下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

じゅんじゅんSCIENCEダンス公演「街角」@BUoY北千住アートセンター

じゅんじゅんSCIENCEダンス公演「街角」@BUoY北千住アートセンター

演出・振付:高橋淳

音楽:山中透

出演:金森温代 小山柚香 長屋耕太 久井麻世 三橋俊平 森川弘和

■会場
BUoY北千住アートセンター (東京都足立区千住仲町49-11)   

buoy.or.jp

東京メトロ千代田線・日比谷線/JR常磐線/東武スカイツリーライン

「北千住」駅出口1より徒歩6分、西口より徒歩8分

京成本線千住大橋」駅より徒歩7分

じゅんじゅんSCIENCEダンス公演「街角」は昨年こまばアゴラ劇場で見てはいるのだが、今回は約1年ぶりの再演である。とはいえ、今回は音楽を初演とは変えて山中透が担当しキャストにMonochrome circus出身で高橋淳、小野寺修二作品には常連の森川弘和も加わったこともあり、かなり印象の異なる作品に仕上がった。
こまばアゴラ劇場で見た時には端正なダンスアンサンブルという風に見えた。今回もタイトな振り付けは変わらないもののダンサー個々の表情の表し方がより露わになってその分それぞれの個別の魅力が際立って感じられた。
「街角」という主題に対して作品がより深掘りされた印象が強まったことについては街角の環境音などを多く、落とし込んだ山中透の音楽が今回から新たに付け加えられており、これがうまく嵌まっていたのではないか。途中で2カ所ほど挿入されたポピュラー音楽(1曲は「MY WAY」だった)も観客の作品への親密性を高めるのに効果的だったのではないか。
出演者では全員が前回公演と比べるとそれぞれの個性を発揮していて個々の魅力がよく出ていた。中でも今回新たにキャストに加わった金森温代と引き続き出演の久井麻世。この2人が表情豊かで作品全体を引っ張った。のっぽでスキニーな金森とチビの久井。体格も見掛けのキャラも対照的なので対比がいい効果を生んでいたと思う。
もちろん、森下弘和はよかった。前半のアンサンブルに入るところでは悪目立ちしないように抑えていたが、やはり彼が入ると技術は確かだから群像での動きにも芯というか厚みができる。後半の男性ダンサー2人のやりとりでは驚異的な身体能力の片鱗を見せた。ただ、圧倒に面白かったのは押しくら饅頭のようになる場面。いきなり、他のダンサーに全体重を掛けてよりかかるようにするのだが、押されたダンサーが本当に嫌がっているみたいなので、聞いてみると稽古中にはおくびも出さず、本番になって突然仕掛けてきたらしい(笑)。おそらく、この部分は毎日変わると思うので公演中に一体どんなことになるのか。
 

いいむろなおきマイムカンパニー 「doubt -ダウト-」@こまばアゴラ劇場

いいむろなおきマイムカンパニー 「doubt -ダウト-」@こまばアゴラ劇場

「カオが見えるか、見えないか」

マイムの訓練の方法として顔を完全に黒いマスクで覆って表情を消すというものがあります。

元々言葉を使わないマイム...さらに顔のわかりやすい表情を使わず、身体で表現できるようになるための、

ある意味「大リーグボール養成ギプス」(古い!)的な訓練方法です。

もちろん顔は表情が一番わかりやすく出るところなので、それを奪われた演者は必死で身体を使うわけなのですが、

これは見る側にも違った影響を与えると思っています。

大抵の場合、観客は演者の顔を中心にその身体を見ていると思うのですが、顔を完全に覆ってしまうことで、

その視線の中心は、自然と身体にフォーカスされると考えます。

そして、そこから表情で読み取れない何かをつかもうと観客も想像力をフル回転させる...そんな効果もあると思っています。

今回の新作「doubt-ダウト-」

ニュースやSNSの向こう側、もしかしたら地球の裏側の顔の見えない人たちや見たことのない場所のことを想像していくお話です。

見えるもの、見えないもの...見えるものを少し疑い、見えないものを想像する...そんな僕の頭の中にある

ことを、少し可愛らしい寓話のように並べていきたいと思っています。

doubt...本当にそんな可愛らしい作品になるのか?

それもちょっと疑わしくはあるのですが...。

いいむろなおき

【作・演出】

いいむろなおき

【出演】

いいむろなおき

青木はなえ・田中啓介・三浦求・岡村渉・黒木夏海・谷啓

ダンスパントマイムあるいは集団マイムというのがいいむろなおきマイムカンパニーの属するカテゴリーあるいはジャンルだと思うのだが、90年代の上海太郎舞踏公司*1、2000年代の「水と油」と日本の集団はこの分野で世界屈指の水準を保ち、リード役を果たしてきた。特に上海太郎舞踏公司は「ダーウィンの見た悪夢」「マクスウェルの悪夢」という2大傑作を生み出した90年代演劇を代表する集団であったが、出演者が多い演目だったこともあってか東京での公演の機会が限られ、今は知る人ぞ知るという存在になってしまっているのが、当時関西を拠点に活動していた批評家として今でも口惜しくてならない部分がある。
水と油が2006年に活動休止、メンバーだった小野寺修二、藤田桃子がカンパニーデラシネラ、高橋淳(じゅんじゅん)がじゅんじゅんSCIENCEとしてそれぞれ別個に活動している。この分野では集団としての絶頂期はそれほど長くは続かないのが実情だ。 上海太郎舞踏公司にしてもいいむろなおき、ヤザキタケシ、北村成美ら関西のトップ級パフォーマーを客演に集める時と劇団員中心のキャスティングを行ったり来たりして試行錯誤を繰り返した。自前で一定水準以上のメンバーを確保するのはスキルアップに時間がかかる。一方で通常の演劇、ダンスに比べて即戦力のパフォーマーは見つけにくいうえに実力者を客演に呼べば、一時的に準レギュラーになってくれても、すぐに売れっ子になり、継続的なキャスティングは難しくなる。そういう中で10年超の期間をへて*2マイムの基礎から叩き上げたメンバーによるいいむろなおきカンパニーのアンサンブル(集団演技)のクオリティーの高さは見事なものだ。これを生で見るだけでも今回の公演には行く価値があると思う。
 物語らしい物語はこの作品にはないが、冒頭からしばらくは列車に乗って眠り込んでいた男(いいむろなおき)が車掌に起こされて案内状か目的地への地図のようなものを手にして歩き回るけれども、目的地には着けず街中を彷徨するというようなシーンが延々と続く。
 ここで面白いのは一番最初のオープニング場面ではいいむろ以外のアンサンブルを演じるメンバー全員が顔が見えない黒い全頭マスクをつけているのに対し、一度暗転して暗闇のなかブラックライトで白く光る「doubt」の文字が虚空に浮かび上がった後に再び会場が明るくなるとコンドはいいむろが顔を隠して全身黒づくめでメンバーは顔を見せている。
 マイムの訓練として顔を隠す全頭マスクを使う例はあるようだし、表情が見えない仮面を使う場合も珍しくはないようだが、冒頭の部分のように主役が顔を見せて、残りの群衆が個性を消すためにマスクをかぶるというのはあまりないのではないか。かつて上海太郎が「顔でマイムしている」(笑)と称されていたように無言劇であっても顔の表情での演技というのは最大の武器であることは間違いないだろう。その意味でこの舞台でいいむろがそれを自ら封じてみせたということは相当の自信を持っているからこそ出来たことなのだろうと思う。そのストイシズムには拍手を送りたい。
 ただ、いいむろなおき個人と彼のカンパニーがどちらもそのキャリアにおいて最上の状態にあるからこそこの「doubt -ダウト-」という作品が水と油、あるいは上海太郎舞踏公司の最上の作品と比肩する域に達しているのかというと実はややもの足りない気がしているのも確かなのだ。
 いいむろとは彼がソロで活動して、上海太郎舞踏公司パフォーマーとして客演していたころからの古くからの知り合いだということもあり、ついつい余計に点数が辛くなってしまう。以前に何度もパフォーマーとしてはとてつもなく素晴らしいが作品はまだまだなどと苦言を呈して嫌な顔をされたことが何度もあった。だから、今回もついつい今の状況ならばもっといいものが作れるはずだなどと団菊爺のようなことを言い出して本人にも言ったからすごく渋い顔をされてしまったが、以前に言った作品はまだまだとはもはやかなりレベルの異なる水準に上り詰めてきている。
 実は前半はこの作品前半まではもの凄くよかった。水と油とも共通する部分も感じたがシュールレアリスムのような不思議なイメージに満ちていて、これは私が世界最高水準と考えていた前述の作品群を凌駕するのではないかとの期待が膨らんだ。
 ところがイメージの統一性が中盤以降崩れてきてやや作品として散漫なのではないかと思われる部分が出てきてしまったと感じた。これはあくまでも個人的な感想にすぎないが例え客受けすることがなくても目先を変えることなく前半のイメージで推しまくるだけのパワーがこの作品にあればもっととてつもない傑作になっていたのが小佳作でとどまってしまったかなと感じたのだ。とはいえ、集団のレベルは高く次こそ代表作となる傑作が生まれそうな匂いは漂いはじめたようだ。
 
 

『新しい小説のために』刊行記念 新しい小説のためのプログラム@三鷹SCOOL

『新しい小説のために』刊行記念 新しい小説のためのプログラム@三鷹SCOOL

日程

10月29日(日)16:00開演

料金

予約2,500円 当日2,800円(+1ドリンクオーダー)


10.29 SUN 16:00
開場は開演の30分前からになります。

拙著『新しい小説のために』(講談社より10月26日発売)刊行にかこつけて笑、「新しい小説」をテーマとして小さなフェスティバルを行ないます。
発売から数日後の開催でもあり、オマケに分厚い本なので、本の内容から思い切って離陸して、歴史的概念としての「小説」や「フィクション」について多面的に思考する内容にするべく何組かの方々に声を掛けました。僕の妄想と無茶振りに応えてくれる出演者の皆さんに感謝です。
この時、この場でしか観れない/聞けない出来事が連続する筈です。
もちろん拙著も販売します。どうぞよろしく。
_
佐々木敦

●キュイ新作短編『演劇・移人称』
作:綾門優季
演出:綾門優季橋本清
出演:橋本清、井上みなみ(青年団
_
●滝沢朋恵ライヴ(委嘱新曲「小説」初披露)
_
●いぬのせなか座「私らの距離とオブジェクトを再演する/座談会6」
出演:いぬのせなか座(鈴木一平、なまけ、山本浩貴+h、etc.)

●上妻世海×佐々木敦 対談「新しいフィクションのためのプログラム」
scool.jp

青年団リンク キュイの「演劇・移人称」面白かった。冒頭で綾門優季、井上みなみ、橋本清の3人が登場して、今回の公演が本番に間に合わずに公演への参加を見送らざるを得なかった顛末をこれから話すというように断って、実話ドキュメンタリー風に舞台が始まるフェイク(似非)ドキュメンタリー演劇。
 次のシーンでは綾門(松島)の母親がたまのコンサートに行くはずだったのを頭の中から声を発する何者かに止められるという最近フェスティバル/トーキョーで柴幸男が上演した「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」を想起させるようなシーンにつながりここから綾門自身の自伝的な物語が展開していく。
 もちろん、それはそれほどシリアスなタッチで語られるわけではないし、稽古場で出演して演技をしようとしていた綾門が井上みなみに「綾門くんは下手だから出なくていい」と言われ、直後からは綾門の役が綾門本人から井上に移るなど、ところどころに自虐的な要素を交えて笑いをとりながらも、役と俳優が1対1対応をしておらず、次から次へと移動していくという、この芝居のルールを提示していく。
ただ、それが演劇における移人称の表現であるのかというと疑問はある。実は綾門自身も自ら書いて批評再生塾に提出した論考において演劇において小説のような意味での移人称というのは成り立たない、それは役者がいることが前提であるからと論じながらも実作における例を論じているのだが、その論考においてあえて積極的な論評を避けているかに見えるチェルフィッチュを除けば決定的なモデルを見いだせないでいるように見えた。

 井上みなみが凄かった。演技もそうだが、綾門優季の脚本が上がったのが、本番わずか4日前という危機的状況なのにもかかわらず、膨大なセリフ量のセリフを覚えるのはもちろん当たり前で、20役にならんとする役柄を演じ分けていて、まさにリアル北島マヤ。彼女でないと成立しない作品だったのではないか。
 「移人称」に関しては文学系の論者が岡田利規の作品を語るときによく使うようなのだが、演劇にわざわざ小説分析のツールである概念を持ち込むことには違和感がある。とはいえ、今回は佐々木敦の依頼の設定がそうだったようなので、そのことで綾門を批判したりするのは筋違いだったかもしれない。佐々木がそれについてどんなことを書いているのかは本を読んでからもう一度考えてみたい。
school.genron.co.jp

新しい小説のために

新しい小説のために

フェスティバル/トーキョー「パレスチナ、イヤーゼロ」@東池袋あうるすぽっと

フェスティバル/トーキョー「パレスチナ、イヤーゼロ」@東池袋あうるすぽっと



○作・演出:イナト・ヴァイツマン
○出演:ジョージ・イブラヒム、ガッサーン・アシュカル、
アムジャド・バドル、ハウラ・イブラヒム

○主催:フェスティバル/トーキョー
破壊されているのは何か。一面の瓦礫が語りだす、パレスチナの現在地、イスラエルで活躍する女優で人権活動家でもあるイナト・ヴァイツマンの作・演出、『羅生門|藪の中』(F/T14)でも来日したパレスチナの劇団、アルカサバ・シアターの主宰ジョージ・イブラヒムの主演で、昨年初演された話題作が、早くも東京に上陸する。
 舞台は、イスラエル当局に破壊された家屋を調査するパレスチナ人鑑定士の事務所。事例ごとに並べられたファイルが、一つひとつ、ひっくり返されていく。被害時の状況や調査でのやりとり……俳優たちが入れ替わり立ち替わり、時にはユーモアさえ交えて再現するのは、どれも実際に起こった出来事だ。数々の破壊行為の惨状は、本国(アッコ演劇祭)での初演時にも大きな反響を巻き起こし、台本をめぐる文化省の事前検閲との攻防も話題を呼んだ。
 劇が進行するにつれ、舞台面に広がり、積み重なっていく資料=瓦礫の山。かつて考古学を志した鑑定士の目に映る荒廃に、私たちはどんな暮らしや文化の痕跡、歴史を見出すだろうか。
F/T17公式サイトはこちら→http://www.festival-tokyo.jp/17/program/inato_yearzero/

パレスチナのことを描いた演劇だからパレスチナ人の作品だと見る前には勘違いしていたのだが、反体制派とはいえイスラエル人なのだということにいろいろ考えさせられた。なお、劇団はパレスチナの劇団である。

ヨーロッパ企画「出てこようとするトロンプルイユ」@下北沢本多劇場

ヨーロッパ企画「出てこようとするトロンプルイユ」@下北沢本多劇場

作・演出 上田誠
音楽 滝本晃司

出演

石田剛太 酒井善史 角田貴志 諏訪雅 土佐和成 中川晴樹 永野宗典 西村直子 本多力

金丸慎太郎 川面千晶 木下出 菅原永二
美術=長田佳代子 照明=葛西健一 音響=宮田充規 衣装=清川敦子
ヘアメイク=松村妙子 映像=大見康裕 劇鹿展明
大道具=俳優座劇場舞台美術部(大橋哲雄) 特殊造形=中川有子
小道具=中西美穂・相澤怜美 演出部=浜村中画製作=角田貴志
演出助手=山田翠・大歳倫弘 舞台監督=大修司・磯村令子・大槻めぐみ・
山田翠・杉浦訓大 照明操作=葛西健一・加藤泉・上田耕司
音響操作=宮田充規・森永キョロ 運送=植松ライン(西村晴美・谷山正明・三瓶裕次郎)
アートディレクション=underson 宣伝写真=有本真紀 宣伝映像・記録映像=山口淳太
制作= 井神拓也・諏訪雅・本多力・吉田和睦
WEB=宇高早紀子 制作補=天恵祐子・大瀬千尋
協力=TOM company スターダス・2

 「出てこようとするトロンプルイユ」は上田誠岸田戯曲賞受賞後第1作となる。この舞台でヨーロッパ企画を初めて見た観客にある種の戸惑いを与えていたようだが、そうした反応も含めて極めて上田らしい作品だったと思う。上田の作品を三谷幸喜のようなシチュエーションコメディだと評する論者がいる。確かにそう見えるような作品もいくつか書いてはいるが、それだけでは今回のような作品は説明がつかないだろう。以前、「悲劇喜劇」にシベリア少女鉄道ヨーロッパ企画を取り上げて「ゲーム感覚で世界を構築」*1という論考を書いたことがあるが、上田の作品創作の源泉のひとつはゲームであり、2000年代までに登場した他の作家の多くがその創造の源泉を映画や小説などにとり、文学的な想像力をクリエイティブの糧としてきたのに対し、上田誠、土屋亮一の2人は明らかに違っていた。
 これは東浩紀ライトノベルなどの小説群を分析する際に用いた「ゲーム的リアリズム」の概念と明確に通底する部分があると思われるのだが、なかんずく今回の「出てこようとするトロンプルイユ」にはその色合いが強いのだ。
実はこの舞台を見ていて思い出した作品がある。それは「ロードランナーズ・ハイ」という作品でファミコンゲームの「ロードランナー」に対するオマージュから創作した作品で、その作品を見て例えば平田オリザが「東京物語」に想を得て、「東京ノート」をつくったように過去の作家にとっての小説にあたるものがゲームだったのだ。
とは言えゲームのことが共通点と言いたいわけではない。どちらの作品も芝居が始まった時点ではモノが氾濫し、チラカシ放題になっている部屋に複数の人物がやってきて、部屋の整理を始めるところから物語が始まる。「ルームランナーズ~」では片付けているうちに部屋に埋もれていたファミコンとゲームソフトが見つかり、それで遊び始めてしまうという話なのだが、ゲームを一部のメンバーがやっているうちにも、他のメンバーは片付けを続けていて、芝居が終わる2時間ほど後には部屋はすっかりと片付いているという芝居でもあった。
つまり、その芝居では部屋の片付き度合いはリアルタイムで進行していく時間の可視化であって、この同じルールが亡くなった画家の遺品を処分するために大家の命令でパリにあるこの同じ下宿に暮らす売れない画家たちがやってきて、遺品である絵を処分していくという今回の舞台にも適用されている。
トロンプルイユというのは美術に詳しい人以外には耳慣れない言葉かもしれないが「騙し絵」のことである。ネット上の「現代美術用語辞典 1.0」によれば「精緻な描写によって観者の錯覚を引き起こす絵画のことで、果物を寄せ集めて男性の横顔に見立てたアルチンボルドの《春》や、卵の載った巣を前面に描いて岩山と鷲の姿をだぶらせたR・マグリットの《アルンハイムの領地》などの例を挙げれば、それがいかなるものか思い当たる人も多いだろう」(暮沢剛巳)などとある。
 劇中では劇中登場人物によって一時もてはやされたが、一時の流行に終わって顧みられなくなった技法のように説明される。この劇の時代背景は大恐慌時代ということだから1929~30年ぐらいであろうか。
 部屋を片付けられようとしている画家が生前力を入れていたのが、トロンプルイユの技法で中でも額縁を突き破るようにして、絵の中に描かれた人物や幻獣が飛び出してくるかのような画風を得意としていた。
 

『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第77夜「OVER DRIVE」@フジテレビNEXT

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第77夜「OVER DRIVE」@フジテレビNEXT

日本武道館でのソロコンを終えて、「ココロノセンリツ」終了宣言をした有安杏果がどんな曲を披露するのかが今回の焦点だろう。

これまでももクロ現場で歌うことを固辞してきたソロ曲を解禁するということがあり得るのか(可能性は低いと考えている)。自分で作詞作曲した歌はやらなくてもせめて提供を受けた曲である「トラベル・ファンタジスタ」か「遠吠え」を歌ってくれないだろうか。あるいはそれが無理ならばソロコンで歌った宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」かEXILEの楽曲をやってくれないだろうか。いずれにせよ今月も楽しみである。

という風に見る前に書いたが、冷静になって考えてみれば番組準備の進行上、当然杏果のソロコンをきくちPが見る前に今月のセットリストはほぼ固まっていたであろうし、アルフィーの楽曲のカバーが中心で、その他も元ジェディマリのTAKUYAとの共演ブロックなどグループとして全員ないしほぼ全員で歌う曲がほとんどで、ソロ曲(自分の曲というのではなく、メンバーの誰かがひとりで歌う曲)もなかったから、杏果のソロ曲を入れたくても今回のセットリストには入れようがなかった。

 アルフィー楽曲がメイン主題の今回の放送だが、それでもハイライトはTAKUYAの演奏でSMAPの「ススメ!」をSMAP楽曲としては初めてももクロが歌ったことだ。これがとてもよかった。実はこのTAKUYAブロックではこの日の表題でもあり何らかの形でからむとは思われていたJUDY AND MARYの「Over Drive」がまず歌われ、続けて作詞作曲ともがTAKUYAである「イロトリドリノセカイ」が歌われた。TAKUYAはJUDY AND MARYの解散についてはいろんな思いがありすぎるのか、これまでジュディマリ曲はやらないという類の発言を繰り返してきたのが、GARLSFORKTORYでエビ中に提供した「紅の詩」を演奏するために登場した時に続けてジュディマリ曲を演奏。すでに春のライブでの共演経験があった夏菜子がここですかさず「今度はぜひ私たちと一緒に」と一声掛けた。
ももクロの醍醐味は点と点を結んで線にしていくことだから、この時点で遅かれ早かれフォーク村かライブにTAKUYAが再び登場して今度はももクロジュディマリ曲を歌うことになるんだなと思ったはずだ。そして、そうであれば今回の「OVER DRIVE」という表題を見て皆がまでとは言わないが多くのモノノフがこうした展開を予想したはず。ところがこの日番組は何とTHE ALFEEの「Over Drive~夢よ急げ」から始まり、ここから連続で立て続けにTHE ALFEEの曲を弾きまくるという怒濤の展開(ここではモノノフ大好物だが、アルフィー大好きで知られる東京03飯塚悟志のサプライズ登場、「My Truth」熱唱という本当の意味でのサプライズもあった)。
 ところが先ほども一度書いたが私にとっての本当の驚きはこの微妙な時期にTAKUYAの提供曲だということもあってももクロ全員でSMAPの「ススメ!」を歌ったことである。しかもそれに続けて同じTAKUYAの演奏で自分たちの持ち歌の「未来へススメ!」を歌ったのだ。
先ほどもももクロは点と点を結び線を作っていくと書いたが、都合の悪い人に聞かれたら「たまたまです」と答えられる余地を残しながら、これは明確に解散したSMAPに対するエールとも取れるしなかんずく退所して「新しい地図」を作った3人に対するエールだというのは間違いなかろう。
 
 


M01:Over Drive~夢よ急げ (Z ALFEETHE ALFEE)
M02:恋人になりたい (Z ALFEE&坂崎村長/THE ALFEE)
M03:メリーアン (Z ALFEE&杏果&あーりん/THE ALFEE)
M04:シンデレラは眠れない (Z ALFEE&あーりん/THE ALFEE)
M05:SWEAT&TEARS (Z ALFEE&杏果/THE ALFEE)
M06:My Truth (東京03飯塚悟志THE ALFEE)
M07:Theme From The KanLeKeeZ (還暦ーZ/The KanLeKeeZ)
M08:花の首飾り (あーりん/THE TIGERS)
M09:エメラルドの伝説 (杏果/ザ・テンプターズ)
M10:好きさ好きさ好きさ (杏果&あーりん&坂崎村長/ザ・カーナビーツ)
M11:G.S. I Love You -あの日の君へ (杏果&あーりん&坂崎村長/THE ALFEE)
M12:誰よりもLady Jane (ももクロ&坂崎村長/BEAT BOY)
M13:あの空に向かって (ももクロももクロそ)
M14:YELLOW YELLOW HAPPY (千秋&しおりん/ポケットビスケッツ)
M15:Over Drive (ももクロ&TAKUYA/JUDY AND MARY)
M16:イロトリドリノセカイ (ももクロ&TAKUYA/JUDY AND MARY)
M17:ススメ! (ももクロ&TAKUYA/SMAP)
M18:未来へススメ! (ももクロ&TAKUYA/ももクロ)
M19:明日なき暴走の果てに (ももクロ&坂崎村長/THE ALFEE)
M20:Musician (坂崎村長&ももクロTHE ALFEE)

ホモ・ルーデンスのビートメイキング vol.1@SCOOL

ホモ・ルーデンスのビートメイキング vol.1@SCOOL

キャスト

OMSB x 吉田雅史(MA$A$HI)

日時

10/25(水)19:30〜


f:id:simokitazawa:20171026011750j:plain


料金

予約2,000円 当日2,500円(+1ドリンクオーダー)

10.25 WED 19:30

オープンはスタートの30分前からになります。

_「ホモ・ルーデンスのビートメイキング」は、批評家/ビートメイカー/MCである吉田雅史が、様々なビートメイカーとビートについての対話を繰り広げるセッションシリーズ。
_記念すべき第一回に登場するのは、SIMI LABの一員として、そしてソロとしても2015年にリリースしたクラシック『Think Good』も記憶に新しいように、快進撃を続ける稀代のラッパー/ビートメイカーであるOMSB。彼の唯一無二のビートのスタイルの肝はどこにあるのか。サンプリングにこだわるそのビート制作の秘訣とは。そしてラッパーであると同時にビートメイカーでもあるOMSBが考える、ラップとビートの関係とは。
_OMSBによるビートライブのセットを挟みながら、過去から現在にわたるグローバルなビートシーンを俯瞰しつつも、とことんマニアックに掘り下げるビートトークセッションをお楽しみください。

大阪でのセミネールでの出来事だから、かなり前のことなのだが、ままごと「わが星」に絡んで日本語ラップの歴史みたいなことを話したら一部出席者から根本的に事実誤認があると言われ、知らないくせに話すんじゃないというようなことを音楽通の人に言われて、それ以来音楽に関して話したりすることが少しトラウマになっている。ただ、「わが星」や木ノ下歌舞伎(というか杉原邦生演出) のように最近は演劇にラップが入っているのは珍しいことではない。
ももクロにもラップ曲がいくつもあってしかもいとうせいこうが作詞した「5th POWER」から最近の若い作り手のものまでけっこういろいろあって、私には好きかとかはよく分からなかったりする。
と書いてきたがOMSBによるDJプレイの後のトークでビートメイキングについての話題でこの日、参照項になったのはほとんどが海外アーティストの話であり、ラップにおける日本語とか私が聞きたい話はこの日は出てはこなかった。
 この日出てきたのはOMSBの実際の音源を紹介しながら、それがどのようなビートで構成されていて、そのようになっていることにはどのような必然性があるのかの分析。海外アーティストのトラックを対象にビートの構成を解析し、そのヒップホップにおける歴史的な変遷とその中で海外アーティストのトラックはどうなっているか。それに対してOMSBはどうしているのかの分析。特に等間隔で刻むビートから意図的に少し微妙にずらすとそのずらしかたによってセンスよく聞こえたりするというのが面白かった。
 「話の内容は面白かったし、まあいいか」と思いネットサーフしていたら見つけたのが、ゲンロンカフェでの次のようなトーク

佐々木敦 × 環ROY × 吉田雅史
日本語ラップの「日本語」とは何か?

 今度こそ聞きたいような話が聞けるのだろうか? 私が知りたいのはまず「現代口語演劇」が意味するような意味での「現代口語」と「日本語のラップ」の関係なのだが、こちらは「日本語ラップ」というのがラップの世界では単なる「日本語のラップ」という以上の特別な意味内容を持っているという話のようだから少し違うのかもしれない。

イデビアン・クルー 新作『肩書ジャンクション』@東京芸術劇場 シアターイースト

イデビアン・クルー 新作『肩書ジャンクション』@東京芸術劇場 シアターイース

振付・演出:井手茂太
出演:斉藤美音子 菅尾なぎさ 福島彩子 後藤海春 酒井幸菜
中村達哉 原田悠 三橋俊平 井手茂太

d.hatena.ne.jp

日本の振付家にはソロダンサー出身の人が多いせいか、最近の振付家のほとんどが振付賞などのコンペティションを契機にステップアップしてきたためか、日本では魅力的な群舞を振り付けられる振付家はきわめて少ないのが現状です。そうした中でイデビアン・クルーを率いる井手茂太は企画ものだったソロ公演などを除くとほとんどの作品が群舞中心の作品という貴重な存在です。日本の多くの振付家がダンサーも兼ねていて、例えば勅使川原三郎伊藤キム黒田育世と挙げていってもコンテンポラリーダンスの場合、ほとんどの場合は振付家は舞台の中心に立つスターダンサーでもあるというのが通例となっています。

 それに対して、井手の場合は自らが出演する作品というのも限られていて、ダンサーというより第一のプライオリティーは振付・演出にあるというのが大きな特徴です。しかし、実際には本人はあのずんぐりむっくりした体型からは信じられないほどに身体が動く、きわめて優れたダンサーでもあります。そのことはこの「会社員」というPVを見ていただくとよく分かると思いますのでまず今日は最初の映像としてこれを見ていただきたいと思います。会社員の格好をして踊っているのが井手茂太です。途中女装して出てくる太った人も少し風貌が似ているので「井手さんこんなことまでして」と感心したのだけれど、こちらはSAKEROCKのメンバーの「ハマケン」という人でした(笑)。

 イデビアン・クルー井手茂太のことをかつてセミネールレクチャーでこのように解説したが、井手のダンスの魅力はなんといっても音楽とシンクロした群舞である。今回の新作ダンス「肩書ジャンクション」でもそうした特色は変わっていない。

ももいろクローバーZ AE限定「over.40祭り」@日本武道館

ももいろクローバーZ AE限定「over.40祭り」@日本武道館

開催日時 2017-10-21 (土)
時間 開場 18:30 開演 19:30 終演 21:00
※終演時間はあくまでも目安になります

出演者
ももいろクローバーZ
百田夏菜子
玉井詩織
高城れに
佐々木彩夏
有安杏果

over.40 本日のセトリ

ピンキージョーンズ
猛烈宇宙交響楽 無限の愛
チャイマっクス
MC
夢の浮世に咲いてみな
Zの誓い
words of the mind
MC
黒い週末
believe
MC
DNA狂詩曲
走れ

ライブ途中でゲッタマンが登場しての体操の時間とか、女医の先生による予防医学的な注意事項、まったく意味不明の風景映像に合わせてピアノとギターの生演奏が行われるヒーリングタイム……。AE限定イベントおなじみの茶番的な企画は随所に挿入されるが、セットリスト自体は激しい動きのいわゆる「アゲ曲」が並びきわめて攻撃的。なかなか見所のあるライブであった。
 直前に行われた「学生祭り」では学生たちの年齢ではだれも分からないだろうと思われる「スクールウォーズ」がモチーフになったが、「over.40祭り」は客入れ時の音楽こそ80年代の懐かしめな選曲が目をひいたが、本編に入ると 「over.40」を逆手に取ったように「ピンキージョーンズ」「猛烈」「チャイマ」と最近でこそ以前よりやられる回数が減ってはいるが、ガッツリ系ライブの定番曲を並べた。
コールがいつもより野太いのは年齢のせいもあるかもしれないが、男女比率でいうといつものライブよりも圧倒的に男性の比率が高いためだろうか。怒号のようなコールの迫力はいつもにも増して、大音量で会場に響いたが、もうひとつの特徴は最近話題になることの多い他アイドルの現場では普通だが、ももくろスタンダードMIXや「イエッタイガー」などのコールがまったく聞こえてこないことだった。
おそらく、ももクロの他の女性アイドルと比較した場合の最大の特徴、そして武器は「over.40」のファンの層が分厚いことだろう。しかもこの年齢層はいろんなきっかけでももクロにはまった人がいても、いわゆるアイドルファンというのは少数で、アイドルだからではなくももクロだから応援しているという人たちが多いと思われる。最近は実はももクロだけでなく、他のアイドルの現場にも足を運ぶ機会が増えているのだが、スターダストプロモーション所属のももクロの後輩グループの現場ではこうした年齢層の客は多いとはいえず、この日は単純に計算しても武道館を満員にする観客が公演に来ているわけであり、しかも抽選にはずれている人や来られない人も多いのだから、これこそがももクロが他のアイドルが埋められないスタジアム級の会場を埋められる原動力だといえるかもしれない。逆に言えば10代など学生層への浸透はテレビの露出がほとんどないことからいまひとつであり、ファンクラブイベントということもあり、すべての客席を埋めることはできなかった*1
 この日のライブが画期的であったのは(正式にそうだという確認はとれていないももの)当日の客席を連番は別にして前から順番に年齢順に並べたのではないかと思われること。私は50歳代末なのではあるが、60歳代の知人と連番で登録していたため、左サイドではあるが、前から3列目という絶好のポジションに陣取ることができた。
 実はそんなに大きくなくてももクロメンバーがスタジアムのようにバラバラにならなくてもいい会場でひさしぶりにかつての定番曲をやってことで、歌にしてもダンスにしてもメンバーの技量が格段に上がっていることが改めて感じられ「こりゃ凄い」と思うところが随所にあった。同じ振り付けだと思うのだが、「夢の浮世に咲いてみな」「words of the mind」「believe」などは動くところと静止するところのメリハリがはっきりしていて、手足の動きなどもエレガントになっていてまるで別物のように見えた。特に歌唱、ダンスともどもにあーりんの充実ぶりはすばらしくて、杏果推しながらもついついそちらの方に目が引き寄せられた。この日の武道館は超満員だったのだが、少しの広いという風には感じられず、むしろ狭く感じられたのはアリーナ前方の席のせいもあるかもしれないが、スタジアム級ライブを経験しすぎたせいで、感覚が狂っているのかもしれない。さらに言えばMC3回で10曲というのはきわめて普通のライブではあるのだが、4時間あるライブを何度も経験したせいで異常に短く感じたのも確かなのである。

*1:とはいえ、ももクロ運営は観客動員をすべて実数で発表するが、他のグループで満員と発表している観客数よりは若干多いかもしれない。

有安杏果ソロコンサート「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.1.5~」@日本武道館

有安杏果ソロコンサート「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.1.5~」@日本武道館

有安杏果が2016年7月の横浜アリーナから始まったソロコンサート「ココロノセンリツ」の総決算と位置づけていたのがよく分かるライブコンサートだった。ただ、それだけに終わってから何日か経過した今も最後に杏果が言った「『ココロノセンリツ』はこれで終わります」という言葉が今もどうしても気になって脳裏で反芻し続けている*1

有安杏果「ココロノセンリツ ~feel a heartbeat~ Vol.1.5」TRAILER MOVIE

 そもそも最初の横浜アリーナのソロコンを「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.0~」としたのは「今後、vol.1、vol.2、vol.3と一生やり続けていくためだ」とあの時言っていたのではないのか。このライブは照明効果にまで最新の注意をはらい計算され尽くしたライブとなっていただけに「終わります」は次のソロコンをやるにしてもいまのところスケジュールは予定されていないので、しばらく先になります、というような軽い意味には取りにくいような周到に準備された言葉に思われた。個人的には「その程度の意味であってくれ、深い意味はないと考えたい」という気持ちはあるのだが、杏果のソロコンは彼女あるいはグループ全体の活動にとって負担が大きすぎるので、運営サイド(というかこの場合はほぼ間違いなく川上さん)からストップがかかったのではないかという気がしてならないのだ。
 これは現在のところただの推測にすぎないし、杏果のことであるから発言の真意について何らかの説明を自分でするかもしれないが
、杏果が今回のライブを「~feel a heartbeatvol.1.5~」としたのは日本武道館のライブが決定した時点ではこれで終わりにする気はなかったと思う。
 根拠があるというよりは単に論理的な推論にすぎないが、もしその時点で日本武道館を「ココロノセンリツ」最終公演にすることが決まっていたのであればvol.1.3、vol.1.5などと細かく刻むことはなく、切りがいいようにvol.1.5、vol.2.0としていたんじゃないかと思う。そうであるとするとソロコンの表題を決めて以降、この日までに何かの状況の変化があったのではないかと思われるのだ。ただ、私は当日パンフをライブの日には購入できずまだ読めていないので、そこには何らかの裏事情が記されているのかもしれない。このことについてはそれを読んだうえで再び考えてみたい。
 いずれにせよソロコンはしばらくはないようなので杏果に個人的な希望がある。それはこれまでももクロの活動とソロ活動を区別するためにフォーク村を含むももクロの活動では少数の例外を除けばソロ曲を披露してこなかった。だが、ソロアルバムも発売となり、ソロコンがしばらくないのなら曲を披露する場がなくなるので、これを機にももクロ現場でもせめてれにちゃん、あーりんのソロ曲程度にはももクロ現場で歌うことを解禁してほしい。そうでないといい曲がいっぱいあるのに楽曲が可哀想なので。
 さてここからは実際のライブの中身について振り返ってみたい。今回のライブは冒頭で「小さな勇気」が歌われた。これはおそらく被災地である仙台で行われたvol.1.3とvol.1.5は若干の相違はあるもののほぼ同じような構成のライブとしてデザインされており、全体を通してのテーマソング的な位置に震災復興応援チャリティーソングでもある「小さな勇気」を置いたからだろう。そして、その後の曲順は発売されたばかりのアルバム「ココロノオト」の収録順に展開していく。そして、実はアルバムは制作順に順録りして楽曲を収録していることから杏果自身が話すようにこれまでの杏果ソロ活動の集大成を思わせるようなものとなっている。 「小さな勇気」「心の旋律」は全体に暗い中でセンターステージの杏果にスポットが当てられた。アカペラの部分も含めアルバムの原アレンジよりはたっぷりと歌うように編曲し直されている。今回も曲ごとに細かくアレンジを変えたり、楽器演奏のために大幅に変えたりと東名阪で試みたことをより徹底的にやっていて、特に今回はバンドにストリングスのアンサンブルを入れたことで、曲のつなぎにインストゥルメントの演奏を入れたりとかなり凝りに凝った構成にもなっており、ただ歌うというだけでなくて、こういう風にアレンジや構成をバンドと一緒に考えていくことが楽しくて仕方ないのではないかと感じさせたが、冒頭の2曲などそのせいで少し似たような曲調になってしまったり、あるいは先ほど凝った構成と書いたがいじりすぎていてもう少しシンプルにそのままやった方が効果的なのではと思うところも散見された。

 それぞれの楽曲については以前このサイトでアルバムレビューのようなことをやったこともあるのでそれを参照してほしいが、この日本武道館公演にとってスペシャルだったのは杏果がEXGP時代にキッズダンサーとしてEXILEのバックを務めたことのある「Choo Choo TRAIN」を歌い踊り、しかも途中からはかつての杏果がそうだったように現在EXGPに在籍しているキッズダンサーをバックに引き連れて踊ったことだ。横浜アリーナで歌ったEXILE「KISS YOU」もそうだったが、杏果にとってEXILEあるいはLDHの楽曲は特別な意味合いや思い入れがあるようで、それはかつて24時間ユーストで他のメンバーが巫山戯てEXILEやEーGIRLの楽曲を歌い出したときに「LDHさんに怒られちゃうから」と慌てて止めに入ったことなどからもうかがえたが、今回は思い出の歌を武道館でしかもかつての自分を彷彿とさせる子供たちと一緒に披露することができたことで相当の感慨があったのではないか。さらに言えばこれまではおそらく杏果側で畏れ多いとNGを出していたのではないかと思われるEXILEメンバーとの歌での競演が近くあるのではないかとの期待を感じさせた*2

 アコースティックギターを演奏しての弾き語りでは宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」と自作曲の「ペダル」を披露した。宇多田ヒカルは彼女のハスキーな声が合うのではないかと思い以前から杏果に歌ってもらいたいと思っていたのでそれが聴けたのは凄く嬉しかったのだが、宇多田はやはりいろんな意味で歌がうますぎるので杏果の歌はそん色ないというところまではいかないと少し残念だったのだが、実はそれは生演奏で相当の負荷がかかっていたせいというのもあったようだ。というのも逆再生リレーでギター演奏なしで歌った「ファースト・ラブ」を聴いてみるとまるでグルーブ感が違っていたからだ。逆再生は一部だけだったので、フォーク村とかで今度は演奏なしでフルコーラスの歌唱を聴いてみたいと思った。
 実は今回のバンド編成のもうひとつの売り物はベースにウッドベースを入れていたことだ。それゆえか中盤の「裸」「愛されたくて」「遠吠え」「TRAVEL FANTASISTA」といった楽曲群はジャズっぽいもともとピアノ演奏などジャズ風味の強い曲想でもあるが、それが1~2割り増しの感もあり、以前何かの番組でいつか将来は「ブルー・ノート」で歌ってみたいと語っていたのを思い出した。その時にはそういうところで歌うにはまだ全然色気が足りないだろうなどと思っていたが、「遠吠え」などでは相当に大人の魅力も発揮している。杏果に一度ジャズのスタンダードを歌わせたいと思った。意外とはまるのではないかと思う。
 最初の「小さな勇気」「心の旋律」では巨大な半透過幕のスクリーンにモニター風に杏果の撮った写真を映写していたのだが、感心させられたのは日大芸術学部の卒業制作が「心の旋律」を主題とした組写真であったように全部で6曲ほどが杏果が自ら撮影、製作した一連の組写真と楽曲を組み合わせて、それでひとつの作品となるようになっていたことだ。つまり、この日に披露された20曲程度の楽曲のうち、6曲は写真・楽曲を組み合わせた作品、そのほかにも杏果がコンセプトを伝えて映像作家によって製作させたアニメーションと組み合わせた楽曲も2曲あるので半分近くがビジュアルと楽曲を組み合わせた作品となっている。そのほかにアコースティックギター、「ありがとうのプレゼント」でのピアノ演奏、「feel a heartbeat」でのエレキギターの演奏、アンコールでは「教育」のドラム演奏と本当にコンサートそのものが杏果の作品と言っていい。
 少し意外だったのは「 Another story」を初出でアンコールの一番最後に持ってきたこと。いろいろ考えられるけれどこの曲がテンポもあって盛り上がれる曲だからだろうか。深読みすれば「最後のあいさつ」とリンクして「本当は叫びたい」以下の歌詞が今の杏果の心情を反映しているというのはやはりうがちすぎだろうか。
 いずれにせよどういう形にせよできるだけ早くソロコンを復活させてほしいと思う。

有安杏果「ココロノセンリツ ~feel a heartbeat~ Vol.1.5」2017年10月20日 日本武道館 セットリスト

01. 小さな勇気
02. 心の旋律
03. Catch up
04. ハムスター
05. feel a heartbeat
06. ありがとうのプレゼント
07. First Love
08. ペダル
09. Choo Choo TRAIN
10. Drive Drive
11. 裸
12. 愛されたくて
13. 遠吠え
14. TRAVEL FANTASISTA
15. 色えんぴつ
16. ヒカリの声
<アンコール>
17. 教育
18. メドレー
19. Another story
<ダブルアンコール>
20. feel a heartbeat

*1:これは結局、今考えればこの時点でもうももクロ卒業を決めていたからなのだが、その可能性は脳裏にも浮かばなかった。ただ、「なにかおかしなことが起こっているのではないか」という感覚はあった

*2:次のFNS歌謡祭に期待である