下北沢通信

中西理の下北沢通信

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丸谷才一「輝く日の宮」

 丸谷才一「輝く日の宮」 ISBN:4062118491講談社)を読了。
 丸谷才一による小説版「源氏物語論」。丸谷才一は好きな作家で「笹まくら」(ISBN:4101169012) 「エホバの顔を避けて」(ISBN:4122005035) 「横しぐれ」(ISBN:4061960652) 「裏聲で歌へ君が代」(ISBN:4101169063) 「女ざかり」(ISBN:4167138123)など主要の小説はだいぶ以前に読んでいたものの「女ざかり」を最後に全然読んでなかったなと思ったのだが、一昨年新刊で話題になった時に購入したまま放置していて気がつかなかったのだが、これが「女ざかり」以来10年ぶりに発表された小説だったということが分かって逆にびっくり(笑い)。
 「女ざかり」は新聞社の女性論説委員が主人公だったが、今回のヒロイン、杉安佐子は国文学の研究者である女性。文学研究者を登場させたメタ文学としては筒井康隆の「文学部唯野教授」(1990年)が前例としてある。あの小説を読んだとき、筒井は文芸評論家に自著に対するアホな批評をされるのに腹を立てているうちについに現代の様々な批評理論について理論武装してしまい、これを小説化してちゃんと元をとった。この転んでもただでは起きない関西人というか、小説家魂に思わず快哉を叫んだのだが、この丸谷才一の「輝く日の宮」 にも同じようなモチベーションがあったのではないのだろうか。
 一章ごとに文体を変えたりするその超絶技巧のスタイルはジョイスの翻訳家としても知られる丸谷才一の才気を感じさせて、それだけでも面白いのだが、興味深いのは本来、源氏物語論を小説で展開するなら、王朝文学の専門家であってもいいはずなのを近世(19世紀)文学の専門家としていること。これにからんで、安佐子が学会で「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」という論考を発表し、ここで御霊信仰にからんでの「義経五百回忌にともない鎮魂説」というのを展開しているのだが、これに対して、学会の重鎮でもある老教授が「元禄以降に御霊信仰なしは学会の常識」と難癖をつけるくだりが出てくる。
 元禄で御霊信仰といえば丸谷才一はに1985年に「忠臣蔵とは何か」(ISBN:406196013X)で野間文芸賞を受賞しているのだけれど、これがまさに元禄に書かれた「忠臣蔵」についてその成立と御霊信仰が関係しているという論考だったから、自分では近世文学史に一石を投じるつもりで書いた乾坤一擲の著書がアカデミズムの世界では完全に黙殺されたことへの怒り、いわば私憤からこの部分を書いたのではないかと思って、思わず読んでいてその大人気なさに大笑いをしてしまった。
 もちろん、ここまで書いたことは丸谷自身の発言や著書にそうあると裏を取ったわけではないので、憶測にすぎないのではあるが、それでも「輝く日の宮」の本文に倣って、若干の根拠を探せば、それはないこともない。ひとつは「輝く日の宮」という表題から源氏物語の話なんだろうと小説を読んでいっても、そこになかなかたどりつかないこと。
 小説は泉鏡花を模倣して高校時代の安佐子が書いたという小説からはじまるが、その後、「古今集」、芭蕉と続いて、源氏物語が登場するのは434ページある小説の144ページになってから。イタリアで会った長良豊と京都行きの新幹線の車内で思いがけず再会するくだりの「『源氏物語』の藤壺のいた所ですけど、藤壺、知っています?」という会話であり、全体の3分の1が経過してからだということ。もちろん、本題を最初から出さずに周辺から叙述していくというのは小説の初歩的な技法でもあり、特にミステリ的な謎解きの手法を物語に持ち込んでいるこの著書においてはそのことだけではたいした根拠は持たないだろう。
 ただ、補足をすれば御霊信仰のくだりはこの前半の部分63ページからの第2章の部分にあって、この章においてはなぜか著者である丸谷才一自身が「わたし」として地の文に登場して、主人公が登場する前に「奥の細道」に関連して、「あの方面の学者たちは実証が好きだし、それに執着するあまりもっと大切なことを忘れがちである。そして想像力を働かせることを毛嫌いし、仮説を立てることを厭がる」などと日本文学研究者批判をはじめる。
 実はここが丸谷才一の小説家として極めて巧妙なところで、ここでの文学研究者批判はそのままこの後の老教授による論難事件にスムーズにつながっていくし、この学会において安佐子が教授に反論、御霊信仰について論陣を張ったことが、その後、専門外ともいえる「日本の幽霊シンポジム」にパネラーとして出席することになるきっかけとなる。このシンポジウムにおいて、安佐子が源氏物語専門家の大河原篤子と「輝く日の宮」の巻実在説について論争になり、ここで「源氏物語論」小説としての本丸に突入していく。この一連の流れはきわめて自然かつ滑らかで、丸谷の小説家としての巧みさを感じさせる。
 技巧の巧みといえば作者は安佐子と長良の関係を紫式部藤原道長の関係になぞらえていて、物語が後半に進めば進むほどその色合いは強まり、ついには「輝く日の宮」に深入りしていけばいくほどそれは強まる。このことを考えるとこの小説において、源氏物語の最初の登場が長良との出会いの場面だということには必然性があるわけだが、読み直して感心させられたのはその直後に一度関係ないところで源氏が登場するエピソードがあって、その時にはそれだけの話なのだが、それが話がずっと先に進むとその人物がもう一度登場して安佐子にとって重要な役割を果たすことになるのだが、この部分にも源氏の本歌取り的趣向もあって、この換骨奪胎ぶりに脱帽させれた。
 筆がすべって、ここまで自説に自ら反論するような論拠を自らあげつらうようなことをしてしまった感があるが、丸谷才一私憤説(笑い)には実は2つ目の大きな根拠がある。それは「輝く日の宮」の復元小説を書くことについてこんな成行で小説を書くなんてと迷う安佐子に長良が「まったく純粋な動機で小説を書いた人なんているもんか」とアドバイスをする場面があることだ。
 もちろん、登場人物の主張を作者の主張と取り違える気はないのだろうから、これは言ってみれば源氏小説なんだから「源氏物語」の「蛍」の巻において紫式部光源氏の口を借りて、物語論を展開した故事を丸谷才一が知らないはずもまたないだろう。つまり、ここは丸谷才一自身の自己弁護とも読みとれるわけで、そうだとすれば結論はどんな動機で小説を書こうと作品がよければそれでいいじゃないということになる。そして、この「輝く日の宮」はなかなか面白くいい小説なのである。