下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

若手振付家ショーケース(北尾亘、田村興一郎) 目澤芙裕子@YCC ヨコハマ創造都市センター 3F

若手振付家ショーケース(北尾亘、田村興一郎) 目澤芙裕子@YCC ヨコハマ創造都市センター 3F

若手振付家、ダンスカンパニーによるショーケース。海外での上演を見据えた作品をオムニバス形式で上演。

wint2dancer@gmail.com|+81-80-5024-215

A. UMU -うむ- / 理の行方 vol.4 / FACE

北尾亘(Baobab)・中村蓉(10日のみ出演)・田村興一郎(11-12日のみ出演)


TPAM フリンジ ダンス日本


YCC ヨコハマ創造都市センター 3F 〒231-8315 横浜市中区本町6-50-1Map 

2.10 Mon 20:00
2.11 Tue 20:00
2.12 Wed 15:00
上演時間 80分

田村興一郎「FACE」は田村の作品には珍しく、全員若い女性ダンサーによる作品。冒頭に会場の床にオブジェのように小さなものがバラまかれていて、作品が始まる前はそれが何なのか分からなかったのだが、始まってすぐそれがバレエのトゥシューズなのだということが分かってくる。作品の主題はそれほど分かりやすいとは言えないが、ダンサーが全員が両方の手にシューズの紐の部分を持ち、ぶらさげていて、何とも言えない不穏な空気感が観客に伝わってくる。
 初期の作品に女性ダンサーとのデュオ作品はあったが、田村のこれまでのほとんどの作品は男性ダンサーの群舞や本人も出演しての複数の男性による作品であり、フィジカル的にもそれを前提とした作品が多かった。今回の作品は女性ダンサーの身体を前提としたこれまでとはまったく趣の異なる作品で、「こういうものも作るのか」という意味では非常に興味深いものであった。
 ただ、終了後作品の意図を作者に聞いてみて、若干疑問を感じたところもあった。まず、小道具として非常に重要な意味を感じたバレエシューズだが、作者によると「何かオブジェが欲しかったので、必ずしもバレエシューズである必要はなかった」*1というのだが、これは少し分かりにくくはないか。
 バレエシューズを舞台に出せばそこにはありとあらゆるフェティッシュな象徴性をまとうことになる。ここではダンサーが足につけるのではなくて、手でバレエシューズを持ち、途中であるい最後にそれを放擲するというようなことも行っている。作者にとってはあまりそういう意図はなかったようだが、私には明確にバレエに対する強いメッセージ性を感じた。
 それぞれがダンスを続けてはいるもののバレエを諦めざるえなかったということを示した意味合いがここからは強く感じられるし、バレエからモダンダンス、そしてコンテンポラリーダンスへの舞踊史をこうした場面はなぞっているのではないかとも感じた(それは結局まったくの勘違いだったようだ)。
 どうやら、この作品はそういうことを意味しているのではないようだったが、それでもラストのシーンはバレエから離れての女性としての自立ということも感じたのだった。若い女性のダンサーらの持つ身体性の面白さとそこから浮かび上がる何ともいえない空気感が面白く、出演者が多いので難しいことを承知でいえば再演が見たいと思わせられた。
一方、北尾亘UMU -うむ- 」は映像をダンスと組み合わせてのソロ作品である。ソロダンスで50分という長さはかなり長いと感じることが多いと思われるが、ソロでありながら背後の白い壁に映写されるアニメーションや映像との掛け合いにすることで、退屈しないで見せる工夫をしていることに感心させらえた。
 北尾は範宙遊泳の山本卓卓作演出によるひとり芝居ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』で海外での公演も手掛けてきているが、その作品がプロジェクターで映写される映像とパフォーマーの掛け合いで展開していく作品であったこともあり、こちらはダンス要素が強いけれどもここから大きなヒントを得たということもあったのではないだろうか。
冒頭で北尾は客席に向かって表題の「UMU -うむ- 」というのには複数の意味があると語りだすのだが、まず最初は「産む」、そして「有無」、そしてもうひとつ(確か「うむ」と拱手する意味だったかと思うが、はっきりとはしない)。作品の冒頭は「生命の誕生」を彷彿とさせるシーンの連鎖で始まる。アニメーションが最初流れ星のように星が流れていくようなところから、上から下に大量の何かが流れていくようなものに変わっていく。これは次第に精子を思わせるものに変わって、そこからしばらく北尾は生物の進化や赤ちゃんから子供に成長していく人間の営みがダンスとして表現される。

*1:このコメント部分について田村興一郎本人からtwitterで補足訂正があった。「フラジャイルな身体生むために必要なオブジェが、最終的にバレエシューズにたどり着きました。バレエシューズはフランスの歴史、女性たちが履き潰した時間の経過などを読み取ってもらうためにも必要だった」ということだった。