下北沢通信

中西理の下北沢通信

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うさぎストライプ『セブンスター』(作・演出:大池容子)@アトリエ春風舎

うさぎストライプ『セブンスター』(作・演出:大池容子)@アトリエ春風舎

大人になれない
大人のための
うさぎストライプ
『セブンスター』

2012年、2016年と上演を重ね、今回が再々演。
ガレージで1人、自転車を組み立てる男は、幼い頃に宇宙飛行士になりたいと思っていた。JAXAのロケット開発者を目指していた兄と共に宇宙を夢見た彼は、未だに捨てられない宇宙への憧れと、初恋の〈あの子〉の言葉を忘れられずにいた。

2016年の上演を見ているのだが、初恋の少女が事故に遇って亡くなり、そのトラウマで主人公が宇宙飛行士の夢をあきらめるという物語だという風に記憶していた。ところが今回の舞台を見終わって呆然としたのはそういうシーンはこの芝居にいっさい登場しなかった。
 こんな偽の記憶がどのように埋め込まれたんだろうか。「ひょっとして私はレプリカントで偽の記憶を埋め込まれたのかと疑った」というのは盛りすぎ(笑)で明らかに虚構だが、最近演劇にドラマが必要かどうかなどということを議論していたということがあって、私は「演劇にドラマはいらない」派ではあるのだが、ドラマへの欲求が記憶の改変を引き起こしたのかとの疑念が脳裏に浮かんだのだった。
 そして結論から言うと記憶は一部捏造されていたが完全な捏造というわけではなかった。前回上演では初恋の少女が交通事故に遭う場面はあったが、今回は削除されたこと、とはいえ事故には遭ったがそれで死んだというわけではなかったということが分かったからだ。
  大池容子によれば少女の事故を削除したのはこの作品において「彼女の存在というのは決定的に重要なものではないのに、それは観劇後、強い印象を
与えてしまうから」ということだが、事実、実際に上演では事故は直接「死」につながるようなものではないのになんとなくそういう記憶になってしまっていたのはそれが強い印象を与えていたからかもしれない。
 それゆえ、今回の舞台と前回ではかなり印象は違うはず。こんなことを言うのは私は彼女の最初の登場の場面から「この子は将来事故で死んでしまう子だ」という先入観で見てしまっていたので虚心坦懐には見られてはいなかったということがあったからだ。
前回公演とのテキスト上のもうひとつの大きな変更は小学生を相手にした塾で理科(特に宇宙のこと)を教えている場面を付け加えたことだ。
  前は実家の地下ガレージの中で自転車を組み立てたりして宇宙飛行士になるという妄想に浸っている人というような主人公のイメージが強かった。それゆえ、この人は結局夢が捨てられずにかといえかなうすべもなく、ずっとそこにいるのではないかという後ろ向きともいえるイメージが作品全体を覆っていたが、今回はそこも大きく異なったのではないか。それで宇宙飛行士への夢が完全に吹っ切れるかどうかは別にして少年の時にいけなかった種子島のロケット打ち上げ基地に自転車を飛ばしてもう一度向かおうと決意した姿が最後に提示された。
この作品の設定自体は漫画で映画にもなった「宇宙兄弟」と小説で大人気ドラマにもなった「下町ロケット」にヒントを得ていることは明らかで、その辺をどのように評価するのかが作品評価の分かれ目になってはくるであろうが、私自身はそんなことはこの作品の意義からすればあまり問題ではないだろうと考えており、一人芝居であるためそれゆえの特殊性はあるにはあるが、手法や主題の方向性においてうさぎストライプを代表する作品であることは間違いないと思った。
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