下北沢通信

中西理の下北沢通信

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iaku「逢いにいくの、雨だけど」@三鷹市芸術文化センター

iaku「逢いにいくの、雨だけど」@三鷹市芸術文化センター

作・演出:横山拓也
出演:尾方宣久(MONO)、橋爪未萠里(劇団赤鬼)、
近藤フク(ペンギンプルペイルパイルズ)、納 葉、松本 亮、
異儀田夏葉(KAKUTA)、川村紗也、
猪俣三四郎ナイロン100℃

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1991年の夏とその27年後の2018年の冬が交錯して描かれることで絵画教室の2泊3日の合宿でそれに参加した小学校4年生の女の子と男の子に起こった事故とその結果に翻弄されたそれぞれの家族の顛末が淡々と描かれていく。

 事故は女の子が合宿に持ってきていたガラスペンが原因で起こった。それは女の子の亡くなった母親の形見だったのだが、ふざけてそれを取り上げようとした男の子と女の子の間でもみあいになり、ガラスペンの先が男の子の方の眼球に突き刺さり、片目が失明してしまう。

 この事故は偶然のもので誰の悪意もないものなのだが、結果的にはこれが引き金になって、男の子の父親は家に帰ってこなくなり離婚。女の子は母親が亡くなった後、その妹(女の子からすれば叔母さん)が実質的に母親代わりとなって育てることになるが、こちらも娘や妻の妹との距離が上手く取れなくなった父親家に帰らなくなってしまう。
 こういうことは一度に明かされるわけではなくて、27年後に女の子の方が大手出版社の新人童話賞を受賞するというところから現代(2018年)の物語がはじまり、そこからは2つの時代の物語が同時進行していく。

 次第に明らかになってくるのは女の子は被害者となった男の子の家族が事故後すぐに埼玉の方に引越ししてしまったために事故以後には一度も会う事が出来ないでいる。

 嬉しいはずの童話賞受賞を友人に祝われてもどこか屈託があって素直に喜ぶことができないのは実は賞を取った絵本に登場する羊のキャラクターは彼女のオリジナルではなくて小学校時代に男の子が描いていた羊のキャラによるものだからということが分かってくる。そして、キャラクターの使用自体は意図的なものではなかったもの途中でそのことに気がついた後もそのキャラクターを代えないのはいつかその絵本に自分のキャラクターが使われていることに男の子が気がつき連絡をしてきてくれないかと思っていたからで、彼女は男の子の目を奪う形になった事故に対して罪の意識をずっと持っていて、そのいわば原罪を振り払うことができないのだ。
 脚本は巧みだし、尾方宣久の演じる被害者の性格設定が悪意を感じない人になっているのが今風なのかもしれない。どうやら最近はこうした救いのある結末が観客に好まれるようで見た人の評判もいい。
 ただ、だからこそこれでいいんだろうかと感じてしまったのも確かなのだ。iakuの横山拓也の作風にも変容の兆しを感じた。この主題なら以前はもっと救いのない結末を用意してたのではないかとも思う。
 2人の夫たちなど状況を受け入れられず他者に対する悪意ある攻撃をしてしまう人物も出てはくるが、物語の中からはフェードアウトしてしまい、出てこなくなるのもこうした印象を強めているかもしれない。
 もっとも被害者が許したからといってもそれで加害者側の罪の意識はなくなるのかということもきちんと描かれてはいて、それはなくならないんだというのも示されている。それがやりたかったことなのかなとも思った。