不思議少年「地球ブルース」@こまばアゴラ劇場
作・演出:大迫旭洋
熊本地震の朝。小学校の校庭で。
ボランティアの方がお肉を焼いていました。
「お肉は一人一枚でお願いします!」
行列が出来るなか、先頭に並んでいたおばあちゃんは、
一人でお肉を何枚も何枚も紙皿に取っていました。
誰もかける言葉を持っていませんでした。「恥ずかしい」
頭の中に一瞬、浮かんできた言葉です。
その正体は何なのか、考えてみたいと思います。恥と衝動の振り子の狭間で、
死ぬまで生き続ける人間たちのブルース。
熊本からお届けいたします。
2009年結成。熊本を拠点に活動中。
創作のテーマは「笑いとせつなさと再発見」。
観る人の心に潜り込み、どこか懐かしくて愛しい景色を呼び起こす。
短編演劇コンクール「劇王 天下統一大会2015」で全国優勝、
日本演出者協会「若手演出家コンクール2014」で優秀賞と観客賞を受賞。
分かりやすさと、演劇の楽しさを存分に持つ作品によって、圧倒的な支持を集めている。
今、九州のみならず、全国へと活動の場を広げている劇団。
出演
磯田渉 大迫旭洋 森岡光 オニムラルミ(劇団きらら)
スタッフ 舞台監督・美術:森田正憲((株)F.G.S.)
音響:松隈久典((株)サウンド九州)
照明:入江徹((株)松崎照明研究所イン九州)
宣伝美術:伊井三男(転回社)
制作:森岡光
制作補助:古殿万利子(劇団きらら)
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)
不思議少年は熊本県に本拠地を置く設立10年目を迎える劇団。静岡市のストレンジシードで野外での公演で小品を見たことはあったが、本公演を見るのは初めてだ。
森岡光ら中心となる俳優には演技力もあり、実力のある劇団とは感じたが、正直言ってこういうのが一番評価が難しい。コンテンポラリーアートについていえば単純な作品のクオリティー以上に作品のコンテキストが決定的に重要だ。現代演劇として東京の演劇はポスト「現代口語演劇」(平田オリザ)、ポスト「チェルフィッチュ」(岡田利規)、ポスト「ままごと」(柴幸男)の前提のもとに自分の作品の立ち位置を決定していると言ってもいいが、不思議少年はそういう文脈から完全に外れているように見える。
ひょっとしたら東京の若い現代演劇ファンから見ればこれに似た作風の演劇はあまり見かけることがないため、新しいと感じるかもしれないが、30年以上も現代演劇(小劇場演劇)を見てきたものからすればファンタジー風味のSF的趣向に演技面での遊びを混淆したような今回の「地球ブルース」のような作品は以前(特に80年代)には見られ、時代とともに淘汰されていったもので、どうしても既視感があるのだ。とはいえ、この劇団は設立が10年前ということから、それを真似したというより独自にそうしたスタイルに辿りついたのだろうとは思う。
それでもそれをあまり評価しにくいのは単なるスタイルの相違というだけではなく、これは90年代に平田オリザや彼と同年代の作家たちが見据えた「演劇におけるリアルとは何か」ということへの意識を共有していないように思われるからだ。つまり、この舞台には「演劇への疑い」が微塵も感じられないからだ。
平田オリザ的な群像会話劇に組するにせよ、反発するにせよ、それぞれがどういうスタイルをとっているにせよ、演劇あるいは演技への疑いがなく演劇という行為自体を無前提に肯定しているような表現を私は「現代演劇」と見なすことは困難なのだ。そして、この舞台にそれは感じられない。とはいえ、そういうことは日本のごく一部の現代演劇(東京と京都の一部)のみが前提としてきたことともいえる*1。
判断の価値基準が面白いかそうでないかということであれば、面白い演劇と評価できないこともなく、過去に参加したフェスなどで一定以上の評価を受けてきたことにはそういう評価軸の違いなどもあるのかもしれない。地方を拠点に活動してきた劇団私が述べたような問題群を共有することを期待すること自体が無理なことであることは分かってはいるが、どうしても評価としてはそうなってしまうのだ。
*1:大阪の劇作家などはそういう前提を共有していないと感じさせることが往々にしてある