですね。(文責はせひろいち/作・演出)

’85年、岐阜大学OBを中心に旗揚げ。’91年から東京、’97年から大阪でそれぞれ定期公演を始め、以来3大都市巡業スタイルに。観客との想像力共有を信じ、細かい会話研究を武器に、演劇に残されたリアリティと知的エンターテイメントを追求している。’93年池袋演劇祭優秀賞、’95年と’97年にシアターグリーン賞、’01年と’06年に名古屋市民芸術祭賞。なお、代表のはせひろいちは、’99年、’04年、’06年の3回、岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされている。

 
 22年前に初演された代表作「非常怪談」は2014年に地元の岐阜と三重県のみで再演されたが、とある地方都市の家族の葬儀を描いた葬儀ものの好舞台だった。この分野には弘前劇場「家には高い木があった」、最近の作品でも小松台東「山笑う」など群像会話劇の良作がある。これは家族、親族から近所の人、職場の人ら様々な人物が出入りしてもおかしくはないシチュエーション(平田オリザによればセミパブリックな空間)は群像会話劇を作りやすいからかもしれない。
 はせひろいち作品では平田オリザを彷彿とさせるような現代口語の群像会話劇のなかにこの世のものならぬ怪異が極めて自然な形で溶け込んでいる。「非常怪談」ではその怪異が民俗学的な伝承の対象となるようなもの*1で、そういう異界のものたちが弔問客として普通の人間と交ざりあって来場するような劇空間があくまでリアルな日常劇の形で立ち現れてくるのだ。
 そのための重要な武器が岐阜方言である。ゆっくりとしたテンポとのどかな空気感がいつのまにか観客をはせひろいち独自の世界に引き込んでいく。この舞台の冒頭で僧侶役を演じる栗木己義はこの劇団の看板男優だ。今回の役柄はこの舞台の芯を担うものとは言いがたいのだが、この人のとぼけたやりとりに笑っているうちに観客ははせの世界にいつのまにか巻き込まれているという意味ではやはり得がたい存在である。
 この舞台のもうひとつの仕掛けは葬儀の主が年齢は異なるもののはせ同様に地方で劇団をしている劇作家であることだ。はせが自分自身をモデルにしたような登場人物を舞台に載せることはいままでもないではなかった。しかし、あくまでライターや雑誌記者、作家などに役柄が変更されており、劇作家、しかも地方の劇団主宰者が出てくるのは初めてだ。 
 興味深いのは葬儀モノでは通常生きている人間の会話から亡くなった人の人となりが観客の脳裏に構築されるというのが常道だが、この舞台では死者の霊(?)が普通に舞台上に現れ、やはりもう死んでいるかつての劇団仲間の親友、先に若くして亡くしている妻と日常的な会話を交わす。舞台上の一緒にいても、亡者が直接声をかけたり干渉しない限り、生きている人は死者の姿を見ることはできないが、死者は生者の声も姿も見ることができる。これをひとつのローカルルールとして後は通常の会話劇同様に舞台は進んでいき、いつの間には観客もそれを自然なものとして受容していく。はせの場合、この辺りの手触りが本当に巧みだ。
 そして面白いのは「非常怪談」ではあくまで観客の視線は日常から非日常を見るというものであったが、「小刻みに戸惑う神様」での作者(観客)の視線は限りなく死者からの視線に近いように思われた。そして、これが「非常怪談」から22年の歳月を越えて「小刻みに戸惑う神様」で再度葬儀ものの舞台に挑戦するに至った心境なのかもしれない。
 最後に家を飛び出している劇作家の息子の愛人(一緒に暮らしていた)と名乗る謎の若い女が出てくる。これは明らかに「非常怪談」のヒロインへのオマージュだと思う。そして、この女が本当に愛人だったのかどうかも芝居の中からだけでははっきりとは分からない*2、実は隠し子の可能性も残してはいるからだ。
 最後に「小刻みに戸惑う神様」を受けて、「非常怪談」の再演をぜひやってほしいという気持ちが高まっている。4年前の再々演はあるものの「非常怪談」は初演・再演時のヒロイン役だった一色忍の印象が強く、これまでは「再演しない方がいいかも」と思っていた。しかし、やはり再演してほしい。ヒロイン役は劇団内外を含めてのオーディションがいいのではないかと思う。

それにしてもこう言う言い方をするとそれこそ贔屓の引き倒しと見なされかねないと思うが、90年代以降の現代演劇を俯瞰してみたとき、ジャブジャブサーキットのはせひろいち、弘前劇場長谷川孝治、桃唄309の長谷基弘の3人は現在の(特に東京での)知名度はその実力に比べると不当に低い。
 平田オリザ松田正隆、深津篤史(故人)ら岸田戯曲賞を受賞した作家らに比べて、劇作家としての実力はなんら遜色のないものであり、本人も健在である今、こういうことを言うのもなんなのだが、近年亡くなった深津や大竹野正典の作品が再演による再評価を得ているように、より若い世代の演出家による上演も見てみたいところなのだ。
 とは言え、会話の中からその背後にあるリアルな幻想を立ち上げていくはせひろいちの作品は山田百次らより若い世代の作家との近親性も高いのである。若い作家や演劇ファンにもまずぜひ一度は見てほしい作家なのだ。
平成の舞台芸術30本 「非常怪談」もその1本
simokitazawa.hatenablog.com
広瀬泰弘氏の劇評
blog.goo.ne.jp

*1:河童や座敷わらしが登場

*2:「非常怪談」ではヒロインは葬儀の主の隠し子だった。