「私のいる場所-新進作家展Vol.4ゼロ年時代の写真論」(東京都写真美術館*1)を見る。
日本および海外で、2000年以降に頭角をあらわしてきた若手・中堅作家のうち、 7カ国から15作家/グループを取り上げ、写真映像の新たな可能性や価値観を問いかける展覧会、というのだがその15作家のなかに現代美術家の塩田千春がインスタレーションで参加していたり、みうらじゅんが入っていたりするキュレーションが面白い。
塩田千春の作品は区切られた小部屋の壁にぎっしりと顔写真が貼ってあり、中央に小屋状に組んだ木組みと炭のように燃えた木の破片が配置されたインスタレーション。この顔写真は塩田の親せきの古い顔写真を集めてきたものらしいが、顔が微妙に似ていたり、そうでもなかったりするのが面白い。
塩田の作品は写真そのものというよりはそれを素材に使ったインスタレーションで、もちろんそのコンセプトからして、写真の記録性というものが作品の本質に深くかかわってきている作品ではあるけれど、写真そのものは複数の親せきから借りてきた写真を複写拡大したもので、塩田自身が撮影したものではない。
一方、みうらじゅんはおそらく本人が撮影したと思われる写真が引き伸ばされて、展示されており、そういう意味ではこれは普通の写真展と変わりはないはずだが、会場の一部では「ザ・スライドショー」の映像も流されていて、別室の小部屋ではコメントはないけれど、ザ・スライドショーなどにも登場していた写真も含めて写真のスライドが展示されていた。
この場合、そこにはつっこみを入れるみうらじゅんといとうせいこうはそこにはいないのだが、そこでその写真のスライドを見る人はいつのまにか自ら心のなかでつっこみを入れているのに気がつく仕組み。つまり、これは本来、ライブパフォーマンスであるザ・スライドショーのインスタレーション版であるという風に現代美術的にはとらえることもできるわけだが、そうだとするとザ・スライドショーそのものも現代美術的パフォーマンスといってもいい、ということになるわけなのか(笑い)。
あるいはやはりこの展覧会に参加している作家でこちらは明らかに現代美術畑のアートユニット、セカンドプラネットによる作品「TOKYO / PRAGUE」 「PRAGUE / TOKYO」*2。これも写真を媒介とした作品ではあるが、東京・プラハの在住の一般の参加者の協力を求め、その人たちがその街で見かけた典型的な情景を文字化したものを互いに送り合い、その情景のイメージに近いと東京・プラハのそれぞれのアーティストが考えた情景を写真として撮影するというもので、一種のコミュニケーションアートとしての側面も持っているが、そのほかにも文字→画像(写真)の翻訳の過程でさまざまな異文化のよるカルチャーギャップなどが浮かび上がってきて興味深い作品だった。この人たちは霊媒の人を媒介にして、アンディ・ウォーホールにインタビューするというある意味ふざけたような作品も製作展示しており、もちろんそれは「ザ・スライドショー」ほど笑える作品とはいえないけれど、悪意の満ち方といえば同等以上のものを感じるオオバカ作品ともいえる。
ここで改めて考えると、「ザ・スライドショー」とセカンドプラネットの作品に本質的なジャンルの差異などはないとも思われ、これがある意味、最近の現代アートのボーダレスな状況を浮き彫りにしているともいえるのだが、写真という素材を媒介としてそういうものすべてを一緒に展示してしまうことで、「写真の現在」を逆照射しようというのが今回の狙いかもしれない。
*1:http://www.syabi.com/details/sakka_vol4.html
*2:ウェブバージョンをこちらのサイト(http://g-soap.jp/sp/#)で見ることができる