劇団ダンサーズ旗揚げ公演「動員挿話」(岸田國士作)@SCOOL
まず感じたのはこの舞台での演者の台詞がない部分での表情、身体所作の豊かさである。出演者に俳優の経験がほとんどないのに演技が変にデフォルメされることがなく説得力を持っていたことには驚かされた。特に白井愛咲がすばらしく、目線の微細な動きとかだけで、心の内の変化などを的確に感じさせる動きはこれまで見た岸田國士を演じた女優のうちで優れていると感じさせる印象的なものだった。
岸田國士の「動員挿話」は「反戦劇」のイメージが強かったのだが、新国立劇場で深津篤史演出により上演されたものを以前に見たことがあり、それがそうした色彩が色濃い解釈だったからかもしれない。
主人の従軍に随行することになった馬丁の妻が夫が従軍することに反対して、夫は一旦は同行するのを取りやめることになる。が、結局夫は戦争に行かないことを固辞することで周囲から奇異な目で見られることに耐え切れず、「妻が夫の決定に従うのは当然だ」とばかりに自らの従軍を強行しようとする。ところがそうしたところ、妻は突然飛び出して井戸に飛び込んで自殺してしまう。
舞台はなんともいえない嫌な後味を残して終わるのだが、それでもこれが「反戦劇」かどうかはきわめて疑わしい。妻は戦争に反対して抗議の自殺をしたわけではないし、時代背景(1927年上演)からして岸田國士自身が反戦の意味をこめ、この戯曲を書いたということも考えにくいと思う。
ただ、劇団ダンサーズの母体となったのが、ダンス作戦会議でこの集団が以前に企画したのが、「反原発集会」というダンス企画ということを考えると、昨今の安部政権による改憲論議や日本全体の右傾化傾向に対する批判的な立場からの上演なのかもしれないと考えて舞台を見始めた。だが、実際の今回の舞台にはそういう直接的な主張は希薄であると感じた。戯曲からそのモチーフを汲み取るとすればそういう政治的な主題よりは男女の間に往々にして引き起こされるディスコミュニケーションが悲劇につながることがあるということ、特にそうしたことは日本において典型的な同調圧力を伴って起こることがあるということ。無理に戦争についての話と考えるよりも先の震災の時にも頻繁に起こった個人の思いと社会的な同調圧力が引き起こす軋轢が引き起こす悲劇の問題と考えればこの戯曲は現代にも通底する意味を持つかもしれない。
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