下北沢通信

中西理の下北沢通信

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チェルフィッチュの〈映像演劇〉「風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事」オンライン配信トーク

チェルフィッチュの〈映像演劇〉「風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事」オンライン配信トーク


チェルフィッチュの〈映像演劇〉「風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事」オンライン配信トーク(7月23日・27日の2回配信)
 作品自体を見てないでトークを聞いたのだが、作品を見られなかったことが、もどかしく思われるほど興味深いトークだった。チェルフィッチュの〈映像演劇〉はさいたまトリエンナーレ*1で見たことがあり、その時には〈映像演劇〉が現代美術ジャンルでよくある映像インスタレーションじゃないかという風に感じてしまい、それほど目新しいものとは思えなかったのであった。
ところがこのトーク岡田利規が〈映像演劇〉で相棒役となっている映像作家、山田晋平の写真家ヴォルフガング・ティルマンスの展覧会*2の展示方法について書いた文章からの触発が〈映像演劇〉という発想につながったという説明を聞いて、作品を見てもやもやしていた部分が氷解して、結局は見られていないその後のふたつの展示についてもぜひいつか他の場所での展覧会などで、再現バージョンを見てみたいと思った。
 ウォルフガング・ティルマンスはドイツ人の写真作家でいまさら私が紹介する間でもないような世界的に高名な作家なのだが、写真そのもの以上にその展示方法に特色があって、美術館の壁のいろんな場所に一見無造作に貼られた写真インスタレーションなどで知られる。日本国内の美術館でも大規模な個展が開催されているが、それがどういうものかは口では説明しにくい部分もあるから、国立国際美術館での展覧会の際に収録されたインタビュー*3を参照してほしい。
 山田晋平のブログの文章は未参照なのだが、インタビューを見ると展示の一部に「スチールの映画」と称した映像インスタレーションがあり、これはスチール(写真)と映画(ムービー)を合成した造語だと思われるが、〈映像演劇〉、つまり「映像+演劇」という新たな概念はここから生まれたのではないかと睨んでいる。
 岡田利規の作品群において〈映像演劇〉が孤立したものというわけではなくて、チェルフィッチュのこれまでの作品となだらかに地続きにあるのではないかと感じたのは直近に配信演劇である岡田利規×内橋和久 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「『未練の幽霊と怪物』*4を見たということも大きく関係している。この作品は〈映像演劇〉ではないが、作品はすべてプロジェクターでオブジェに映し出される映像で構成され、それを再びリアルタイムでネット配信している。こちらは〈映像演劇〉のようにもともと映像としての上映が前提とされたテキストによるものではなく、本来は俳優により演劇として上演される予定であったテキストがリアルタイムでの演技、演奏を映像インスタレーションとして再構成したものだ。いわば制作のベクトルは真逆になってはいるが、よくよく考えると再構成される素材の前提となるものは映像、オブジェなどほぼ同じであって、映像として作られたものの演技があらかじめ収録されたものか、その場で行われたものかは実はそれほど本質的な違いなのだろうかと考えさせられてしまった。
 むしろ、テキストの構造についてトークで岡田自身が語っているようにチェルフィッチュの作品には「現在地」などが典型だが、ある時期以降、劇中劇の構造が多用されるようになっていて、劇中劇も劇中映像も作品の構造的なレベルでは本質的な違いはなく、ほぼ同じだと考えていた。そういうところから、必然的に〈映像演劇〉は生まれてきたということのようだ。