下北沢通信

中西理の下北沢通信

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うさぎストライプ「みんなしねばいいのにII」@こまばアゴラ劇場

うさぎストライプ「みんなしねばいいのにII」@こまばアゴラ劇場

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うさぎストライプ「みんなしねばいいのにII」は今から5年前の2016年に上演された「みんなしねばいいのに」の再演。とはいえ、一部設定に手直しを加え相当に脚本に手が入っているのでver2.0的な意味合いで「みんなしねばいいのにII」の表題となったようだ。
初演の「みんなしねばいいのに」について書いた初見の感想レビュー*1にこの作品を「よく分からないけど何故か面白く感じる」類の作品と書いたが、その印象は今回も大きくは変わっていない。ただ、それだけでは批評の体をなしていないので二回目の観劇レビュー*2ではこの作品に登場する「幽霊と妖怪」についての考察を長々と書き記した。それは以下のようなものだ。 

大池容子という作家の最大の特徴は女性の作家に時折あるように自己の情念の表出のようなものをそのまま言語化し舞台に仕立て上げるということがほぼなく、作品世界は巧緻に構築されているということだ。この「みんなしねばいいのに」も様々な要素のアマルガムのように見えるが、それはごった煮のようになんでもぶち込まれているというのではなくて、そこにはよく見ていくと構成美と呼んだらいささかオーバーだが、周到に編集された痕跡が散見される。 
「みんなしねばいい」には3つのそれぞれ範疇の異なる「怪異」が出現する。立蔵葉子(青年団)が演じる「響子の幽霊」。亀山浩史が演じているぬいぐるみの羊の妖怪「角くん」。芝博文のコンビニ店員「殺人鬼」である。

 配役は異なるが今回の上演でも「幽霊」と「羊の妖怪」と「殺人鬼」はそのまま登場している。ただ、脚本上若干の変更はなされていて、初演では「幽霊」は「もともとこのマンションの場所にあったというゴミ屋敷の主人であった老婆「響子」の霊であり、娘を肺がんで亡くした後、この場所に思いを残して孤独死した老人の霊」となっていたが、今回の上演では死んだあきの母親の幽霊ということになっている。この幽霊は初演でもあきにしか見えなかったが、あきと幽霊の関係性は設定されていなかったから、なぜあきだけに見えるのかという理由ははっきりとは分からなかったのを理由をより明確に改訂したと思われる。
 ただ、今回も依然「羊の妖怪」が何であるのかということには羊のぬいぐるみの化身だということは分かるが、それ以上のはっきりとした説明はない。角があって白いから羊のぬいぐるみの化身のようにとらえていたけれど、角という属性だけから考えると「悪魔のイメージ」と関係しているのかもしれない。
 前2者と比べると「殺人鬼」は被害者として餌食になりそうなあきにとっては理不尽以外の何物でもないが、その被害者となってしまう運命の不条理というのは比較的分かりやすいかもしれない。
 いずれにせよ終わりなく続くハロウィンといい死の表象と考えられる3つの怪異といい今回は終わりなく続いたコロナ禍のメタファー(隠喩)のように見えてくることは確かだ。主人公といえるあきが医療従事者である看護師であるという事実はコロナ禍ではフェティッシュな性的記号性だけではなく、死の象徴が東日本大震災の記憶と関係づけられていたと思われた初演よりもよりはっきりと関係付けられているという風に感じた。

作・演出:大池容子
好きなものや大事なものは、理不尽な何かにゆっくりと奪われていく。

わたしの住むマンションは「ゆうれいマンション」と呼ばれている。みんなハロウィンに浮かれておばけの仮装をしているけど、わたしの家には本物のゆうれいがいる。きっと、わたしが30歳の誕生日を、好きでもない男と迎えるのも、このマンションの呪いのせいだ。ハロウィンの日に生まれたことを、ずっと誇りに思っていたのに、いつからみんなで馬鹿騒ぎする日になったんだろう。あいつらみんなしねばいいのに。

出演
清水 緑
幡 美優
あやかんぬ
伊藤 毅(青年団リンク やしゃご/青年団
小瀧万梨子(うさぎストライプ)
亀山浩史(うさぎストライプ)

スタッフ
舞台監督:吉野葵
舞台美術:新海雄大
照明:黒太剛亮(黒猿)
照明操作:間瀬森平
音響:泉田雄太
音響操作:秋田雄治
小道具:陳彦君
制作:金澤昭(うさぎストライプ)
宣伝美術:西泰宏(うさぎストライプ)
芸術総監督:平田オリザ
制作協力:蜂巣もも(アゴラ企画)
技術協力:黒澤多生(アゴラ企画)