下北沢通信

中西理の下北沢通信

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山本太郎*1+樋口賢太郎「二人の太郎は同じ初夢を見るか?」

山本太郎樋口賢太郎「二人の太郎は同じ初夢を見るか?」(neutron)を見る。
「ニッポン画家」山本太郎と、東京のイラストレーター ・デザイナーの樋口賢太郎の二人の「太郎」による2人展。
山本太郎日本画ならぬ「ニッポン画*1」を提唱するアーティスト。

「ニッポン画」とは
一、今現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ
一、ニッポン独自の「笑い」である諧謔を持った絵画ナリ
一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ

 最初に見たのは昨年のやはり1月に移転前のneutronでやっていた展覧会で、会場には左に松、右に桜(のように見えたけど梅だったかも)、背景に紅白の幕をあしらった屏風絵があって、 最初はなんだかよく分からなかったのだけれど、左上方を凝視するとなぜだかそこには青地に白い星の模様が……紅白の式幕に見えたのは星条旗(アメリカ国旗)だったのである、というような作品が「ニッポン画」なのである。その時に気になったのでその後、立体ギャラリー射手座で開催された個展も見に行き、今回が3回目ということになるのだが、そのほかに残念ながら会期が短くて見られなかったのだが、自らのキュレーションで「日本画ジャック」という新しい日本画の流れを紹介する企画展も開催するなど刺激的な活動を行っており、年末回顧では取り上げなかったが「展覧会の穴」の木内貴志と同様その笑いに悪意を感じるという意味でも注目のアーティストなのだ。
 いわば「日本画」のパロディではあるのだが、それをあえて、伝統的な日本画の技法にもとづいて製作し、このサイト*2でのニッポン画マニフェストのようにむしろこちらの方こそ形式だけを守っている現代の日本画ではなく、日本の伝統的な絵画の精神を受け継ぐのだといわんばかりの意気軒昂さが小気味よい。
 もっとも、今回の2人展「二人の太郎は同じ初夢を見るか?」は以前からの友人でイラスト・デザインの方から「現代と日本」に迫る樋口賢太郎との競作により、微妙なラインで「日本ってなに」を考えさせる内容になっている。作品はそれぞれ1点ずつで、屏風状に2枚の絵がつながって1枚の絵に見えるようなものとなっているのだが、2人の描いた絵はまったく同じ構図。向かって左側にテレビ台の上にテレビが置かれ、その上には鏡餅、右側のほうには棚があって、そこにはミカンやなにかかや細かいものがごちゃごちゃ置かれていて、典型的な正月の日本のお茶の間の姿が再現されている。
 面白かったのは2人の技法の差もあるのだけれど、2人の絵ではどちらもほぼ同じ場所には同種のものが置かれていて、それが2枚並べて見ると対比できるようになっているのだけれど、中央の床に龍の置物、棚の上には急須と湯飲み茶碗というように日本特有のものが置かれている山本作品に対して、樋口賢太郎作品の方は山本作品が龍のところはカメレオン、急須の代わりにポットと日本の家庭でよく見るものではあるが、私たちが普通、日本的とは考えないものばかりが置かれている。ところが全体を眺めてみると日本的と明らかに思える要素はテレビの上の鏡餅と棚の上のミカンぐらいしかないのにもかかわらずなぜか全体の印象は現代日本の日常を強く想起させるものとなっていて、これはどういうことなんだろうと考えさせられた。